まだ完全に実っていない黄緑の田んぼに映えるいコスモス
昨年の秋は、この頃から日程を調整しながら、友の稲刈りの手伝いを計画したものだった。その先には取れたての玄米30キロを市価で分けてもらう約束が出来ていた。
そんなことはともかく、大きな農家に養子に入った友を、慰めるのと手を貸す両方の目的で、もう一人の仲間と勇んで出かけたものである。
「オーイ、生きとるか、今年はどんな塩梅か~」と昨日電話をしたところ、「今年は、去年手伝ってもらったところは作らずに、家の前と後ろの田んぼだけにしたから、手伝いはいいよ。その代わり分けて上げる量がないからごめんね」という。
もちろん我が家のことなど心配してくれなくて結構だが、昨年までは50表60表とJA(農協)に出荷していたのに、その生産者がまた減った、米の自給率が確実に下がったということである。昨年も書いたかと思うが、農機具や精米機など1千万以上の設備投資をして、出荷の収入がそれに見合うものではない、つまり痩せる想いで米を作っても、自らの身体をすり減らすだけで、採算など合うものではないというのが彼の本音である。
これは一体何を意味するのか考える必要がある。
何でもかんでも政府が悪い、政治が庶民を向いていない、などとあげつらうばかりでは解決にはならないと十分承知しているが、こんなわが国の農業政策は、近い将来間違いなく自分で自分の首を絞める事になる。食料の大半を輸入に頼り過ぎると、農業立国からも、お金持ちの国からも、舐められてしまう寂しい小国になり下がるのが見える。その向こうには「日本つぶすにゃ刃物は要らぬ、食糧輸出を停めりゃいい・・・」などと、独々逸で笑われてしまいそうな危機感を憶える。
米作りを辞めた、それだけで解決すると思うと大間違い。
1年に二度はちゃんと草刈りをし、隣接のよその田んぼに迷惑をかけないよう水回りの管理をしなければならんのだという。「あんたがいなくなったら・・・?」という意地悪い質問には、「子どもらが誰かに管理をお願いするか売り飛ばすしかない」と、実に実に寂しい話に落ち着いてしまう。
写真に撮って見ると黄緑映えて、コスモスと共に秋を象徴しているかに見えるが、その向こうには、農業後継者の不足、収入減でやりたくても農業はやっていられないという、なんともやりきれない現実が横たわっている、という少し寂しいお話でした。
そういえば、彼の田んぼの周囲にも荒れ果てた田んぼがいくつかあったな~。