ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

暑さを避けつつ花見RUN

2019-07-11 21:25:21 | RUN
夏になると、気温が上がって走りにくい。
日差しに照らされたまま走り続けるのは、汗はかくし体力の消耗が激しい気がするし、どうも苦手である。
日陰が多いところを走りたいと思い、週に一度は森林公園(?)の一角を走ることが多くなった。

日なたを走ってきたあとに日陰に入ると、ひんやりした感じになって、気持ちがいい。
緑が目に入るというのは、それだけでも安らげる気がする。

甘くていい香りがした。
頭上を見ると、小さな白い花がいくつも開いていた。

これは、きっとリョウブの花。
いい香りだ。
いやされる。

今度も白い花。
白い花のその様相は、ガクアジサイそっくり。

これは、ノリウツギ。
最初に名前を知ったのは、10数年前に福島県の雄国沼周辺を歩いたときだったな、などと思い出す。
白くて清楚な感じがいい。


次も白い花だが、まるでブラシのようになって咲いている。

これは、ノギラン。

星が輝くような形で、オレンジ色のおしべがとてもいい感じだ。


オカトラノオの花も咲き始めていた。


なんだか白い花ばっかりだなあ。
でも、だからこそ暑さが和らぎ、清々しい気分になれる。


これらの花々を走りながら眺める。
時々足を止めて、写真を撮ったりする。
多少のアップダウンもあるので走ることも楽しめるし、花を見ることも楽しめる。
暑さを避けながらのRUN&花見。
お気に入りのコースで、10km以上を気持ちよく走ったのであった。
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「いとこ会」の面々と久々に会って

2019-07-10 21:02:30 | 生き方
今回は、いとこの夫君が享年75歳で亡くなられたということだった。
私の父の場合は享年57歳だったから、もっと若くして亡くなっていたのだなあと思った。
そんなことを考えても、30年余り前とは時代が違うのだなあと思う。

母方のいとこは、合計33人であった(それぞれの配偶者を除く)。
親たちは10人きょうだいだったのだから、そのくらいいても不思議はない。
東日本大震災以前には、宿泊ありにして「いとこ会」を開いていたこともあった。

30人以上いると、めったに会わないので誰なのかよくわからない人もいる。
すでに鬼籍に入っている人もいる。
現在生きている最年長が81歳。
最年少が私の弟で、59歳である。
81歳から59歳までの構成を考えると、いとこ会というよりも、なんだか敬老会の雰囲気があるようになってしまった(苦笑)。

その皆さんと、通夜や葬儀で会うことができた。
久しぶりに会えたことが、一番うれしいことであった。
会えるということは、元気で生きているということだからだ。
2つめにうれしいのは、メンバーが相変わらず前向きで明るいということだ。
私自身の母もそうだったが、喜怒哀楽の感情表現が豊かで、前向きな人が多い。
この人たちの大半が、冬も空が明るく雪の降らない太平洋側で暮らしていることと無関係ではあるまい。
私はこうして冬は雪の降る新潟県で生きているが、「おてんとうさまには勝てない」と知っているから、明るく笑い飛ばすよりも厳しい環境の中でも耐えて生きる、というのが新潟県人の気質のような気がする。
母が生きていた昔から、
葬送の時には、「いい人だったのに…」と皆でおいおい泣き、
「でも、こんなこともあったよね」というエピソードで、皆で声をあげて笑い、
「そんなにいい人が亡くなるなんて…」と、やっぱり皆で涙を流して泣く。
そんな姿を見てきた。

さて、いとこ会のメンバーが敬老会と化していることに気付いた今回だった。
やはり日本は高齢化社会になっているなあとも思ったのだ。
そして、間違いなく自分もその一因だし、高齢者仲間の一人なのだ。
何もしないでいると、あっという間に時間は過ぎていきそうだ。
いとこたちの中でも、「まだこういう仕事をしている」とか「自分はこのことに夢中だ」というものをもっている人たちは、若く見え生き生きしているように見えた。

自分も、走ることのほかに、こだわりをもってやることを何かちゃんともっていないといけないな、と思ったしだいである。
なんてったって、いとこ会では3番目に若いはずの私なのだから。

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小名浜港で潮風に吹かれて思い出す

2019-07-09 21:52:44 | RUN
今回の行先は、いわき市だった。
いわき市に行ったのは、昨年2月の第9回いわきサンシャインマラソン大会を走ったとき以来だった。
それは、「母の故郷路を駆ける」のシリーズとして書いたのだったが、あれから1年5か月。
今年のサンシャインマラソンは、前日の降雪で中止になってしまったからね。

