昨日も少しふれたが、今日で東日本大震災からもう13年になる。
今日の新潟日報紙の日報抄は、浜田省吾の「アジアの風 青空 祈り part2 青空」の歌を取り上げていた。
その歌の一節には、
氷雨降る早春の午後
押し寄せる高波に砕けた未来
という部分がある。
その一節の前には、
透き通る真夏の青空を
切り裂いた白い光 黒い雨
あれはいつ?
という詞がある。
この歌の盛り上がりでは、
あまりに多く血が流された
とてつもない悲しみが襲った
あまりに尊い犠牲払った
充分過ぎるくらい学んだ…違うか?
と歌い上げる。
戦争と原爆、東日本大震災の津波・原発被害が歌われ、おごれる権力者たちの愚行を訴える。
日報抄の文章では、浜田省吾(以下、浜省)が広島出身で原発や原爆を取り上げた曲もいくつかあることにもふれながら、大震災による津波で多くの死傷者が出たことや、東京電力福島第1原発の事故で多くの人が被ばくを避けるために故郷を追われたことなども書かれていた。
13年前に原発事故の恐ろしさも思い知ったはずなのに、国は原発を積極的に活用する方針に転換した。
そしてまた、能登地震が起こり、原発事故に対する不安が改めて鮮明になった。
浜省は、「充分過ぎるくらい学んだ…違うか?」と叫ぶように歌っているのが切ない。
そのような内容が書いてあった。
そうか。
この日報抄の執筆者も浜省のファンだったのか、と思った。
この曲は、2015年に発表されたアルバム「旅するソングライター」に収録されている。
15のタイトル曲があるが、その中で、14番目が「アジアの風 青空 祈り」で、それは
「アジアの風 青空 祈り part1 風」
「アジアの風 青空 祈り part2 青空」
「アジアの風 青空 祈り part3 祈り」
という3部構成になっている。
日報抄に取り上げられたのは、2つ目の曲だった。
アルバムの中の1曲なんて、ファンでもなければ知らないだろう。
しかも、筆者は、毎年今頃になると、この歌詞が頭に浮かぶのだそうだから、よく聴き込んでいると分かる。
さて、浜省は、為政者を糾弾するためだけにこういう歌を歌っているのではないだろう。
そのベクトルは、自分にも、向けられているのが、他の曲を聴いていると分かる。
その前のアルバム「僕と彼女と週末に」
で、そのタイトル曲では、
この星が何処へ行こうとしてるのか もう誰にもわからない
権力と権力のSee-Saw=Gameから降りることさえ出来ない
と歌い出すが、後半では、
いつか子供達にこの時代を伝えたい
どんなふうに人が希望をつないできたか
君を守りたい ただひとりの 君を守りたい この手で
愛を信じたい 人の心の 愛を信じたい いつの日か
君を守りたい ただひとりの 君を守りたい この手で
愛を信じたい 人の心の 愛を信じたい 今こそ
…と自分の決意を繰り返し歌っているのだ。
困難な状況に陥っても、自分は、希望をつないで生きていくぞ、と。
人としての愛を信じて生きていくぞ、と。
この力強さが浜省の歌の魅力でもある。
件の日報抄は、最後に、
浜田さんの歌声が切ない。まだまだ学ばねばならないのか。
という文章で締めくくられている。
権力のある人たちも、市井の私たちも、学ばねばならぬことがたくさんあることを常に忘れてはいけない。
単に自然災害の恐ろしさを思うだけでなく、3月11日は、確かにそんな意識をする必要のある日だ。