ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「走ることについて語るときに僕の語ること」(村上春樹)を読む

2018-12-21 16:26:08 | 読む


週に2回とはいえ、走るのが当たり前のようになってきた。
そして、ハーフマラソンは普通に走り切れるようになってきた。
自分のことをおいといて、近頃は走る人が多くなったなあ、と思う。
大会に出たりすると、その人数の多さに驚くこともある。

みんな、どんなことを考えて走っているのかな?
走ることについて、どんなふうに考えているのかな?
などということも、時折考えるようになった。

それは、毎日走って練習がんばっています、などと言えるレベルの人の考えではなく、私のようなごく一般人のランナーについてのものである。

走ることって、何?

そういうことを思うようになってきたとき、書店で村上春樹が「走ることについて語るときに僕の語ること」という本を著していることを知った。
あの毎年ノーベル文学賞の候補にも挙がる人が、そんな本を書いていることを知らないでいた。
読んでみると、走ることだけではなく、小説家になる頃のことやなろうと思った動機などについても書いてあり、なかなか興味深かった。

2005年から2006年にかけた時期に、走ることに関することを中心にして、書いていたものだった。
彼は、私のような「なんちゃってランナー」ではなく、きちんと毎日走っていた人だとわかって、驚いた。
しかも、40代後半で3時間30分前後で走っていたというのだから、私とレベルが違うなあ、とも思った。
まあ、もう少し早く走り始めていれば…とも思うが、その少し早い頃に私は2,3kmくらいなら走れていたけれど、5km,10kmを走るようなことはなかった。

そんなことはどうでもいいのだが、読みながら、自分との共通点をいろいろ感じることができて楽しかった。
走る時には、何も考えていないこともそうだ。

“僕は走りながら、ただ走っている。僕は原則的には空白の中を走っている。逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている、ということかもしれない。”

“いずれにせよ、僕はもう一度「走る生活」を取り戻している。けっこうまじめに走り始め、今となってはかなり「真剣に」走っている。それが五十代後半を迎えた僕に何を意味することになるのか、まだよくわからない。”

まだほかに、小説と走ることの関係とか、初めて42㎞を走った時や100kmのウルトラマラソンを走った時のことなども、出てくる。
新潟県の村上市のトライアスロンのことも出てくる。

2005年のニューヨークシティーマラソンへの出場と好記録を目指して走っていたようだが、うまくはいかなかったようで、しばらく時間をおいてから軽く扱うだけにして書いていた。
また、トライアスロンでの失敗を払拭したりするところも書いてあり、面白かった。

人間らしい感覚、とでもいうのだろうか。
内容的には大したことは書いて無いところでも、スポーツ選手のドキュメントを読むよりも、深く感じるものがあった。
さすがに小説家、豊富な語彙と表現で文章が書かれていたために、飽きることなく読み進むことができた。

走ることに関するエッセー集、ととらえることもできるが、小説家村上春樹の人生が語られていて、単純にエッセーとは言えないようにも思う。

走ることについて、よい一冊に出合った。

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12月の歌として、「一緒に…」(MAX)も好きな歌だ

2018-12-20 22:26:31 | うた
前回書いたのは、山下達郎の「クリスマスイブ」だった。

12月のこの時期というと、あわただしい年の瀬の中、

クリスマス
冬の始まり=雪の降り始め
センチメンタルな感情

そんなものが付いてまわる。
その思いに沿った歌が、いいなあと思う。

達郎の「クリスマスイブ」にもこれらのことは歌われている。
だから、好まれる歌になっているということもあるのだろう。

私が好きな12月を歌った歌に、流行ったのは19年も前になる歌がある。
MAXの「一緒に…」がそれだ。


歌詞の1番に当たるところでは、次のような情景が歌われている。

偶然の帰り道 意味のない言葉と 白い息の横顔 思い返してる
靴紐のとれた坂道 粉雪が落ちて 君の背中光っていたね
少し大人びてたスーツが 二人の距離を ちょっと遠くしていた