昨日近くまで行ったついでに、マラソンコースの一部を見て回った。


コースの中で初めて海が見えた場所、永崎の海岸。

海が見えたのは、感激だったなあ。

そして、中間点を過ぎてからのマリンタワー近くまでの急坂は、とにかくきつかった。

小名浜港から見てもあんなに高い所にあるマリンタワー近くまで一気に駆け上がるのは本当に大変だったっけ。


そして、小名浜の海。

小名浜港の漁船が並ぶ脇を走った。
小名浜アクアマリンパークで、いわき・ら・ら・ミュウやアクアマリンふくしまの周囲もコースに入っていて、走ったのだった。




潮風に吹かれていると、今となっては、みな懐かしいなあ、という思いがした。

昨日今日、葬儀等の際に会った人たちからは、「今年は中止になっちゃったけど、来年も来て走りなよ。」と声をかけていただいた。
アップダウンの厳しいコースだけれど、またいわきの大会を走るつもりで準備していきたいな、と思ったしだいである。


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突然の福島県への来訪となったが…

2019-07-08 23:59:46 | 生き方

これは、今日の磐梯山。
雲がかかっていたのは、心模様と一致する。
従姉の夫君が亡くなったのだ。
よく従姉とともに新潟まで来てくれたものだ。
「いやあ、49号線をドライブしていたら、新潟まで行きたくなっちゃってさあ。」
それが従姉夫婦の言い草だった。

従姉の夫君は優しい人であった。
従姉の落胆ぶりは、言葉以上に響くものがあった。
でも、その夫君のその優しさが、今回も発揮された。
私には千葉県に弟がいるが、なかなか会えない。
でも、今回、従姉の夫君が亡くなったということで、会えるようにもしてくれた。
本当に優しい人だ。

めったに会えない弟と会え、飲みながら人生を語ることができた。

これは、亡くなった従姉の夫君の優しさのなせる業だ。

人生、これからも何が起こるかわからないが、まずはともかく生きていこう!
それが結論となった。

ありがとう、従姉の夫君のSさん。
あなたのおかげで、兄弟が久しぶりに会え、人生を語ることができました。
私たちは、もう少し迷いながら生きていきます!
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懐かしい箱から出てきたものは…

2019-07-07 20:50:31 | 生き方

物置を整理していたら、出てきた箱。
子どもの頃、よく見ていた箱だった。
平面の大きさはB5判くらいで、高さは10cmくらいかな?
薄い木の箱なのだが、外側には光沢のある(あった?)特別な紙が貼られていた。
年代物になってしまった。

箱を開けてみると、使い過ぎてねじれてしまったらしい電源コードがついた器械が入っていた。



その器械には、こんな「足」が4つついていた。



この器械の裏側は、こんなふうになっている。



手前のたわしのようなものは、この器械の中央部に取り付けて使うこともできるようだ。

これがなんだかわかりますか?


…実は、これは「電気マッサージ器」だったのである。
今は壊れてしまって何の役にも立たないただのがらくたなので、不燃物ゴミ回収の日に出すことにした。

ところで…。
子どもの頃、私は、腰にこのマッサージ器を当ててもらっている母の姿をよく覚えている。
マッサージ器を使って腰に当てる役は、私の父であったけれども。
うつぶせになって電気マッサージ器をかけてもらっている時の母は、気持ちよさそうな顔をしていたのだった。
50年以上前の物である。
電気マッサージ器をかけてあげる父、かけてもらう母。
その姿を見て、子ども心に、ほのぼのしていて夫婦仲良くしているっていいなあと思ったものである。

さよなら、電気マッサージ器。
私の両親のために働き、役に立ってくれてありがとう。

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後半戦に向け、自信となる一戦

2019-07-06 23:14:04 | アルビレックス新潟
いよいよ2019サッカーJ2リーグも、前半最終戦。
新潟は前節まで7勝5分8敗。

今節の対戦相手は、長らくJ1でしのぎを削ったオレンジのライバル、大宮アルディージャだ。

現在大宮は、第2位。
対するに新潟は、12位である。
どうしてこんなに差がついているのか。
得点力を見てみると、新潟29点、大宮24点。
意外なことに、新潟の方が得点力がある。
失点を見なくてはわからない。
失点は、大宮は、失点15で、J2リーグで5番目に少ない。
新潟は、失点25なのだが、これはリーグで10番目に多い。
とはいえ、得失点差は大宮9で、新潟4。
わずか5でしかない。
それなのに、大宮は、9勝9引き分け2敗で勝ち点36。
新潟は、7勝5引き分け8敗で、勝ち点26。
この違いを、どう見るか?
大宮は、まだ2敗しかしていないのである。
新潟は、すでに8敗している。
ここが大きい。
大宮は、9引き分けとリーグ1位の引き分け数。
しぶとく引き分けることも多く、簡単には負けないということがわかる。
今日の試合の前まで、なんと16戦連続負けなしだったのだそうだ。
新潟としては、その牙城を崩し、引き分けではなく勝ち点3を取って上位に進んで行かなければ、J1昇格はありえない。
好調な攻撃陣が得点をあげ、失点を抑えて、勝利したいものだ。

