仕事をしていた時の身の回りのものを少しずつ整理している中で出てくるものがいろいろある。
この折り鶴を、手紙とともにもらったのは、まだ私が20代の頃だった。
先生おたんじょうびおめでとうございます。
先生には、へんなだけど、わたしとAちゃんで
ツルを31こ糸でつないでつくりました。
あとのこりすくない3学きもよろしくおねがいします。
せんせいおたんじょうびおめでとう
Y子 A より
私の29歳の誕生日のときだった。
手紙をくれたこの子どもたちは、小学2年生。
1年生で入学したときから担任していた子どもたちだった。
明るく元気な子どもたちとともに、伸び伸びと明るいクラスを作ることができた。
この手紙と折り鶴を見て、今改めてジンと来るものがある。
先生が喜ぶものを贈ろう。
手作りしてプレゼントしよう。
そんな気持ちが伝わってくる。
折り鶴を31こ、ということだったが、2年生の子ども2人が複雑な折り鶴を31個折るのにどれだけの時間がかかるだろう。
そう考えると、ありがたい気持ちが高まってくる。
この日は、ほかの子からもバースデーカードをもらっていた。
小学校2年生だと、3年生になるときに学級編成替えがある。
この子どもたちにも、私との別れの日が来る、ということはわかっていた。
でも、この子の、
「もし、ほかの学校へ行ったり、ちがう学年へ行っても、楽しくべん強させてやってください。
いつまでもわすれないでいてください。」
という言葉が、胸を打つ。
私の誕生日は2月末。
別れは、ひと月後に迫っていた。
結局、この子どもたちとは、その3月末、異動でお別れとなった。
別れの日である離任式の日、互いに大泣きしたことを恥ずかしながら思い出す。
あれからもう、3分の1世紀、33年余りが経過した。
この子たちも、もう父や母となり、40代になっている。
それぞれに子どもがいたって、小学校低学年をはるかに越えている子が多いことだろう。
折り鶴には、願いを込めて折る、ということがある。
私の元気、幸せを願って折ってくれた子どもたちが作った折り鶴。
今、この折り鶴を見て、今度は私が願う。
このときの子どもたちが、
40代の大人になった今も、どうか元気でいて、
そしてこれからも幸せに生きていってほしい。
…と。