ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

若いころの大移動のメモを見つけた

2019-07-01 22:13:11 | 生き方
昔のものをいろいろと整理する中で出てきたノート。
面白いメモが出てきた。
下手くそな地図と線が書いてある。
そして、駅名と時刻が書かれてある。


12日(土)と書かれてもいる。
これは、1981(昭和56)年の9月12日(土)のことであった。
新採用となって半年に満たない時期のことであった。
私の勤務先は、当時三島郡寺泊町(現長岡市寺泊)にあった。

大学時代に入っていたサークルの後輩たちが、山梨県との県境に近い長野県の富士見というところで、合宿を行うという。
日曜日がその最終日となるのだが、そこにどうしても参加したくなった。
当時、土曜は半日勤務だった。
新人だけに、遊びに行くために休みを申請し、職場に迷惑をかけるのはためらわれた。
列車の時刻表を買って、半日勤務してから行く方法をいろいろと画策した。

当時は、高速道路の関越自動車道はまだなかった。
鉄道も、上越新幹線がまだ開通していなかった。
新潟と東京・上野をつなぐのは、最も速いもので特急とき号しかなかった。
しかし、そこだけで4時間かかっていた。
最寄駅の大河津駅から新潟に出るだけでも1時間以上かかり、上野から中央線の新宿まで行くまでも時間がかかる。
結局、東京経由ではその日のうちに富士見に着くことはできないことがわかった。
翌朝と考えてみたが、特急を使っても、朝のうちに富士見に着くことはできないこともわかった。

特急を使ってもダメなのだから、あきらめるしかないのかな…と思いながら、あきらめきれずに探してみた。
すると、唯一の方法を見つけることができたのである。
大河津発13:43-14:49柏崎着
柏崎発15:38-16:23直江津着
直江津発16:39-18:23長野着
長野発18:30-23:19富士見着
これなら、行ける!
土曜日のうちに着ける!
なんと、すべて各駅停車での大移動であった。
鈍行だけで移動できることに、われながら驚いた。

はたして実際は…?
23:19、無事に富士見に到着し、後輩たちと会うことができたのであった。
翌日は、後輩たちと好きな卓球や麻雀をして楽しんだことを思い出す。

帰る方法についても書いてあったメモを見て、若いときは体力があったなあと、改めて思うのである。

日曜日の夕方、急行で17:32発、新宿20:17着。
もう、新潟行の特急はないから、夜行の急行で上野22:38発、新潟5:07着。
越後線の始発で、新潟5:33発、大河津7:19着。
そこから、月曜日の職場に直行である。

大学を出てからあまりたっていない、若かりし頃だから、無理ができたのだなあ…と思う。
当時の交通網についても、鉄道頼みだったことを思い出す。

40年近く前の懐かしいメモの発見であった。
コメント
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