ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

今どきだけどラジカセ購入

2022-12-11 20:55:39 | 生き方
大型家電店に行く機会があった。
特に何がほしいとも思わないのだが、せっかく来たのでどんなものがあるのだろうと、店内をぐるりと回った。
ただ、どこを回っても店員さんがすぐに寄ってくるので、あまり人のいない方へと流れていった私だった。
たどりついたのが、ラジカセ売場。
今どき、ラジカセなんて、年輩の人でないと用がないよなあ…。
ところが、そこで、「あ、これほしいな」という物を見つけた。



ラジカセなのだが、目についたのが、この文字。



「REC」「MP3」
よく見ると、
「USB/MicroSD⇆TAPE」と書いてあった。

おお、これは、カセットテープの音楽を電子データに変換できるということではないか。
家には、30年以上前に、カセットテープで買ったアルバムが結構あるのだ。
その中には、気に入っていたけれど、CDで買い直しはしなかったというものがいくつかある。
それらを、また何度でも聴けるように電子データ化したいな。
…と思っていたのだった。
金額的にも、安い普通のラジカセと変わらない金額なので、買ってきた。

さっそく試してみた。
USBに1曲ごと録音してくれる。
時々、1曲が2つに分かれたりしていたが、持っている音楽ソフトを使って合成した。
さすがに、伸びてしまったカセットテープの曲はうまくいかなかったけれども。

今回は、20代後半によく聴いたものを3つほど試してみた。



オフコースの「The Best Year of My Life」と佐藤隆の「土曜の夜と日曜の朝」は、あの頃気に入って繰り返し聴いたものだった。
懐かしい音楽が聴けるのは、なかなかいいなあ。

ただ、類似した品物は以前にも2,3度買ったことがあるが、案外壊れやすかった。
このラジカセ、どのくらいもつかわからないが、昔のもう一度聴きたい懐かしい音楽を、もっと聴けるようにしてみたいな。
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「人権の日」に子ども時代をからめて

2022-12-10 22:12:36 | 「育」業
そうか、今日12月10日は、「世界人権デー」か。
1948年12月10日に「世界人権宣言」が第3回国連総会で採択されたのを記念してできた日だという。 世界各国で人権にまつわる行事が行われるのだそうだ。

50年以上前の自分の少年時代に比べると、人権に対する意識はずいぶん大きくなったものだと思う。
かつて仕事をしていたとき、大勢の子どもたちを前に、自分が子どものころにつらい経験をしたことについて話すことによって、考えてもらいたかったのだった。
少し恥ずかしいが、その話のうちの一つを載せておくことにする。

ああ、またいやな月曜日だ。学校に行きたくない。行けば、またクラスのボスのAやその周りの奴らに、はたかれたり悪口を言われたりして、いじめられる…。
同じクラスの気が短くてケンカの強いAのことは、皆が恐れていました。
Aは、音楽の授業がきらいでした。だから、音楽の時間の前には、「音楽の時間になったら、授業中に騒いで先生を怒らせて、少しでも音楽の授業ができないようにしろ。」と、毎回いろいろな人に言いつけていました。
また、放課後も、「オレはチョコレートが食いたいから、店から盗んで来い。」と何人かに命令して、店の人の目を盗んで取って来させたりもしていました。
クラスの男子たちは、こんなふうに勝手なことを言うAに逆らえずにいました。もし、反対したら、殴られたり蹴られたりするからです。だから、Aが怒って、Aになぐられたりけられたりしないように、Aのご機嫌取りをしている男子ばかりでした。
Aには逆らえないでいやな思いをしている人は、自然と自分より弱い人に八つ当たりするようになって、自分より弱い者をいじめるようになります。力の強い人から順番に、弱い人へ弱い人へと暴力や悪口は広がっていきました。その一番弱い人の先に私がいました。私は、いつもいじめられていたのです。ほとんどの男子が、私を何か理由を付けて、攻撃してきました。
私は、今でこそこうして体が大きくて丈夫になりましたが、小学生の頃は、よく熱を出したり病気になったりして、とてもひ弱でした。体が弱いので、スポーツもうまくできません。周りの子たちは、何か理由を付けて、攻撃してくるのです。スポーツができないと、そのことを馬鹿にされます。けんかなんか、もちろん一番弱かったです。だから、私にわざと強くぶつかってきたりはたいたりする奴もいました。そして、「バーカ。悔しかったら、かかってこい。」などと言ったりするのです。我慢しきれなくなってかかっていったこともありましたが、いつももっとひどくはたかれたり蹴られたりしたので、私は、我慢し続けて、相手にしないようにしていました。
 相手にしないようにしていても、毎日毎日いやなことを言われたり、暴力を受けたりしていました。だから、本当に学校に行くのがいやでした。
いじめられていることを、家の人にも言わずにいました。泣いて帰った時、父は、「やられたのならやり返して来い。」と言って、外に私を出したことがありました。父は、私にもっと強い人になってほしかったのです。でも、私には、それができませんでした。母は、いつも本当に心配してくれました。だから、逆にあんまり心配かけてはいけない、と思うようになりました。だから、父にも母にも心配をかけたくないので、学校でいやなことがあっても、毎日がまんして過ごしていたのです。
ただ、いやなことやいやなやつらに負けてたまるか、とだけは、心に強く思っていました。
こんなにつらい小学校の頃でしたが、私の気持ちを救ってくれていたのは、たった一人の友だち、B君でした。B君は、
「Aの周りにいる奴らは、Aのことが怖いからぼくたちをいじめてるんだ。Aにやられていやな思いをしているから、それよりも弱いぼくたちを攻撃してくるんだ。ボクらは、音楽の時間に騒げとかチョコレートを盗んで来い、と言われても、やらないよね。だから、泣かされたりするんだけど、本当の弱虫は、AやAの言いなりになって悪いことをしたり、ボクたちをいじめたりする奴らだよ。」
とよく言って、いじめられる私を勇気づけ、励ましてくれました。
 一緒に遊んでくれ、励ましてくれるB君がいたから、私は、完全にひとりぼっちにならずに、生きてこられたのだと、今になって思っています。
 皆さんのまわりには、ひとりぼっちで困っている子はいませんか?
 まさか、理由を付けて、だれかを困らせようとしたりしていないでしょうね。
あの子はいやな子だから困らせてやろう、と考えていやなことをしたりしていないでしょうね。人の体や心を傷つけて喜んでいる人は、人間の気持ちがなくなっていきます。
 