試合が始まると、互角の展開でいくと、いつもの不安が的中して、16分、大宮FWシモビッチにヘッドで決められた。
失点の少ない大宮なのに、どうするんだ。

でも、今日の新潟は、選手たちの動きがよかった。
焦ることなくチャンスをうかがっていると、かつて新潟にも在籍した大宮のボランチ三門が負傷交替した。
これが新潟には幸いに働いたか、32分、レオナルドの

ヘッド返しで1-1の同点に追いついた。


後半になっても、新潟の選手たちの積極的な守備が目についた。
特に、前線で高木、危ない場面になるとものすごいスピードで相手選手に追いつく戸嶋はすごいと思った。
追い付いても勝ち越されてばかりした新潟だったが、今日は違った。
危ない場面も、GK大谷はじめ全員が体を張ってしのいでいた。
そして58分、それが実を結ぶ。
カウエのスルーパスを受けたフランシスが見事に逆転ゴールを決めた。


17,007人の観衆が見守った中、新潟は1点差を守り切り、見事に逆転勝利をあげた。


16戦連続無敗だった大宮に逆転勝利は自信になる。
これで、前半戦は8勝8敗5引き分けという成績となった。
次節からは後半戦となる。
今後に向け、手ごたえを感じた一戦になったのではないだろうか。
この連勝をさらに続け、自分たちはやれる、という自信をもって戦い、上位へ躍進していく後半戦としてほしい。

今日も、試合後の「プラネタスワン」が行われ、少し暗くなった場内にオレンジや青、赤、緑などの様々な明かりが振られていた。


スタジアムは、虹色に輝いていた。


明日は、七夕。
新潟の願いはひとつ。
「後半戦も連勝を続け、J1に復帰できますように!」
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アルビの練見に行って来た

2019-07-05 22:15:05 | アルビレックス新潟
聖籠町にある「アルビレッジ」は、アルビレックス新潟の練習グラウンドのある所である。
それは知っていたけれど、今まで練習するのを見に行ったことはなかった。
土日に試合をし、そのために平日に練習するのがJリーグなので、平日仕事をしていたときには、アルビレックス新潟の練習を見に行ったことはなかった。

今は、平日も週休日もないものだから、行こうと思えばいつでも練習を見に行くことはできる。
それでも、わざわざ見に行こうという機会がなかった。
その練習も、本来は公開練習が多かったのだが、最近は、監督が代わってから特に非公開練習が多くなっていた。
チームのホームページによると、今日は、公開日になっていた。
練習を見に行ってみようかと、娘と一緒に出かけてきた。


着いた時には、練習はもう終わりに近かった。
課題である得点力向上のために、連係して次々とゴールネットを揺らしていた。

近くで見て驚くのは、選手たちのシュート力の強さである。

試合のピッチでは強そうに見えないマサル(加藤大)のキックが、すごく威力があるのだ。蹴ったボールがゴールネットを揺らす様子やバーに当たって弾かれる時の音の強さなどには、今まで知らなかったキックの強さを感じた。
カウエやシルビーニョたちのキックなどは、さらに怖いくらいであった。
あんなキックを至近距離から食らっても弾こうとするゴールキーパーはすごい、とは娘の弁であった。

練習場では、今季の試合のピッチで見ていない、森俊介や早川史哉たちががんばって練習に取り組んでいる姿も見ることができて、ホッとした。
また、ベテランの矢野や小川は、練習後、しっかりダウンのための走りを入れてグラウンドを回っていた。
若くて元気な本間至恩と渡邉新太は、2人でドリブルで交わす・交わされないという練習をしていた。


