吉岡道場一門との戦い
宮本武蔵は生涯最大の危機に瀕していた
かつて吉岡一族を作品で描いた作家の澤田ふじ子女史は 道場といえど既に墨染めを扱う商家
名を上げようとする武蔵に利用された―と他のシリーズ作品でも 作中人物の言葉を借りて言わせている
事実はそうだったのかもしれない
弱い弱いただの町人であったのかも
名が通っている吉岡を倒すこと
やくたいもない野蛮な武蔵―なのかもしれない
だが その理屈 事実(仮にそれが現実であったとしても)は 何と言い訳がましく 京都人の心の狭さを逆に感じさせる理屈 セリフであることか
ひきかえ 東映映画での中村錦之介(後年 萬屋)の宮本武蔵
そしてこのバガボンドの与えてくれる感動は どうだろう
これが「武蔵」なのだ
吉岡は―と作中で言い募れば 繰り返し言われるだけ この作品でも拘るか―と逆に そんなはずはないのに京都の人が狭量に見えてくる
嫌になるのだ
剣の道に生きた宮本武蔵
生きる為に駆け引きもあっただろう
けれど狡さだけでは 剣聖として名を残すことは できない
世の中には 今迄言われてきた事と 逆な事を発表すれば
それは良いことなのだと思う 賢くみえると 〇〇は実はブスだった―などと言い出す人もいる
勝手にすれば良い―と思う
斜めなひねくれた見方よりも
ただの男である武蔵を真正面からとらえ
現在 生きていてもおかしくない人間として描いている 作者の姿勢に好感が持てる
井上雄彦版宮本武蔵
何処へ行くのか どう完結するのか いつまで続くのか
楽しみにしている作品 漫画です