ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

元気を出してほしいから、昭和50年代によく聴いた「東京」の歌

2020-05-05 20:57:37 | うた
COVID-19 の感染者が最も多いのは東京都。
毎日都の感染者数はどのくらいかが報じられ、その数によって一喜一憂するのが当たり前のようになっている。

東京は、日本の中心地。
私が学生時代、4年間お世話になった街。
昭和50年代のあの頃、様々な「東京」の歌を聴いて元気付けられていた。
そんな東京の歌を聴いて元気を出していきましょう。

まずはじめに、マイペースの「東京」。


東京へはもう何度も行きましたね 君が住む美し都
東京へはもう何度も行きましたね 君が咲く花の都


地方の人間にとっては、こんな美しさや花を東京に感じていた時代もあった。
憧れの街であったのだ。

私にとって、一番好きだったのは、9年前にも書いた「東京City」(小林倫博)の感覚。


ここに一人来た頃(それだけで) ねずみ色の街でも(ときめいた)
季節を伝える風に向かって 口笛鳴らせば 夢かなう気がした

という部分や、

だけどここを離れて 生まれた町へと 帰る気持ちになれないのはどうして
生まれた故郷(くに)を離れて 父や母もここで暮らすと言い出したら それもまたいやだろ


などという内容は、当時の自分の心境そのままだった。
そんな心境で4年間を過ごしたことがよみがえる。

夜になっても明るくて、眠らぬ街東京。
それに対する子守歌だったのが、中原理恵の「東京ららばい」。

1番から3番まで終わりが「ないものねだりの子守歌」というフレーズだったけれど、サビに入る部分の歌詞がいかにも東京のようで好きだった。

その部分は、次のような詩であった。
①東京ララバイ 地下があるビルがある星に手が届くけど
②東京ララバイ 夢がない明日がない人生はもどれない
③東京ララバイ 部屋がある窓があるタワーも見えるけど



東京の物語、といえば、阿久悠が作詞した「東京物語」という歌があって、森進一が歌っていた。

このシングルレコードを買ったのは、気に入ったところがあったからだ。

群れからはなれた 男と女が 小羊みたいに 肌寄せあって
どこかで忘れた青春のかざりもの さがしているような 東京物語


「どこかで忘れた青春のかざりもの さがしているような」
貴重な若い日々が過ぎていく暮らしに漂う切なさを感じ、その表現の巧みさに感心したものだった。
やはり阿久悠は、ただの歌書きの詩人ではないと思うようになった。


元気を出したい今。
元気な東京の歌なら、やっぱりこれ!
「TOKIO」(沢田研二)!


空を飛ぶ 街が飛ぶ 雲を突きぬけ星になる
火を吹いて 闇を裂き スーパーシティが舞いあがる
TOKIO  TOKIOが空を飛ぶ


沢田研二が、電飾の衣服を身にまとい、赤と白の縞模様のパラシュートを背負って歌う姿を、テレビでよく見た。
衣装代、高かっただろうなあ。
でも、東京らしい華やかさが似合っていた。
その華やかさが、遠からぬうちに復活することを願う。

最後に、これからを考えると、希望を持ちたい。
そのためには、木之内みどりの「東京メルヘン」の出だしを歌っていたい。


もうじきにもうじきに 春が来るんですね
もうじきにもうじきに 春が来るんですね


今や春はとうに過ぎ去っていこうとしているけれども、「もうじきに」この感染症騒動がおさまり、みんなが待ち望む春―陽気で明るく過ごせる日々―が来ることを祈りたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする