ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

ほぼ同年代、Tさんの訃報を知って

2024-03-06 19:23:00 | ひと
有名人でなくても、届いた訃報に驚くことがある。
ましてその人が、自分とほとんど同じ年代の人だとなおさらである。
今日は、Tさんが亡くなっていたことを知り、ちょっとショックだった。

Tさんとは、私が長岡で単身赴任していた当時に知り合った、同業の方だった。
仲良くなったのは、同じ職務の研修で全国大会に出かけたときだった。
当時香川県高松市で開催された2日間の全国大会には、市内から6人が参加した。
私もTさんもそのメンバーだった。
同じ市内からまとまって行くということで、宿泊先も同じ宿だった。
当然のように、夕食時には懇親会が行われた。
酒が入ると、互いの心的距離が縮まる。
Tさんは、現職に就く前には、東京で、芸能プロダクションで音楽にかかわっていたという話をしていた。
その頃多くの人に知られたアイドルグループが解散することになったのだが、バンドメンバーが足りなくなった。
「あの解散コンサートで、ドラムをたたいていたのは、オレだったんだよ。」
…衝撃の告白だった!!!?
「へえ~、すごいじゃん。」
「なんでまた、新潟に戻って、まったく関係ないこの仕事してるんだよ!?」
一同から驚きの声が次々と上がったのだった。

懇親会後は、当然のごとく、2次会へ出ようということになり、高松の街にくり出した。
当時40代の私たちは、飲みながらカラオケをたっぷり楽しんだ。
さすが元音楽関係者だけあって、Tさんの歌はうまかった。
特に、松山千春やTUBEの歌が得意であった。
「長い夜」や「あー夏休み」などは、確かにうまかった。
浜田省吾や村下孝蔵で対抗(?)した私に、
「50foxさん(私)も、TUBE歌わない?アンタの声に、絶対合うよ」
などと薦めてくれたりもした。
高松で楽しい時間を過ごした私たちに、Tさんは、「長岡に帰ってからも、このメンバーで会をやろう」と、提案した。
全員異論なし!となると、Tさんは、この6人会の名前は、高松で仲良くなったのだからそれにちなんだ名前にしよう」と、話を進めた。
高松市には栗林(りつりん)公園という著名な公園があって、日中、研修会後に皆でそこを訪れていた。
「それにちなんで、この会の名称は、『ゼツリン会』とする!」と叫ぶTさんの声に、一同ズッコケたのであった。

その「ゼツリン会」は、長岡に帰ってからは、「長岡の奥座敷」である蓬平(よもぎひら)温泉の旅館で行ったりした。
そして、その1年後の夏には、私も含めて何人かは中越地区の長岡ではなく、上越や下越の方へ異動になってしまったのだが、Tさんから電話が来た。
「今夜、長岡でまたゼツリン会やるんだけど、50foxさんも来ないか!?」
「おいおい、急だなあ。」
「来るだろ。会場は、6時半から駅の近くの○○だから、待ってるよ。」
ガチャン。
まったく、なんて誘いだ。
ブツブツ言いつつ口元に笑みを浮かべながら、私は在来線から新幹線に乗り継ぎ、長岡まで急ぎ駆けつけ、旧交を温めたのであった。
その後は、残念ながらメンバーの都合が合わず、ゼツリン会は開かれなくなってしまったが。

とにかく周囲の人を楽しくさせることが好きで、それができるTさんの明るさには、人を引き付け元気にする力があった。

…高松から15年余りがたって、定年退職後の年賀状には、「これからは好きなことをします。年賀状も終わりにします。」と連絡が来た。
好きなことって、なんだろう?きっと音楽関係だろうな…?なんて思ったのだった。
まだあれから、何年もたってないように思えるけれど、…残念だ。
私より1歳年上なくらいだったはず。
Tさん、楽しい時間をありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。  合掌。
コメント (2)
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