昨日は、県都新潟で、かつての採用同期のほぼ同年代の仲間の集まりがあった。
懇親会が中心の会なので、酒が入るから、新潟まで行くのに電車(JR)を使った。
新潟駅を利用するのはいったい何年ぶりだろう。
現職を退いてからは、新潟市に行くことはあっても、車で行くことが多かった。そしてこんなふうに飲みを伴う用事はなかった。
だから、電車に乗って新潟に行くことはなかったのである。
その間に、新潟駅は大規模な改修工事を行った。
ホームから駅舎から大きく変わったのであった。
新潟駅に着くと、在来線ホームも3階になっていた。
以前は1階だったから、多少の戸惑いもあった。
その戸惑いが、ホームから階段を下りて2階に行くと、今度は混乱に変わった。
どっちに行ったらいいか、よく分からないのである。
「東改札」なんて案内看板を目にしたが、それは以前の西口の方向にある。
なんだか全然分からない。
仕方なしに、人が動く方向に流れていくと、途中に「古町 万代」方面を示す看板が現れた。
そちらに行くと階段があったので、1階に降りることができた。
降りたところは、かつての新潟駅の正面につながっていた東大通に行くようになっていた。
それだとよくわからないので、かつてのバスターミナルがあった近くの道を見つけ、やっと駅前の知っている道に出ることができた。
やれやれ、であった。
集まりの会場に着いた。
今回は、幹事グループの一員なので、さっそく座席を決めるためのくじを準備してテーブルに並べたりした。
久々の集まりなので、こんな手間ができることも、なんだかうれしかった。
いい会になりそうだ。
出席したのは、全メンバーの3分のⅠくらいの数であった。
そのメンバーが、三三五五集まって来る。
懐かしそうに、知っているメンバーに話しかけ、あちこちに話の輪が咲いている。
感染症禍ではこういう会は開かれなかったし、自由な語らいもなかったから、そんな話し合いの風景も懐かしい感じがした。
開会に先立って、先日亡くなったAさんの冥福を祈る意味で、黙とうが行われた。
開会のあいさつでは、代表の方から、その葬儀のことについても紹介があった。
よき人であったから会場に250人もの参列があったことや、そこに仲間として多くの参列者がいたことなどについての感謝の言葉もあった。
会が進み、懇親の場になった。
貴重な機会なので、開宴から20分くらいしてから、出席メンバー一人一人から「近況報告」の機会を設けたのだが、これがまた、とんでもないことに…。
みんな、高齢者になったせいか、話が長い!
会場は、2時間飲み放題ということになっていたコースだった。
なのに、30人余りがその近況報告を行っていたら、なんと1時間半近くもかかってしまった。
飲み放題の残りが、10分しかなくなってしまった。
(モッタイナイナア…これこれ、言うんじゃない)
まあ、そう言いながらも、すべからく高齢者の仲間入りをしている同輩たちの話は、1つ1つが面白かった。
さすがにこの年齢になると、地域や団体の役職を務めている人が多かった。
自治会長、民生・児童委員、人権擁護委員、保護司、退職者団体の会長、副会長、事務局長、…etc。
住む地域によっては、2ケタの役職をもつ者もいた。
「こんな自分からなんでこんなに立派になった息子が育ったのだろう」と言う者。
「孫が○人いて、可愛くて…」と言う者。
「JRの特別な切符を使って夫婦で旅に出ている」と言う者。
なかには、自由な時間が多いので、
「人生で今が一番幸せです」なんて言う者もいたくらいだ。
席を動いて語り合える時間は短かったが、「たくさんの近況報告を聞いたことが一番よかったよ」と言ってくれる人が何人もいて、よかった×2。
喜んで帰ってくれる人が多くて、幹事団の一員として、うれしかった。
やっぱり、人と人とのつながりが一番だね。
長年、同世代の仲間としてやってきたものだから、喜びも悲しみも共有してきたものが多い。
人とのことでいい時間が持てるのが本当にうれしくありがたい。
久々の新潟での会を終え、満ち足りた気持ちで再び新潟駅から帰路に着いた。
よくわからん新潟駅の構内であったが、帰るときには、なんとか電車の出るホームに行くことができたよ。
久々に飲んだから頭痛が出たけど、それ以上にいい気分だったので、ま、いいでしょう。