19年前に亡くなった母の祥月命日には早いのだが、珍しく予定が入ったので、墓参りに行ってきた。
亡くなった年は、その日までには、かなり雪が降ったのだった。
だが、今年は、暖かく墓場には雪がない。
雪はないが、晴れて放射冷却現象になったせいで、午前10時近かったのに、日がよく当たらない場所の植物は、このとおり。
霜が降りて葉が白くなっていた。
線香をあげようとしたら、なんと土が凍っていて、ガチガチ。
線香どころか、指でほじくろうとしても固く凍っていて、歯が立たない、いや線香が立たなかった。
雪はなくとも、しっかり冷えて冬の厳しさを感じさせた。
今年は墓参りに行くとき、ちょっと違った神妙さがあった。
それは、昨夜近所の方が急に亡くなったから。
このたび亡くなった方は、80代半ばの女性であったが、1年半ほど前にだんなさんを亡くしたばかり(?)でもあった。
今住んでいる所は住宅地だが、ここら数軒は皆、昭和から平成になる頃に家を新築した仲間のようなものである。
ここに引っ越して来てそんなに多くの時間がたたない頃、瀬戸内海にかかったばかりの橋を渡りにドライブして来る、という話を聞いて、厚かましい私の母は、「私も乗せてって」とせがみ、ここのご夫婦につれて行ってもらったことがあった。
そんな思い出もある、ご近所さんであった。
夫婦2人暮らしから、つれあいを亡くした生活は、残された高齢者にとってやはり厳しいものなのだなあ、と感じた。
だけど、他人ごとではない。
そこのご夫婦だけでなく、私の父も、妻の母も兄も、突然亡くなっている。
前の日まで、いや亡くなった当日まで元気だったのに。
その年代は、50代や60代と、まだ若かった。
私も今、60代の中盤から後半を生きている。
いつどうなるか、分からない運命。
明日は我が身かもしれない。
墓の前で手を合わせ、まだそちらに呼ばないでくれよ、なんて祈ったりもしたのであった。