先日は、角田光代さんが紹介していた内田百閒の「サラサーテの盤」を読んだことを書いた。
そのほかに、彼女が強く推していたのは、開高健の「輝ける闇」という作品だった。
彼女は、「開高健を読むたび、打ちのめされる」ということを言っていた。
「開高健」の名前は知っていたが、彼の本は一冊も読んだことがなかった。
気になったので、図書館からその作品が載っている本を借りて、読んでみた。
文庫本などにもあるようだが、最寄りの図書館にはなかったので、検索して探した。
私が借りた本は、「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集 21 日野啓三 開高健」(河出書房新社)というものだ。
この「輝ける闇」は、開高が、自ら朝日新聞社の臨時特派員となってベトナム戦争に従軍し、その体験から生み出したルポルタージュ小説だった。
開高の書く文章の表現力の巧みさ、語彙力の豊富さに、まず圧倒された。
周囲の状況や心理描写などが、細かすぎるほど細かく書かれていた。
形容詞や比喩を駆使した表現が今まで私が見てきた文章と違っていた。
それは、自分が経験してきたものを、自分の五感すべてで感じ取ってきたものを、余すところなく表現しようとしているものだった。
見えたもの、聞こえた音、嗅いだにおい、感じた味、触ったものなどを、自分の思いに正確に書き表していることは、豊かという言葉ではいい切れない強烈な描写の表現だった。
使う言葉も、そんな言葉があったのかという言葉を駆使した文章によって、臨場感を高め、それぞれのシーンに引きずり込んでいくのだった。
主人公は、アメリカ軍に従軍しながら生活する。
戦地であるというのに豊富な物資があり、のんびりした情景が展開される。
主人公は、街のカフェに行き、シエスタ(昼寝)をたっぷりし、娼婦と寝る日々を繰り返している。
そのときにも、けだるい街の様子や、路地裏に漂う腐ったような臭いまで伝わってくるような気がした。
ただ、それが、話の終盤での広場での若者の公開処刑のシーンや、最後のジャングルでの壮絶な戦闘場面となると、怖い。
思わず戦慄にさらされながら、小説の終わりを目指して読んだ。
様々なことを考えさせられた。
開高健の作品を初めて読むには、私にはヘビーで毒気が強すぎたように思った。
単純に戦争の悲惨さを考えさせるだけのものではなかった。
自分の中やすぐそばにありながら、気づかない、いや認識していたくない人間の本性というか、本質というか、そういうものを見せられた気分になった。