小学校時代の私が6年生の時、隣のクラスの先生が、私がいじめにあっていることに気付いてくれました。学校で保護者会が開かれたりして、大きな問題になりました。
父も、「強くなれ」とは言わなくなり、母も、なぜ今まで言わなかったのだと言って、本当に心配してくれました。校長先生や町の教育委員会にかけ合って、今までのクラスの友だちと別れて、私が別な中学校に行けるように努力してくれました。
その時、分かりました。親は、本当に子どものことを心配しているのだと。だから、本当につらいいじめなどは、相談してよいのだということを。
小学校時代のみんなと別れて行った中学校でも、よいことばかりではありませんでした。いやなことを言う奴ももちろんいました。反対に、自分が言ったことやしたことでも、他の人の心を傷つけてしまったことも、ありました。
こんなふうに、小学校時代にいじめられ、いやな思いをたくさんしてきた私が、皆さんに、今伝えたいことをもう一度、言います。
・ 自分と人の、命と心を大切にしよう。
・ いやなことに負けるな。強い人じゃなくてもいいから、生き続けよう。
・ B君のように、ほかの人を元気にできる人になってほしい。
皆さんが、自分のことも人のことも大事にできる人として成長していってくれることを、私は、いつもいつもずうっと願っていますからね。

人権という言葉など、子どもの間に存在しなかった(?)私の小学校時代。
だからこそその大切さを知ったのだった。
現代は、大きく変わったなあ…と感慨に浸りながら思うのである。
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景色や植物をたっぷり楽しめたRUNだった  けど…

2022-12-09 20:45:17 | RUN
ここのところ、当地は、毎日雨が降っている。
1日中降り続いたり、夜通し降っていたり。
天気予報で、全国の天気の様子を見ると、新潟県周辺だけ毎日濃い青色がついている。
だが、テレビで流れる話題といえば、北海道での雪や氷点下の気温、青森・酸ヶ湯の大雪のことばかり。
まあ、毎日雨というだけでは、話題性に乏しいことは確かだな。
雪に降られるよりは、混乱が少ない。

今朝は久しぶりに雨が降っていなかった。
午前中は降らない様相。
なので、12月初めてのRUNに出た。
今日のコースは、サイクリングロード。
どんな景色に出合えるだろう、と楽しみながら走った。

