『ときは元禄15年12月14日。この日のために艱難辛苦を耐え抜いた、赤穂の浪士47人。おりしも積もる雪を踏み、目指すは、本所松坂町・・・・・・パパンパパンパン!!』 とくれば、おなじみ忠臣蔵ハイライト。
播州赤穂藩の浪士が、時の幕府の片手落ちの裁決を納得せず、主君の切腹事件から1年以上の長い間、その怨念を晴らすために、大石内蔵助を中心に、ひたすら耐えてそのチャンスを窺う。 ようやく訪れた待望の「その日」が、298年前の今日12月14日である。
毎年、東京港区の泉岳寺では、義士の供養と義士祭りが行われる。 ちまたでもこの時期になると、必ずと言っていいほど、歌舞伎や芝居・映画でこの歴史を物語風にアレンジした出し物であふれる。
ところが今年の場合、義士祭り以外では全くそんな気配が見られない。 今年に限って言えば、あのよみがえった維新の英雄「坂本龍馬」一色に塗りつぶされ、他の演目に魅力を感じなかったからだろうか。
それとも、口を開けば失言や稚拙さを露呈するモタモタ迷走政治。 節操も外交信念も見られない閉塞政治に嫌気がさして、日本人の持つ古きよき魂までどこかに置き忘れてきたのだろうか。 「君辱められれば臣死す」といった誠実さなど全く考えられない世の中になってきたのだろうか。
300年近い昔と今を同じ土俵で考えるなど、愚しいことを言うのではない。 が、忠とか孝という言葉が死語になることは避けたいなと思う。 たとえ、忠とか孝などと言わなくとも、「敬う(うやまう)」や「絆(きずな)」くらいは大切にしていきたいものだ。
ただ個人的に好みである、懐古調の赤穂浪士の話しが出てこないよな~と思っていたら、ついつい余分な方向に筆が進んでしまった。