今日9月16日は、敬老の日。
先日の「チコちゃんに叱られる」で、敬老の日は、兵庫県の「としよりの日」から来たのだということを知った。
特に故事とは関係なかった、と知った。
別に、それが理由で敬老の日を意識したわけではないが、今年は初めて自分に関係のある日なのだと意識した気がする。
総務省が公表した人口推計によると、65歳以上の高齢者は全国で3625万人と過去最多だという。
前年比で2万人の増。
総人口に占める割合も過去最高の29・3%なのだそうだ。
新潟県では、前年に比べて3000人減の71万2千人だったそうだが、県人口に占める高齢化率は33・9%で、前年比0・3ポイント増であり、42年連続で過去最高を更新中だという。
市町村別の高齢化率は、最高が阿賀町の52・3%。
かつて勤めた時から10年以上がたち、あの頃よりさらに少子高齢化が進んだ。
だから、10数年前に私が勤めた職場は、もうすでになくなってしまった。
高齢化率が最も低かったのは聖籠町の27・4%で、新潟市は30・9%だったというが、その数字だって「うわっ、低い」と思えるほどの数字ではない。
さて、高齢化率が33・9%ということは、県内の3人に1人は高齢者だということだ。
かくいう自分も、そのone of them なのである。
自分が高齢者の仲間入りをしたのは一昨年だったが、特別な感慨はなかったといってよい。
まあ、年金がおりるようになって、もらえる年齢になったのかとは思ったが。
不思議なもので、去年もおととしも「敬老の日」だからといって、自分がその対象として関係しているとは思わなかった。
年齢は高齢者になっていても、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼んでくれる孫がいるわけでもない。
自分たちがジジババになっているという自覚はなかったのである。
だが、今年は、自分のことと感じる割合が高くなった。
それはやはり、自分の体力や体調が少しずつ落ちてきているせいだろう。
走ることは好きだったのに、少し速く走った翌日などにはクラクラしそうになったり疲労感を感じたりするようになってしまったから、無理をしないジョギング走りになってしまった。
今年の春には、COVID-19感染症陽性となり、苦しい時を過ごした。
その前後から、内臓がどうも今までとは少し違うような感じになっている。
自分の周囲にいる同年齢や少し下の人でも、体力の衰えや体の不調を言う人が増え、それを他人事とは思えなくなった。
そのうえ、自分の親世代の人々が本当に少なくなってきた、ということがある。
少し前までたくさんいたその世代の人たちがいなくなり、次にいなくなるのは自分たちの世代なのだ、ということをひしひしと感じるようになってきた。
それを実感させるのが、自分が影響を受けた、同じ世代や少し上の世代の有名人たちが、何人もこの世を去っていったということ。
そんなようなことが、自分を高齢者だと実感させることにつながっている。
奇しくも先週末、ほぼ同年齢で40代ではすごく世話になった人が亡くなったという報せが届いた。
突然の訃報にはただただ驚いた。
10年ほど前には前立腺がんなどを乗り越えた人だったが、先週具合が悪いからと入院の措置がとられた翌日、急逝したのだという。
まだ70歳にもなっていないのに、急逝だって…?
同世代の訃報を聞き、自分たちの世代でもいつ人生の終わりを迎えるか分からない。
そんなことを急に身近に感じたのである。
今日は敬老の日なんだって…と、簡単に流せなくなった今年の敬老の日………。