ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

今夜、今度は小学校時代の同級会

2017-07-22 14:13:57 | 生き方
先週土曜日は、中学校の同級会があった。
それは、ここで書いたとおりである。

実は、今週土曜日、つまり今日は小学校の同級会が夕方にあるのだ。
2週連続の同級会である。
この、小学校の同級会をやるという連絡は、なんと4か月前の3月のうちから電話で知らされていた。
ずいぶん前から連絡が来るものだなと思いながらも、出席を快諾したのだった。

中学校は、250人以上同級生がいたが、小学校は自分を含めて22人しかいないという、小さな小学校であった。
小学校1年生で1人転出、4年生で1人転出、5年生で1人転入ということで、6年間でメンバーの入れ替わりの機会は、わずか3人しかなかった。
だから、人間関係は固定化され、良くも悪くも、力関係が決まってしまっていた。
頂上には、気が強く腕っぷしに自信のあるボスが君臨していた。
その両脇には、すぐその手下となって働く取り巻きたちがいた。
私は、体が弱く、気も弱かったし、運動をさせても男子13人の中で最下位の存在であった。
だから、運動で何をしても彼らのようにうまくできず、いつも馬鹿にされていた。
ただ、学習の成績に関しては、少しだけよかったものだから、級友たちにはそれがまた気に入らないために、私を「がり勉野郎」と言ってさげすむのであった。
だから、私は、小学校時代には情け容赦ないいじめを受けて過ごした。
特に高学年になってからは、陰湿であり、学校に行くのが本当につらかった。
6年生の時にそのいじめを、隣学年の若い女性の先生が見つけてくれ、大きな問題となった。
そんなことから、中学校は、小学校時代の級友たちとは別れて、別な学校へ行った。
そんな過去を私はもっている。


この小学校の同級会、というのは、実は今回で3回目となる。
1回目は20歳の時。
地域の集落センターの一室を借りてのものだった。
2回目が10年前の50歳の時。
同級生が旦那と一緒にやっているラーメン屋でのものだった。
いずれも半分くらいの人々しか集まらず、ボス的存在だった男は来なかった。
今回は、もう少し集まるそうだ。

10年前の夏にも中学校の同級会と小学校の同級会が行われたが、人間関係の濃さでは、小学校の方がはるかに上回っていると感じた。
さて、卑屈な小学校時代から半世紀もたち、彼らとの再会で、今夜自分自身がどんな感情を抱くのだろうか、複雑な思いもあるが、楽しみな思いもあるのである。
コメント
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