2番はこんなふうに歌われている。

北風吹く三叉路 ここでさよならだね
胸が痛くなるから 先に歩き出そう
約束なんて言葉さえ 口には出せない 久しぶりのせいじゃない
ふざけあった放課後 好きな子の名前聞いたね 今ではとても聞けない


…歌詞を聞いているだけで情景が目に浮かぶ。
初めて聞いた時には、中年真っ盛りの年代になっていたが、昔を思い出してか胸がキュンとする思いになった。

この歌の中には、やはり先ほどの3つのことがすべて含まれている。
クリスマス
冬の始まり=雪の降り始め
センチメンタルな感情

「12月 この街で」とか「クリスマス そばにいて」などの歌詞が繰り返され、この時期のことを歌っている。
寒さの中、粉雪が降り始め、男性の背中に光っている。
高校時代は、好きな子の名前まで聞いたりして気安く話ができたのに、今ではそんな話題は話せないことから、好きになっていた自分に気がつく。
「一緒にいたいとはじめて思った」自分に驚きながら、気持ちがどんどん高ぶっていく。

目に浮かぶ情景と揺れる若い女性の心情が、聴く方に、複雑な感情を呼び起こす。
12月の歌だから、曲のアレンジに、「クリスマスイブ」同様に、鐘の音を思わせる音も入っていて、気分を盛り上げる。

…まあ、そんなところがどんどん伝わってきてしまうのが、この歌が好きな理由だろうか。
MAXといえば、だいたいアップテンポな曲ばかりで、ダンスがうまい女性グループというイメージだった。
だが、この「一緒に…」は、当然激しいダンスはなく、歌で勝負していたのが印象的だった。


この歌に登場する男女の年齢からは、もう40歳以上も年をとってしまっている私だが、この歌はいつ聴いてもいいなあ、若い頃のときめきが伝わる歌だよなあ…と思う、大好きな歌である。


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「クリスマス・イブ」が流れると思い出す

2018-12-19 21:21:58 | うた

今年も、山下達郎の「クリスマス・イブ」が、流れる季節になった。
今年も、CMに使われて、テレビから流れてくるのを聞いた。
オリコンの週間シングルランキングで、今年もランクインしたそうだ。
1987年度から、33年連続で更新されているとのこと。

ただ、この歌については、CMで使用され始めた1987年の頃には、あまり聞く耳がなかった。
仕事のせいだったのか、それとも結婚した年というせいだったのか、…???
そう考えていたら、この年は、もう新潟で働いていた。
そして、この曲をCMに使ったのは、JR東海だった。
新潟に、JR東海の路線は通っていない。
だから、この歌がCMで新潟県内に流れていたのかどうかはよくわからない。

「クリスマス・イブ」を名曲だなあと思って、CDを買ったのは、それから数年後のことだった。
当時学級担任の仕事をしていたが、そのとき勤めていたところには、バトン部があった。
バトン部の子たちが、校内の発表会で振り付けを披露したのは、この曲に合わせてのものだった。
リズムが振り付けに合わせやすい曲だったこともあるだろう。
曲のアレンジが斬新だったせいもあるだろう。
「その曲を強く推したのは私なんだよ。」
と、当時の教え子が言っていた。
その子が、バトンを振って生き生きと演じていたのを、今も思い出す。
あの時、いい曲だなと思って、私は、それが入っている山下達郎のアルバム「TREASURE」を買って、くり返し聞いたものだった。


その頃から、もうおよそ30年が経過した。
今も、「クリスマス・イブ」のあの特徴的な前奏が始まると、私には、健康的な白い半袖・スカートの衣装でバトンを振り踊っていたあの子のことを思い出す。
その子も、2児の母親になって元気だという話を聞いていたのだが、5年ほど前に住所がわからなくなってしまった。

でも、会えたら伝えたい。
あの曲の素敵さを教えてくれてありがとう、と感謝しているよ。
ずっと元気でいてほしいな、と思っているからね。

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J2新潟、ブラジル人3選手と1シーズンで契約満了

2018-12-18 22:05:22 | アルビレックス新潟
昨日、正午過ぎ、サッカーJ2アルビレックス新潟からのメールが届いた。
戸嶋祥郎、契約更改…がそのメールだった。

