ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

「日本3百名山ひと筆書き 田中陽希日記」(田中陽希著;平凡社)

2022-11-03 19:58:47 | 読む


300という数は、相当に多い数だと思える。
その300という数の日本の山をすべて登ったというのだから、すごい。
しかも、その山から山への移動をすべて自分の足で「歩く・走る」でこなす。
歩けない海峡等は、手漕ぎのシーカヤックで渡る。
途方もなく時間がかかる冒険だ。
それに挑戦したのが、ご存じプロアドベンチャーレーサー、田中陽希氏。

NHKプレミアムに、「グレートトラバーズ3」という番組があった。
正式名は、「日本3百名山ひと筆書き~Great Traverse3」だったかな。
彼の奮闘ぶりは、その番組で報じられていた。

BSプレミアムでは、ひと枠15分の番組として放送されていた。
退職してから、朝などによく見ていた。
最初の「グレートトラバース」は、深田久弥の日本百名山に、すべて人力でスピード感をもって挑戦するというものだった。
それが成功すると今度は「グレートトラバース2」となって、日本2百名山に挑戦。
そして、いよいよ「日本3百名山ひと筆書き~Great Traverse3」となった。
さすがに300座ともなると、簡単には終わらない。
その分様々な困難に出会って大変だったのを、番組で見てきた。

その番組は、何回か再放送されたりしてきたので、彼が出会った困難を中心に、印象に残っているものがいくつもあった。
・滑り出しの頃、冬のしけで大隅海峡を渡れず、竹島に何日間も滞在したこと。
・阿蘇山は立入禁止となっていたのに、彼が登った日だけ偶然にも解除されていたこと。
・島根県で宿泊中、地震に遭遇して、泊まっている旅館が大きな被害を受けたこと。
・滋賀県で下山中に滑って転んだ際に、右手を骨折したこと。
・新潟・山形県境の飯豊連峰は、冬の訪れで1座を登っただけで縦走を断念し、翌年また改めて飯豊山に挑戦したこと。
・運転免許証の更新のために、岐阜県から神奈川県まで一度歩いて戻ったこと。
・新型コロナウイルス感染症で緊急事態宣言が発令され、県を越えた移動ができなくなり、2か月間も酒田市に滞在を余儀なくされたこと。
今回、本書を読んで、これらのことを思い出した。

彼の著書については、以前も書いたことがある。
が、300名山全山人力踏破を果たしてから出たのが本書になる。
本書では、1ページが1コラムのようになっておよそ800字にまとめられている。
2ページ終わると、その前の2ページにかかわる写真が何枚か載っている。
そんなことから、ずいぶんと読みやすい。
テレビ番組はわずか15分ずつだったから、読んでいくと、彼の味わった思いや苦労などはごく一部にしか過ぎなかったことが伝わってくる。
また、テレビでは感じられなかった田中陽希氏の生の思いが淡々と記録されている。

「付録」としてついている「日本三百名山登頂記録」には、何年何月何日に第何座としてなんという山の登頂を果たしたか、とその山についての思いが書いてある。
それを1つ1つ読んでいたら、疲れてしまった。
なにしろ、3年8か月をかけて成し遂げた3百名山(正確には301座)人力踏破である。
ひと口で300と言ってみても、ひと言ずつ読んでいくだけですごい量になるのだ。

最終的に、彼の自然に対する畏敬の念、山や自然や人に対する感謝の思いなどが、伝わってきた。
「おわりに」では、自然や人から学び得たことが、短い言葉で次々に並んでいる。
彼の人生哲学と言ってもよいだろう。

・人生の中で、経験にないことを積極的にできる方が、たとえ結果がどうであれ悔いが残りにくい。
・誰のそばにもチャンスは常にある。つかみとる行動を起こせるかの違いだけだ。
・自分にとって99の心地よい意見よりも1の手厳しい声の方が糧となることもある。


このような言葉が、30近く並んでいた。

経験した人だからこそ、言えるのだと説得力があった。
最後の、

これからも共に挑戦する人生を歩んでいきましょう。
ありがとうございました。

という締めくくりに、彼の強い意志が表れていた。
30歳から38歳までの、このひと筆書きチャレンジは、彼の人生で、とても有意義な挑戦だったことがよく分かった。
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