小学校の同級会。
さすがに、皆、それぞれが60年も生きてきただけある。
それぞれが苦労を重ねて「ここまで生きてきた仲間」だなあと思った。
小学校の時は、男子13名、女子9名の22名の学級だった。
昨日の同級会の参加者は、男子9名、女子8名。
女子の1名が数年前の脳梗塞で欠席。
男子の欠席理由は、今日も働いているというものが多かった。
ただ、北海道にいる者や、船に乗って働いている者もいる。
それにしても、合計17名の高い参加率であった。
人生経験を積み重ねてきたのだなあ、と思うことが多かった。
まず、会場に行くまでのことだ。
交通に不便な場所にあり、そこに行くのには路線バスしかないか、と思っていた。
2週間ほど前に、突然A氏から家に電話がかかって来た。
「バスは、土日は運休だが、どうやって会場まで行く?よかったら、自分が車を運転していくから、一緒に代行で帰ろう。他の者にも呼びかけてみる。」
というものだった。
小学校時代、ともすれば自分中心の考え方をすることもあったA氏だが、こうして人のために自分から電話して回るという姿に、感心した。
結局、呼びかけた人の中に、酒を飲まずに自家用車で参加するB氏がいて、今度は、B氏が「自分が酒を飲まないから、3人をあちこちで乗せていく。」ということになった。
A氏、B氏ともに、ほかの人のためにと、すばらしい思いやりである。
B氏は、飲まないのに2次会まで参加し、帰りも私たちを、さらにもう1人追加して送ってくれたのであった。
さて、さすがに40数年ぶりに会う人々、出会った一瞬で誰か判別することは難しい。
しかし、小学校時代の顔を思い浮かべ、その中に「正解」がいるはずだ、と思うと、やがて、「ああ、○○だ!」と思いつくのである。
面白いものだ。
部屋の中央に向かい合うように座卓が並んだ座席。
「男女交互に座ってください」という幹事の言葉に素直に従う参加者たち。
およそ50年前の小学校時代は、男だけ女だけに分かれて固まっていたものだった。
大人になった?当たり前だよな、60年以上生きているんだもん。
全員と話した訳ではないが、人生経験の深い話もあちこちで聞けた。
Cさんは、結婚して家を出たが、きょうだいが女性ばかりだったので、全員嫁に行ってしまった。
下の妹たちがしっかりしていたので任せていたが、老いた両親の世話ができないことにあきれてしまった。
夫と相談して嫁入り前の姓に戻り、父も母も、最後を看取るまで下の世話まで懸命に行ってきた。
「(実家が)なくなってもいい、と考える妹たちだったけど、父母が守って来た家や思いを考えると、私はそれが許せなかった。」
小学校時代は、のほほんとしたイメージが強かった彼女だったが、意思の強い行動と話し方に人生を感じた。
Dさんは、2度結婚している。
しかし、今は、20代後半の息子と2人暮らしだと言う。
息子の仕事が長く続かないことが多いので、そのことを心配してきた。
先月からまたしっかりしたところに就職したので、がんばってほしいと願っている。
「いくつになっても、親は子どものことが心配だね。私も親に心配かけてきたんだろうけど。」
子ども時代も明るく活発だった彼女は、そのままたくましく生きていた。
ほかに話を聞くと、男性陣からは、定年退職してから再雇用で働いたり再就職したり、という話題が多かった。
埼玉県に住んでいる女性は、小学校時代は口数も少なくある意味最も弱い存在だったが、明るくよくしゃべる人になっていた。
この後の2次会でも、「音痴だから」と言い照れながらも、デュエット曲を楽しそうに歌っていた。
3時間余りの会は、あっという間に過ぎた。
10年前に幹事をしてくれたE氏から、最後の締めの言葉を頼まれた。
こちらも、ある種しゃべるのが仕事だったから、気持ちよく引き受けた。
還暦まで、全員がよく生きてきた。
いろいろ苦労もあったと思うけど、それが一番すばらしい。
これからも、元気に生きていきましょう。
そのような話をし、一本締めで会を閉じた。
メンバーの一人が、二次会の会場を準備していて3人が帰ったが、残った顔ぶれはおよそ2時間余りカラオケで楽しんだ。
中学校を別にした私には、小学校の同級生たちが中学校ではどのように変わったのかは知らない。
そして、その後それぞれがどのように生きてきたのかも知らない。
しかし、再会した彼らは、間違いなくどの人も齢を重ね、人間としての味わいが深くなっていた。
50年前、小学生時代は、この人たちと一緒にいてつらい思いをする日々が続いていた。
それなのに、その人たちと、笑って会える、こんな日が来るとは思ってもみなかった。
子どものときだけで人生が決まる訳ではない。
そんな当たり前のことを、50年前の、つらい思いをしているあの頃の自分に教えてあげたいと思うような、小学校の同級会であった。