これが、オフになってから初めてのJ2新潟の契約更改のニュースだった。
例年に比べても、かなり遅い選手の契約更改のニュース。
J2だけに、他チームから引き抜かれる選手がいないかどうか、気になる。
去年は、J2落ちに伴って、かなりたくさんの選手が新潟を離れた。
今年はどうだろう、と、気になるところなのだ。
真っ先に、生きのいいルーキーシーズンを送った戸嶋が更改したのは、当然とはいえうれしいことだった。

そして、今日も正午過ぎにメールが来た。
しかも、立て続けに3つである。
12時3分、5分、6分。
3人も更改したということかな?と思って、12時半頃のぞいて見た。
違っていた。
最初のは、FWヘイスの契約満了だった。
残り試合も少なくなってから、札幌から獲得したヘイス。
1試合も出場しない、秘密にしていた秘密兵器のままだった。

その2分後には、FWターレスの期限付き移籍期間満了の報せ。

けっこう試合に出てがんばってくれたけれど、シーズン初めの太り過ぎがあったせいか、本人が移籍会見した時に言ったような、得点王とは程遠い4ゴールだった。
来季爆発的に活躍するとも思えない。
契約満了もやむを得ない。

最後が、GKアレックス・ムラーリャの期限付き移籍期間満了の報。

正GKとして多くの試合に出た。
さすが元ブラジル代表、というプレーもあったが、新潟の失点は得点よりも多かった。
どうしてもつなぎとめておきたいとはならなかった。

2018シーズンに新潟に在籍したブラジル人選手たちは、4人のうち3人が契約満了だった。
3人とも、1シーズンの短い付き合いだったなあ…。
あとは、大宮から期限付き移籍してきて、最も新潟のために役に立ったMFカウエとの契約がどうなるか、気になるところだ。
来季は、5億円の減収となるそうだから、選手に高額な金額は提供できないだろう。
しかし、カウエだけは、少し高い金を出しても新潟に留めおきたい選手だ。


…こんなふうに、契約関係のニュースに一喜一憂するシーズンとなった。
サッカーのシーズンオフは、短い。
あとひと月後には、新シーズンの活動が始まっているはずである。
どういう選手が残り、どういう選手がさらにいなくなり、どういう選手が来るだろうか?
予算がないから大きな期待はできないが、報せを楽しみに待つことにしよう。
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卓球 10代なのにもっている精神力と高い技術

2018-12-17 21:29:58 | スポーツ
昨日の午後からは、BSでバドミントンやら卓球やらのワールドツアーファイナルやグランドファイナルの決勝戦を生放送していた。

日中を中心に放送されたバドミントンでは、残念ながら、タカマツペアが女子ダブルスで優勝しただけにとどまった。
シングルスの女子奥原も、男子桃田も、ストレートで敗れてしまい、優勝はならなかった。

夜の放送となった、卓球は、バドミントンほど期待していなかった。
男子シングルスと女子ダブルスが決勝に進出したが、決勝の対戦相手がいずれも世界一の実力国中国の選手たちだったからだ。
男子シングルスの張本はまだ15歳だから、まだ精神的にも技術的にも優勝には早いだろう。
でも、女子ダブルスの伊藤美誠・早田ひななら、何度か優勝経験があるからいい試合するだろうな、とは思っていた。

男子シングルスは、途中から試合を見たが、そのときはゲームカウント1-1だった。
張本が対戦していた中国の林高遠は、準決勝で日本の水谷に勝っていた。
強いボールを時折打ち込み、簡単に得点を許さず、接戦となっていた。
第3ゲームから、11-9で3ゲームを連取した張本が、優勝の栄冠を勝ち取った。

すごいと思ったのは、接戦を制することができる精神力だった。
第2ゲームは13-15で落としている。
だから、また落とすかもしれない、というネガティブな思考に陥ってもおかしくない。
現に、今年はリードしながら負けた試合も見かけ、大事なところで弱気になってしまう若さが見られたりもした。
ところが、この試合は、後は取られたらジュースになるというところで、大事な1本を相手に渡さないという精神的な強さが見られるようになった。
この精神的な成長は、なかなかすごいと思う。