三々五々、練習を終えて引き上げるとき、真っ先に見学ゾーンに近づいてくれたのは、堀米であった。
いい笑顔で快くサインや写真撮影に応じてくれた。


快いのは、娘が大好きな野澤も同じ。
娘は、2003年当時の野澤のレプリカユニフォームを持っていったのだが、そこに大きくサインしてもらった。


筋肉隆々で驚いたのは、チョ・ヨンチョルの上腕の太さだった。

いつの間にあんなに鍛えられたのだろう。
いろいろなチームに在籍してきたし、兵役もあったし、苦労し努力してきたからかな、などと感じた。

最後に引き上げてきたのは、ブラジル人選手たちであった。

陽気に笑いながら歩く姿に頼もしさも感じた。

さて、明日はホームで大宮戦。
今日見た選手たちの笑い顔を、明日の前半戦最後の一戦に勝利した試合後、ぜひとも見たいものだ。

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写真の整理もまた難しい

2019-07-04 22:06:18 | 「育」業
7月になって、もう4か月がたつ。
何かというと、3月末をもって、大学を卒業してから38年間ずっと務めてきた仕事から離れたことだ。
その仕事をしなくなるということは、現職時代考えられなかった。
子どもたちの声が聞こえる建物の中で、その子どもたちに直接的あるいは間接的にかかわりながら、笑顔たくさんになるように努めてきたつもりだった。
それだけのやりがいをもって取り組む生活は、本当に貴重だった。

そうはいっても、毎日うまくいかないことの繰り返しだった。
なぜ?
相手の子どもたちだって生きているからである。
子どもだって、心をもっているからである。
すべてがこちらの思いどおりになる訳ではない。
そして、こちらが大人であっても、子どもの心が分かる訳ではない。
こちらから寄り添っていかないと、子どもだって心を開いてはくれない。
だから、難しい。
子どものことだから扱いなんか簡単じゃないか、と世間の人々が思っているほど、簡単なことではない。
やはり個々の存在をリスペクトし、そこからこちらが学ばないと、子どもたちはついてきてくれなかった。
時間的に場所的に、同じ子どもは一人もいない。
どうせ子どものことだ、同じじゃないか、と考えて手を抜くような人が教える学級は、間違いなく荒れていくのだ。
毎日が真剣勝負の日だったと、今、改めて思い返している。


…おっと、そんなことを言いたいために書き始めたのではなかった。


急に子どものことなどを書き始めたのは、昔の写真を整理し始めたから。


封筒や袋の中にポンと入れたままになっていた写真の何と多いことか。


捨てるもの、残すもの、スキャナで電子データにして残すもの…の3つに分類していった。
…とはいうが、簡単ではなく、見ると手が止まってしまい、昔の思い出に浸ってしまうものが少なくない。
そのせいで、いろいろと楽しいこと、悩んだこと、憤ったことなど、いろいろと思い出していた。


仕事をやめた後の写真の片付け。
これにもずいぶんと時間がかかりそうだ…。
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今年も側溝清掃の季節

2019-07-03 22:24:11 | 生き方
町内会から、年に1度の側溝清掃が求められる週である。
毎年のこととはいえ、重いコンクリート製のふたを上げるのは容易ではない。
1枚や2枚ではなく、その数30数枚だから、うかつにやると腰が壊れる!

近年は無理をせずにふた上げ機を有効に使用して、体に負担の少ないようにしている。
若くなくなってからは、市役所の地域整備課から借用しているこの機械なくして側溝清掃はできない。
てこの原理を使っていて、はさみやすく、持ち上げやすい。
実によくできている機械だと今年も感心しながら使った。


泥上げをして、袋に入れた。


ホースで水を流して、さらに砂を流したり集めたりして取る。


再びふた上げ機でふたをして、清掃終了。

家族3人で、砂落とし、泥上げ、水流しなど手分けして行った。
2時間かけてきれいにした。
やはりきれいにするのは大変だが、気持ちがいい。



それにしても、近隣は下水道が整備されているのに、わが近隣だけその恩恵から外れている。
整備してもらえれば、毎年こんな苦労はしなくてもいいのだけれどなあ…。
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あやめまつりは終わったけれど

2019-07-02 19:52:24 | お出かけ
新発田市五十公野公園のあやめまつりは、6月30日で終わった。
埼玉に行っていたり天気が悪かったりして、まつりの期間には行っていなかったけれど、終わったばかりの7月1日、あやめを見に行って来た。

さすがにまつりの期間を終えたばかりとはいえ、見頃はずいぶん前に過ぎたかな、というくらいだった。


それでも、咲き残っているものたちは、それなりに美しいと思った。

札が立ててあるのだが、あやめ一つ一つの名前が面白い。
「堺の黄金」だというものがあったかと思うと、似ているもので「みちのくの黄金」というものもある。

「小町娘」だとか「児(ちご)化粧」、「乙女の姿」など、いかにも美しそうな名前が付けられている。

今も美しく咲き誇っているいくつかを写真に収めてきた。




祭りの期間が終わったから、もう見物用に敷いておいたシートを外したり、終わった株を掘り起こしたりする作業を始めている人たちがいた。
次のシーズンに向けて、準備を始めたということなのだろう。
その手際のよさに、維持管理する側も大変なのだなということを感じた。
ありがとうございます。
また来年の花を楽しみにしています。
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