徳川吉宗将軍が作られた江戸時代から続く伝統のサクラの名所である王子の「飛鳥山公園」から「音無親水公園」を花見散歩してきました。
公園内に入ると、約650本の桜は満開となっていました。
朝から花見客のブルーシートが敷かれ宴会の場所取りも行われており、快晴の下多くの花見客が集まり始めていましたね。
園内には多くの記念碑が残されていますが、「飛鳥山の碑」には、吉宗が飛鳥山を公共園地として整備し、王子権現に寄進したことや王子・飛鳥山の由来などが記載されていました。
飛鳥山公園の先には、渋沢栄一の邸宅があった渋沢庭園が保存されており、書庫であった「青淵文庫」が国の重文として残されていますが、外観が素晴らしいですね。
また、近い内に訪れてスケッチしてみたいモチーフでした。
飛鳥山公園に戻りブラ散歩していましたが、青空を背景にその樹形や色合いは、昔から江戸の庶民に親しまれた桜の名所であることが納得されました。
飛鳥山公園を後にして「音無親水公園」へと向かいましたが、飛鳥山公園の前には都内唯一の都電が行き交いしばし懐かしい光景に見惚れていました。
かつて石神井川(音無川)が流れていたところに、親水公園として整備されて音無橋の下に拡がるせせらぎの流れなど緑深い公園は、都内でも珍しい公園だと思います。
春には桜の名所ともなっており、「日本の都市公園100選」にも選ばれており、別世界のような雰囲気となっており、スケッチ愛好者にも人気スポットとなっています。
親水公園の横には、王子神社が隣接しており、紀州熊野三社から王子大神を勧請して「王子神社」と呼ばれ、王子の名前の由来にもなっているそうです。
境内は、神木のオオイチョウなどの樹木が鬱蒼と繁っていました。
また、境内には末社の関神社があり「毛塚」として髪の供養の神だそうで、珍しい神社ですね。
王子神社に参拝後、音無橋に戻り、今は石神井川と呼ばれる都内でも有数の川沿いのサクラ並木を上流へと散策してきました。
【続く】
公園内に入ると、約650本の桜は満開となっていました。
朝から花見客のブルーシートが敷かれ宴会の場所取りも行われており、快晴の下多くの花見客が集まり始めていましたね。
園内には多くの記念碑が残されていますが、「飛鳥山の碑」には、吉宗が飛鳥山を公共園地として整備し、王子権現に寄進したことや王子・飛鳥山の由来などが記載されていました。
飛鳥山公園の先には、渋沢栄一の邸宅があった渋沢庭園が保存されており、書庫であった「青淵文庫」が国の重文として残されていますが、外観が素晴らしいですね。
また、近い内に訪れてスケッチしてみたいモチーフでした。
飛鳥山公園に戻りブラ散歩していましたが、青空を背景にその樹形や色合いは、昔から江戸の庶民に親しまれた桜の名所であることが納得されました。
飛鳥山公園を後にして「音無親水公園」へと向かいましたが、飛鳥山公園の前には都内唯一の都電が行き交いしばし懐かしい光景に見惚れていました。
かつて石神井川(音無川)が流れていたところに、親水公園として整備されて音無橋の下に拡がるせせらぎの流れなど緑深い公園は、都内でも珍しい公園だと思います。
春には桜の名所ともなっており、「日本の都市公園100選」にも選ばれており、別世界のような雰囲気となっており、スケッチ愛好者にも人気スポットとなっています。
親水公園の横には、王子神社が隣接しており、紀州熊野三社から王子大神を勧請して「王子神社」と呼ばれ、王子の名前の由来にもなっているそうです。
境内は、神木のオオイチョウなどの樹木が鬱蒼と繁っていました。
また、境内には末社の関神社があり「毛塚」として髪の供養の神だそうで、珍しい神社ですね。
王子神社に参拝後、音無橋に戻り、今は石神井川と呼ばれる都内でも有数の川沿いのサクラ並木を上流へと散策してきました。
【続く】