10月の1ヶ月間は、山口県において「男女共同参画推進月間」だったそうだ。
『夢わかちあい 個性きらめく明日へ』男女共同参画社会。とある。
今年度はその催しのメインイベント「男女共同参画フォーラム」が岩国市で開かれた。
男女が差別なく平等に暮らすことに意義を唱える人間がいるのだろうか。
何故今、男女共同参画社会を声高に叫ぶのか、今までと何が違うのか。
こんな素朴な疑念を持ちながら、参加してみた。
先ず驚いたのは男性の参加の少ないこと。男女共同参画の行事というからには、参加者も男性が半分近くはいるだろうと思っていた。
少ないと言うより数えるほどしかいなかったように目に映った。
男女共同参画社会とは、
「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意志にによって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」 と定義されている。
議論を展開すれば明日の朝までかかっても平行線で結論は出ないのだろう。また結論を出せるほど簡単なものではない。そこには人間としての良識ある暗黙の了解というのは厳然と存在すると思う。
そのことが、男の思い上がりとか、女を差別するなどという時限の低い話しではない。
窓から見えるアオサギの生活を見ても、それぞれが役割を分担し、ガマンするところはお互いがガマンし、卵を産み、抱き育てる。その間、一方が巣につきっきり。一歩たりとも巣を離れることはない。そしてもう一方は狩りに出かけ一日に何回となく確実に餌を運ぶ。雨風に耐え、飢えることもなく協力して子どもを育てる。
この役割分担に異論を差し挟む余地はない。
人間の世も未来永劫、男は子どもを産めない。子どもを産めるのは女性の特権である。
『夢わかちあい 個性きらめく明日へ』男女共同参画社会。とある。
今年度はその催しのメインイベント「男女共同参画フォーラム」が岩国市で開かれた。
男女が差別なく平等に暮らすことに意義を唱える人間がいるのだろうか。
何故今、男女共同参画社会を声高に叫ぶのか、今までと何が違うのか。
こんな素朴な疑念を持ちながら、参加してみた。
先ず驚いたのは男性の参加の少ないこと。男女共同参画の行事というからには、参加者も男性が半分近くはいるだろうと思っていた。
少ないと言うより数えるほどしかいなかったように目に映った。
男女共同参画社会とは、
「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意志にによって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」 と定義されている。
議論を展開すれば明日の朝までかかっても平行線で結論は出ないのだろう。また結論を出せるほど簡単なものではない。そこには人間としての良識ある暗黙の了解というのは厳然と存在すると思う。
そのことが、男の思い上がりとか、女を差別するなどという時限の低い話しではない。
窓から見えるアオサギの生活を見ても、それぞれが役割を分担し、ガマンするところはお互いがガマンし、卵を産み、抱き育てる。その間、一方が巣につきっきり。一歩たりとも巣を離れることはない。そしてもう一方は狩りに出かけ一日に何回となく確実に餌を運ぶ。雨風に耐え、飢えることもなく協力して子どもを育てる。
この役割分担に異論を差し挟む余地はない。
人間の世も未来永劫、男は子どもを産めない。子どもを産めるのは女性の特権である。