我が街藤沢は、「遊行寺」の門前町として栄えた歴史があり、東海道の宿場町「藤沢宿」でしたが、春の陽気に誘われて藤沢宿めぐりで遊行寺界隈をジョってきました。
先月にも藤沢宿まつりが行われましたが、旧東海道沿いには遊行寺の他多くの歴史や風情を感じるスポットが残されています。
先ず時宗総本山の「遊行寺」へ向かい惣門(黒門)からいろは坂の参道を入ると、八重桜並木の名所ですが、既に葉桜となっていました。
境内の中央広場には、遊行寺のシンボルである樹齢700年と言われる大銀杏も新緑の枝を延ばして見事な姿を見せており、その先には本堂の荘厳な光景が見られます。
本堂の左手には、遊行寺で最古の「中雀門」が立ち、特に菊の御紋や葵の御紋もみられますが、皇室や徳川家とのご縁がしのばれます。
本堂の裏には、遊行寺の歴代上人の御廟所があり、中央の開山塔を挟んで左右に歴代の上人の墓塔の宝篋印塔が並んでいましたが壮観でした。
歴代上人墓所の隣には、塔頭の「長生院」があり、小栗判官と照手姫のゆかりのお寺で判官や照手姫、家臣などの墓所となっていました。
小栗判官と十勇士のお墓です。
照手姫のお墓です。
照手姫の厄除地蔵尊です。
遊行寺の東門を出ると、新春恒例の箱根駅伝の名所である「遊行寺坂」があり、毎年この場所で激走する選手に声援を送っていますが、この日は坂を下って藤沢橋へと走りました
境川沿いを走り「藤稲荷」へ立ち寄って参拝しましたが、藤沢最古のお稲荷様そうで、藤沢の地名の由来だとも言われているようです。
境川沿いを戻り旧東海道を走ると、藤沢宿を描いた浮世絵や古民家が保存されており、往時の街並の情景が偲ばれました。
「蔵まえギャラリー」と呼ばれるかつての米穀店の土間や蔵を使ってアート展が行われる市民のコミュニテイスポットとなっています。
さらに旧東海道の白旗交差点近くには、「義経首洗井戸」が残されており、悲劇の主である義経の首が白旗神社近くに漂着した首を洗い清めた井戸だそうです。
藤沢宿の歴史スポットは、まだまだ多く残されていますが、次回に残して引地川プロムナードへ戻って走り込みに専念しました。
先月にも藤沢宿まつりが行われましたが、旧東海道沿いには遊行寺の他多くの歴史や風情を感じるスポットが残されています。
先ず時宗総本山の「遊行寺」へ向かい惣門(黒門)からいろは坂の参道を入ると、八重桜並木の名所ですが、既に葉桜となっていました。
境内の中央広場には、遊行寺のシンボルである樹齢700年と言われる大銀杏も新緑の枝を延ばして見事な姿を見せており、その先には本堂の荘厳な光景が見られます。
本堂の左手には、遊行寺で最古の「中雀門」が立ち、特に菊の御紋や葵の御紋もみられますが、皇室や徳川家とのご縁がしのばれます。
本堂の裏には、遊行寺の歴代上人の御廟所があり、中央の開山塔を挟んで左右に歴代の上人の墓塔の宝篋印塔が並んでいましたが壮観でした。
歴代上人墓所の隣には、塔頭の「長生院」があり、小栗判官と照手姫のゆかりのお寺で判官や照手姫、家臣などの墓所となっていました。
小栗判官と十勇士のお墓です。
照手姫のお墓です。
照手姫の厄除地蔵尊です。
遊行寺の東門を出ると、新春恒例の箱根駅伝の名所である「遊行寺坂」があり、毎年この場所で激走する選手に声援を送っていますが、この日は坂を下って藤沢橋へと走りました
境川沿いを走り「藤稲荷」へ立ち寄って参拝しましたが、藤沢最古のお稲荷様そうで、藤沢の地名の由来だとも言われているようです。
境川沿いを戻り旧東海道を走ると、藤沢宿を描いた浮世絵や古民家が保存されており、往時の街並の情景が偲ばれました。
「蔵まえギャラリー」と呼ばれるかつての米穀店の土間や蔵を使ってアート展が行われる市民のコミュニテイスポットとなっています。
さらに旧東海道の白旗交差点近くには、「義経首洗井戸」が残されており、悲劇の主である義経の首が白旗神社近くに漂着した首を洗い清めた井戸だそうです。
藤沢宿の歴史スポットは、まだまだ多く残されていますが、次回に残して引地川プロムナードへ戻って走り込みに専念しました。