「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「雲流れて・・・」

2011年07月02日 | 季節の移ろい・出来事

        
          水平線の向こう、積乱雲までに至らない雲が流れて

7月2日、はんげしょう。
なにゆえこの日が「はんげしょう」なのか。諸説があって掴みどころのない不思議な日。
子供心に耳に残っている、おふくろがよく口にしていた言葉を思い出す。
「はんげの禿げあがり」このころになると梅雨が上がる・・・という意味のことだったと思う。

「半夏生(はんげしょう)」これは半夏と呼ぶ毒草が生えるという意味で、昔はそのために毒気が空中に立ち込めると言って、畑の野菜類を取って食べることを控え、井戸には前の日からふたをする習慣があった。と言われている。

実際には「はんげしょう」という名の草があってこの時期に白い花を咲かせる。
花の周囲の葉っぱが一斉に白い色に変って見える。その様子が、草全体が半分お化粧をしたように見える。
つまり「半化粧」というのが語源と言われているから、呼び方は同じでも、半夏生と半化粧は別物として考えるのがよい。と歳時記の拾い読みでsる。

それにしても「半化粧」とは、どうして半分なの?何か急なことでも起きて、半分しか出来なかったの?などと、なんとなく男心をそそる呼び名ではある。

梅雨も上がらぬ蒸し暑さと湿っぽさの中で考えることではないような気もするが、日本の夏を彩る風物詩であるなら、ちょっと理屈を飲み込んでおこうかと・・・。
それにしても、同じ発音でまるで意味が異なる日本語。その難しさを改めて知る思いの、文月の冒頭である。 

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「後半に胸ふくらませ!」

2011年07月01日 | 季節の移ろい・出来事

      
           まだ少し雪が残る、7月の富士 (ネット拝借)

7月1日。今年もいよいよ後半に突入。
国家に何かを期待したい節目のような気もするが、今の混迷政局、ドングリの背くらべの永田町権力闘争。何一つ期待出来そうもない。夢も語れそうにない。

今一つの7月1日。富士山の山開きの日でもある。頂にはこの時期まだ雪が残るという。
京都では、夏の到来を告げる祇園祭が始まった。

わが生涯の中で、あれこれやりたかったこと、やり残したことはたくさんある。
そんな中の一つが富士山登山・富士の頂上からご来光を拝む。という儀式。
今からでも遅くないという声が聞こえるが、その心づもりで過ごして来なかった不摂生がたたって、夢だけに終わってしまいそうだ。

これも自分1人で行動できるならともかく、団体で行動し、皆さんに迷惑をかけないよう、足腰の鍛錬・酸欠に耐えられる体力など、色々要求されるのだろう。
それを思うと、生涯の夢として取っておくのがよいのかと思う。
膝だの腰だの歩行能力だのと言われると、どうも腰が引けるようだ。

そういった体力などとは関係なく、富士山には特別な思い出がある。
長い会社生活の中で、最も熱く・最もギラギラした情熱を傾けた日々を、この富士のお山を眺めながら過ごした時期がある。
取引先の富士宮工場を何度訪れたことだろう。

今、少なからぬ悔いが残っているように、富士山を征服することはなかったが、富士山を眺めながらの取引では五分と五分で渡り合ったように思う。
改めておもう富士の山開き。熱いものが蘇る。
この勢いを駆って後半に向けひと踏ん張り。いいことが待っている予感を胸に。

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