そして、それを支えた技術は多いのだけれど、特にチキータには驚いた。
かつて私が卓球をしていた時には、チキータなんて技はなかった。
手首を中心にバナナのような動きをする技だからその名が付いたという。
私たちの時代には、バックハンド・ドライブはあったが、それは台よりもっと体に近いところに来なければできなくて難しい技だった。
それなのに、台上で同様にこすり上げて回転をつけて相手コートに入れるなんて、そんなさらに難しい技が、卓球界でできて当たり前になるなんて、思いもしなかった。
そのチキータを駆使しているのが、張本。
9-9で迎えた最後の場面で、どんなサーブが来るかわからないなかで、レシーブにこのチキータを連発。
2本いずれもノータッチで抜き、勝利を手にした。
精神力と、技術。
それを兼ね備えていないと優勝はできないのだと、思い知った。

そのことは、女子ダブルスでも起こった。
伊藤美誠・早田ひな組が優勝したが、3ゲーム、11-9,13-11,12-10である。
まさに接戦。
そこを勝ち抜くのだから、精神力の強さは並みではない。
中国選手たちのボールは、非常に強く威力があるから取りづらい。
だが、日本の選手たちには、ふところの広さ・深さがあった。
競ったところで、今まで見たことのない技術が出てくるのである。
相手は、想定外のことが起こるので、対応できなくなる。
そんな場面を何度も見た。

以前なら、揺るがぬ精神力をもち最後に奥の手が出るのは、中国選手だった。
それが、今はこうして日本の10代の選手たちがもっているということに、すごさと時代の変化を感じた。

彼らは、向上心があるから、きっともっと強くなる。
頼もしさと末恐ろしさも感じた、卓球の2018グランドファイナルであった。
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埼玉から帰る日の朝

2018-12-16 21:57:50 | 自然・季節
今朝の埼玉は、冷え込んだ。
8時過ぎに外に出てみたら、日陰の植物たちが白く見えた。
近寄って、目を近づけてみると、霜が降りているのがわかった。

霜が降りているのを、自分の目で見たのはこの秋から冬にかけて初めてである。
久しぶりに霜をしげしげと見た。

じっくり見てみると、凍った部分が、葉からとげのように伸びている。
花が咲いたわけではないが、花に似た美しさがあると感心した。


霜が降りただけあって、周りの空気は冷たい。
しかし、日陰から日なたに出ると、日差しが暖かい。
そのせいだろう。
近くの家に住んでいるのか、それとも野良なのかわからないが、一匹の白いネコが来て、陽だまりで丸くなった。

目を閉じて、丸めた体。
本当に気持ちよさそうだった。

こんなふうに冷え込んでも、日差しがあると十分に暖かい。
その心地よさがいいなあと思った。


ただ、そんな埼玉でも、滞在期間に自分の体で驚いたのは、肌の乾燥である。
顔の表面のあちこちが、なぜか痛むのである。
何かしたかなあ、思い当たることがないなあ…と考えていたら、
顔が突っ張るような感じもある。
そこで気がついたのは空気の乾燥であった。
空気が乾燥しているから、新潟の湿気の多い空気になれた身には、肌荒れとなってしまうのである。
その影響を受けたのは、顔だけではない。
顔から最も遠い、足のかかとがガサガサになってしまっていた。
そのために、夜寝るとき、かかとの肌荒れがシーツに引っかかってしまい困った。
仕方なく、靴下をはいて寝るようにした。

新潟に帰って来て、空気は冷たいけれど、湿気が多いので顔の突っ張り感は消えた。
雪も幸い積もってはいなかった。
今朝は、当たりを薄く白くしていたようだが、昼にはなくなっていたらしい。

12月に埼玉に行っていたのは、子どもたちが小さい頃だったから、もう20年以上も前になる。
久しぶりにこの時期に訪れて、いろいろな違いにふれることができ、面白いと思えたこの4日間であった。
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風は冷たかったけれど

