図書館の新潟県関係の出版コーナーに、本書「まんが 赤塚不二夫伝」を見かけた。
新潟県は、多くのマンガ家を生んだ県として認識されている。
その先駆者のような存在として、ギャグマンガの王様だった赤塚不二夫が上げられる。
だけど、赤塚不二夫は、少年時代に新潟県で暮らしたことがあったということで、純粋な出身者ではない。
そのことは知っていた。
では、彼はどんな人生の軌跡を描いたのかというのは、「赤塚不二夫自叙伝 これでいいのだ」(文春文庫)という自伝を書いているからそちらを読めばいい。
だけど、文字ばかりの本ではなく、マンガ家だったのだからマンガの多いものの方が読みたいなと思ったら、本書「まんが 赤塚不二夫伝」が目に入った。
これを借りることにした。
本書は、文庫本であり、内容の大部分は赤塚不二夫本人が描いたマンガでできている。
だが、出版されたのは、彼の死後であり、彼が意図して編集したものではない。
これは、単行本未収録の自伝的まんがを集め、赤塚不二夫の人生をたどろうとしている。
第1章は、自伝的マンガ論。
満州から引き揚げて家族と暮らした奈良県での少年時代の、友人たちとの日常が描かれた連載マンガがあった。
マンガを描くのがうまかったから、それを見せたり描いたりすることによって、ガキ大将からいじめられずに済んだという話は、子ども時代の感覚としてなるほど、と思った。
また、手塚治虫のようなマンガ家を目指していた、トキワ荘での生活が描かれた作品もいくつかあった。
その中でも、石ノ森章太郎との関係はかなり濃かったことがわかった。
先にマンガ家として世に出た石ノ森にはずいぶん世話になったようだが、友人としての存在で、ずいぶん頼りになったようだった。
マンガ家になるための苦しい生活でありながら、音楽に夢中になってオーディオ機器を買う話なども、若さゆえの突っ走った逸話だ。
また、マンガを採用してくれるようにと出版社を回り、「手塚治虫のようなマンガ家になりたい」と赤塚は言うが、マンガの編集者からは、ダメ出しの連続だった。
あるとき、「手塚治虫のまねではない、自分にしか描けないマンガを」というようなことを言われた。
それが、後の、個性豊かなキャラクターたちの誕生につながっていったのだった。
第2章は、「記念的まんが編」。
中学生の頃に描いた幻の処女作『ダイヤモンド島』の原画が載っている。
現存する20枚の原画に登場する人物たちは、なるほど初期の手塚治虫の作品に出てくる人物たちにそっくりだ。
ほかに、雑誌『漫画少年』に初めて採用された4コマ漫画なども載っていた。
また、新潟県新発田市出身のマンガ家寺田ヒロオのアドバイスで完成した作品「おかあさんのうた」や、ほかのマンガも載っている。
読んでみて、赤塚本人が意図的に選んだわけではないし、寄せ集めたものを自伝的に編集したマンガ本だから、特に心に残る自伝マンガ本、とはならなかった。
でも、トキワ荘関係のマンガからは、マンガ家として世に出たい若者の熱意は感じられた。
また、ギャグマンガに登場した個性豊かなキャラクターは、奈良県での少年時代にたくさん遊んだ仲間がいたからこそ生まれたと知ることもできた。
実を言うと、私も、子どものころはマンガ家になりたいという夢をもっていた。
真っ白な無地ノートに、定規で線を引いてコマ割して、鉛筆でストーリーマンガのようなものをたくさん描いたものだった。
だから、子どものころ、マンガ家になるという夢を実現した先達のマンガ家たちの人生には引き付けられ、憧れるものがあった。
本書を読んで久々にそんな思いがあったことを思い出したよ。