ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

2022年が終わる

2022-12-31 22:20:00 | 生き方
2022年、今年も間もなく終わる。
目の前には、テレビ、紅白歌合戦。
三山ひろしが、けん玉の世界記録に挑戦といって、歌う間に120数人が連続して成功していた。
世界記録といいながら、けん玉の連続記録に挑戦するような国ってあるのだろうか?
平和なものだ、と思う。

紅白歌合戦が例年のように放送されていることも平和だからこそ。
こうしている間にも、ウクライナにはミサイルや砲弾が飛んでいるのだろう。
今年は、2月に起こったロシアのウクライナ侵攻で、世界中が揺れた。
燃料や食料の危機や物価高の経済不安を呼び起こし、核兵器使用への不安を高めた。
この時とばかりに、ミサイルを飛ばす国もある。
世界が不安な情勢のまま、年を越す。
権力者の思惑で人の命が軽んじられるようなことはあってはならないはずなのに。
新しい年には、争いが収まり、人々の微笑や笑いがあふれる平和に包まれることを、強く願う。

そんな今年だったが、個人的には大きなことは起らないまま1年が過ぎる。
9年前の大晦日、娘が入院する病院を見上げながら、暗い中を暗い思いで帰ったことを思い出すと、すべてがうまくいっているわけではないが、まあいいじゃないか、と思える。

ただ、高齢者となったせいもあるだろうが、今年は、人の命には限りがあるのだということを感じさせられるように、自分がいろいろに影響を受けた著名人が何人も亡くなった。
同じ新潟県人では、マンガ家の水島新司氏。
「ドカベン」や「あぶさん」は、愛読書だった。
マンガから新潟愛の強さも伝わってきた。
愛読といえば、トラベルミステリーの西村京太郎氏。
十津川警部や亀さんが、どんなことから列車や地方の路線にからむのか、面白く話を読んだものだった。
面白いといえば、ドリフターズ。
いかりや長介、志村けんに続いて、仲本工事氏も、この世を去った。
少年時代から大人になっても、笑わせてもらったメンバーの大切な一員だった。
大切な一員といえば、笑点メンバーで中心的な活躍をしていた三遊亭円楽。
楽太郎の頃から、毒舌の強いキャラだった。
強いといえば、アントニオ猪木。
ここでも書いたことがあったが、「イノキボンバイエ」を聴いて心を高ぶらせていた時代もあった。
そして、「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」の道の詩は、深いものがあった。

自分が生きてきた中で、自分の生活を楽しく豊かにしてくれた人たちだった。

そして、私の父と同い年で、かつて父と親交があった方も、亡くなった。
昭和3年の生まれだったから、私の父のように50代の途中で亡くなったのではなく、90歳を超える長生きにはなった。
だが、知っている方には、いつまでも元気でいてほしいと思っていたから、残念だ。

さらに、私が正式に採用された年に、比較的近い場所で働き始めた私とほぼ同じ年齢の方の名前を、お悔やみ欄に見つけた。
まだ60代だから、早すぎる。

しかし、命には限りがある。
その、「限り」がいつ来るのかは、わからないものだということを、改めて思い知らされた。

命に限りがあるなら、
どう生きるか、何を大切にして生きていくか。
新たな年は、そんなことを自分に問いかけながら、日々の時間をもう少ししっかり過ごしていきたいな。
そんなことを思う、一年終わりの日であった。

それでは、皆様。
よいお年を!
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