2018-12-15 20:28:34 | RUN
埼玉滞在3日目。
妻には、家や周囲の管理のほかに相続その他様々な手続きを進めなくてはいけないという大変さがある。
そのためには、昔の流行語「アッシーくん」として、役所関係や金融関係をあちこち巡ったりした。
あまりよく知らなかった道や住所も大分分かってきた。

まずは3日間で計画してきたことはあらかた済ますことができた。
今日は、よく晴れていたが、風は冷たかった。
でも、新潟の12月ではこんなによく晴れている日はめったにない。

もったいないので、夕方走りに出た。
いつもの河川敷は夕日が川面に反射してまぶしかった。

時折北の方角に美しい曲線を描いた浅間山が見えたりもした。
いいなあ。冬なのに毎日こんな青空や夕日が見られて。
そう思いながら7キロ半ほど走り、折り返した。
完全に暗くなる前に帰ろう。
振り返ると、夕焼け空がきれいだった。


いいなあ、埼玉の冬。
荒れた天気や雪の心配がないことがうらやましい。
そんなことを思いながら、年内最後の埼玉の走りを終えた。

明日は、さよなら、埼玉。
冬を越えたら、また来るよ。
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はびこるシュロとの戦い

2018-12-14 20:22:35 | 草木花
新潟に住んでいると、こんな戦いはしなくてもいいだろうなと思う。
それゆえに、貴重な経験になると思う。
今日は、埼玉は昨日以上に晴天。
埼玉の家にはこんなにも大きくなったシュロの木がある。
このシュロが種を落としているのか、家の周辺には無数のシュロが生えているのである。
小さいものから私の背丈に近いものまであった。
それらを、巨大になったもの以外、みんな抜くか切り倒すかした。
2時間くらいかけて、がんばった。
シュロは大きくなってきても、幹は切りやすい。

結構やわらかいのである。

いくらか大きいものは切る。
小さいものは、抜く。

これを繰り返した。
また、他の伸びた木々や生け垣なども刈ったり切ったりした。

新潟だと、シュロとの戦いはないし、12月に庭木の刈り込み作業をすることもあるまい。
作業を終えて、さっぱりした。
腕が疲れて、午後から指がプルプル震えて困ってしまったけどね。
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車でわずか3時間半の距離の違いなのに

2018-12-13 20:48:48 | 自然・季節
今月もまた、埼玉の家の管理の一端として、関越自動車道を3時間半余り飛ばして埼玉にやって来た。
関越トンネルに入る前はみぞれだったのに、抜けたら空は青空。
天気のあまりの違いと急変に、方向は逆だが、思わず川端康成の「雪国」を思い出した。
いい青空だ。
県境を越えると、どうしてこんなにも天候が違うのだろう?

渋川で関東平野の一角に入ると、やがて右後方にきれいな形で真っ白な雪をかぶった浅間山が見えた。
運転中だから、あまりよそ見はできないが、
大きさとラインの美しさに、神々しささえ感じた。

埼玉のあちこちの家の庭先には柑橘類の実がなっているのをたくさん見た。
暖かいのだなあ…。

今日のやるべき予定を終えた後、日没は過ぎたが、走りに出た。
山に沈んだ夕日の後、夕焼け空がきれいだった。

近くの森林は、まだ紅葉の最後の美しさを保っていた。

車でわずか3時間半の距離なのに、いろいろと違うものだなあと、改めて感じている。


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12月にふさわしい(?)花が咲いていた

2018-12-12 22:18:45 | 草木花
12月を迎えたある日、娘といつもと違う道を散歩していた。
そのとき、道沿いの家の庭に、「おや、珍しい」と思う花が咲いていた。
それが、これ。



12月と言えば、クリスマス。
クリスマスツリーは、針葉樹のもみの木。
そして、そこに鈴やリースなどの飾りをつけたりするわけだ。
おや、この植物、葉がもみの木に似ているとも言えなくもない。
花の形は、細長い鈴のようにも見える。
しかも色は、赤。
赤や緑というのは、クリスマス・カラーとも言われる。
12月の今、咲いている。
面白いなあと思って、足を止めて写真に撮った。



残念ながら、名前はまだわかっていない。
そのうち、ひょんなことからわかるのではないかな?
そう期待している。
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