さすがに、皆、それぞれが60年も生きてきただけある。
それぞれが苦労を重ねて「ここまで生きてきた仲間」だなあと思った。
小学校の時は、男子13名、女子9名の22名の学級だった。
昨日の同級会の参加者は、男子9名、女子8名。
女子の1名が数年前の脳梗塞で欠席。
男子の欠席理由は、今日も働いているというものが多かった。
ただ、北海道にいる者や、船に乗って働いている者もいる。
それにしても、合計17名の高い参加率であった。
人生経験を積み重ねてきたのだなあ、と思うことが多かった。
まず、会場に行くまでのことだ。
交通に不便な場所にあり、そこに行くのには路線バスしかないか、と思っていた。
2週間ほど前に、突然A氏から家に電話がかかって来た。
「バスは、土日は運休だが、どうやって会場まで行く?よかったら、自分が車を運転していくから、一緒に代行で帰ろう。他の者にも呼びかけてみる。」
というものだった。
小学校時代、ともすれば自分中心の考え方をすることもあったA氏だが、こうして人のために自分から電話して回るという姿に、感心した。
結局、呼びかけた人の中に、酒を飲まずに自家用車で参加するB氏がいて、今度は、B氏が「自分が酒を飲まないから、3人をあちこちで乗せていく。」ということになった。
A氏、B氏ともに、ほかの人のためにと、すばらしい思いやりである。
B氏は、飲まないのに2次会まで参加し、帰りも私たちを、さらにもう1人追加して送ってくれたのであった。
さて、さすがに40数年ぶりに会う人々、出会った一瞬で誰か判別することは難しい。
しかし、小学校時代の顔を思い浮かべ、その中に「正解」がいるはずだ、と思うと、やがて、「ああ、○○だ!」と思いつくのである。
面白いものだ。
部屋の中央に向かい合うように座卓が並んだ座席。
「男女交互に座ってください」という幹事の言葉に素直に従う参加者たち。
およそ50年前の小学校時代は、男だけ女だけに分かれて固まっていたものだった。
大人になった?当たり前だよな、60年以上生きているんだもん。
全員と話した訳ではないが、人生経験の深い話もあちこちで聞けた。
Cさんは、結婚して家を出たが、きょうだいが女性ばかりだったので、全員嫁に行ってしまった。
下の妹たちがしっかりしていたので任せていたが、老いた両親の世話ができないことにあきれてしまった。
夫と相談して嫁入り前の姓に戻り、父も母も、最後を看取るまで下の世話まで懸命に行ってきた。
「(実家が)なくなってもいい、と考える妹たちだったけど、父母が守って来た家や思いを考えると、私はそれが許せなかった。」
小学校時代は、のほほんとしたイメージが強かった彼女だったが、意思の強い行動と話し方に人生を感じた。
Dさんは、2度結婚している。
しかし、今は、20代後半の息子と2人暮らしだと言う。
息子の仕事が長く続かないことが多いので、そのことを心配してきた。
先月からまたしっかりしたところに就職したので、がんばってほしいと願っている。
「いくつになっても、親は子どものことが心配だね。私も親に心配かけてきたんだろうけど。」
子ども時代も明るく活発だった彼女は、そのままたくましく生きていた。
ほかに話を聞くと、男性陣からは、定年退職してから再雇用で働いたり再就職したり、という話題が多かった。
埼玉県に住んでいる女性は、小学校時代は口数も少なくある意味最も弱い存在だったが、明るくよくしゃべる人になっていた。
この後の2次会でも、「音痴だから」と言い照れながらも、デュエット曲を楽しそうに歌っていた。
3時間余りの会は、あっという間に過ぎた。
10年前に幹事をしてくれたE氏から、最後の締めの言葉を頼まれた。
こちらも、ある種しゃべるのが仕事だったから、気持ちよく引き受けた。
還暦まで、全員がよく生きてきた。
いろいろ苦労もあったと思うけど、それが一番すばらしい。
これからも、元気に生きていきましょう。
そのような話をし、一本締めで会を閉じた。
メンバーの一人が、二次会の会場を準備していて3人が帰ったが、残った顔ぶれはおよそ2時間余りカラオケで楽しんだ。
中学校を別にした私には、小学校の同級生たちが中学校ではどのように変わったのかは知らない。
そして、その後それぞれがどのように生きてきたのかも知らない。
しかし、再会した彼らは、間違いなくどの人も齢を重ね、人間としての味わいが深くなっていた。
50年前、小学生時代は、この人たちと一緒にいてつらい思いをする日々が続いていた。
それなのに、その人たちと、笑って会える、こんな日が来るとは思ってもみなかった。
子どものときだけで人生が決まる訳ではない。
そんな当たり前のことを、50年前の、つらい思いをしているあの頃の自分に教えてあげたいと思うような、小学校の同級会であった。