ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

広島の原爆記念日

2010-08-06 11:47:03 | Weblog
8月6日は広島の原爆記念日。
今年はオバマ米国大統領の原爆削減演説などの効果で世界的規模で核の廃絶の機運が高まってきた。
そして国連の事務総長や米国大使、英仏の政府代表など多くの国の人々が式典に出席した。
一瞬にして命を落とした人々や放射能の後遺症に悩まされた人の数は27万にものぼる。
恐怖以外の何ものでもない。
いくら戦時中とはいえなんの前触れもなく頭の上から降ってきた一発の爆弾で14万人もの人が瞬きをする間もなく命を奪われたことは許しがたい暴虐だったと思う。
いくら米国が弁明しても許されるものではない。
今更過去を蒸し返しても仕方がないけれど、戦争には正義などあり得ない。
核軍縮と並行して紛争の解決が大切だ。
いつまでも軍事力で押さえつけていても平和は達成出来ない。
一番は当事者間の話し合いが必要だ。
アフガンにしてもイラクにしてもイスラエルとヒズボラにしても話し合う場を各国が醸成することが求められる。
どちらか一方に肩入れして軍事力で威圧しても駄目だ。

昨日80才なる叔父が来て8月5日の私の町の焼夷弾爆撃の様子を涙ながらに語ってくれた。
町中から田舎へ逃げる道すがら焼けた死体や救いを求める悲痛な声の中を顔を真っ黒にして走り続けた体験だった。
叔母は翌日職場の様子を見に出かけて途中川べりの松の木にもたれた焼けただれた人に声を掛けられ、どうすればいいのか分からぬまま急いで通り過ぎた、と話して大きく息をして、あの光景は65年経った今でも鮮明に蘇ってくる、と声をふるわせた。
終戦10日前に何故私たちの小さな町まで爆撃する必要があったのだろうか。
広島や長崎の原爆にしても実際は落とさなくても日本の降伏は明らかだったはずだ。
おそらくは膨大なお金と科学者の努力の結晶である兵器の威力を検証してみたかった、と言うことだったに違いない。

広島と長崎での破壊力を見ればアメリカの軍事力に脅威を抱く北朝鮮やイランが開発を進める気持ちは理解出来る。
しかしその行為を認める訳にはいかない。

一人一人は平和を求めているはずなのに、どうして世界平和が実現出来ないのだろう。