気温は7℃と、寒すぎず走りやすい。
服装は、上下とも長いもので、手袋も着用。

3kmほど走ったら、ムラサキシキブの実なのに、紫ではなく白いものを発見。

へえ、ムラサキシキブに白い実なんてあるんだ、と驚いた。

さらに行くと、晴れさえすれば陽当たりがいい場所では、この時期なのに、オールグリーン。

緑色の一帯を作っていたのは、スイバ。

花さえつけていたものがあって、びっくり。

夏の植物なのに、先日は2回雪が降ったというのに、なぜこんなに元気なのだろう?
大したものだと、感心した。

さらに、本来夏の植物なのに、まだヒメジョオンが咲いていた。

たくましいものだ。


まだ完全に葉を散らさずにがんばっているモミジを見つけた。

ここが美しかった。

紅葉の多い木と黄葉の多い木が隣り合っていた。

もう今年紅葉を見ることはたぶんないだろう、と思い、眼前の紅葉の美しさを楽しんだ。


田んぼの中の道に入ると、かなたの山が近く見えた。

山は、すっかり雪をかぶって冬景色。
きれいなもんだ。

まだ雪は本格的に里まで下りてきていない。
下りてきたら、さらに走ったりできなくなる。
こうして雪は遠くで見るくらいでいいな、なんて思った。

この辺でがんばっていたのは、セイタカアワダチソウ。

寒いせいで、背高(セイタカ)にならずに低いままだが、一面に花を咲かせていた。

いろいろとこの季節ならではの景色や、寒い季節に負けない植物たちを見ながら12kmを走って、心地よかった。
冷たい雨で走れなかったストレスが、たっぷり発散された。

…ただし、調子を出し過ぎたらしく、走った後、これまた久しぶりに目がくらくらしてしまった。
そうだった、そうだった、がんばりすぎるとそんなふうになるかもしれないことを忘れていた。
気をつけて走らなくてはいけないな。
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「章説 トキワ荘の春 (石ノ森章太郎生誕70年叢書シリーズ①) 」(清流出版;石ノ森章太郎著)

2022-12-08 20:13:25 | 読む


本書は、石ノ森章太郎の生誕70年に、ギネスブック認定されたのを記念して出版された単行本である。
2008年にギネスブックに認定された理由が、ひとりの著者が描いたコミックの出版作品数が世界で最も多いということだった。
記念出版といっても、内容はマンガではなく、主に文章による叢書シリーズ6巻のうちのの第1巻として刊行されたのが、本書である。
さすがに単行本自体は、今は絶版になっているけれども。

私がこの本を手に入れたのは、2009年の8月に石ノ森章太郎のふるさと記念館を訪ねたときであった。

記念の意味で、叢書シリーズ6巻のうちから、「ボクはダ・ヴィンチになりたかった」と「章説 トキワ荘の春」の2冊を買ったのだった。

最初に刊行されたのは1981年で、書名も『章説・トキワ荘・春』だったらしい。
この本自体はそれからも何度か出版されたり文庫化されたり電子書籍化されたりしている。

買ってから時間が流れ、しばらく前の本になってしまったが、今年は、トキワ荘のマンガ家仲間だった藤子不二雄Ⓐ氏が亡くなったことも動機付けとなって、もう一度読んでみた。

「章説 トキワ荘の春」という書名にはいくつか意味があるのだろう。
「小説」ではなく「章説」。
石ノ森章太郎が小説風に書いたということ。
トキワ荘には多くの仲間がいたが、石ノ森章太郎から見たトキワ荘の話であるということ。
「春」には、トキワ荘が若いマンガ家たちの青春時代の話だということや、マンガ家たちの集う場所として、ボロアパートであっても華やかな時代だったということ。
そんな意味にとって、ページをめくった。

話の始まりの方を占めるのは、石ノ森章太郎の姉のことである。
彼には、3歳年上の姉がいた。
石ノ森の上京について、両親は強く反対したが、唯一の理解者が姉であった。
その姉も上京し、同じアパートのマンガ家仲間のマドンナのような存在になるのだが、その姉が、わずか23歳で亡くなってしまう。
そんな悲しい出来事があったとは、この本を読んで初めて知った。
石ノ森が受けたショックは相当に大きかったようだ。
ただ、それを知って思ったのは、石ノ森が描く女性は、いつもなんだか妖艶で年上を感じさせる雰囲気を持っていたということ。
それは、姉をイメージして描いていたのかもしれないなと思った。
(彼が描いた女の子には、さるとびエッちゃんみたいなかわいい子もいたけどね。)


その他の内容は,トキワ荘の住民だったマンガ家たちの、若きあの頃ならではの青春の物語が繰り広げられている。
この2階建てのアパートで、手塚治虫が仕事をし、寺田ヒロオ、藤子不二雄、赤塚不二夫、鈴木伸一、つのだじろう、横田徳男、長谷邦夫、園山俊二、水野英子たちと暮らした実話の数々が披露される。
ただ、藤子不二雄Ⓐが「まんが道」で描いているものとは、少し違っているのが「章説」たるがゆえだろう。
自身やトキワ荘メンバーの滑稽な話やら少し悲しい話やらが綴られていた。
手塚治虫のアシスタントをしたときに、鉄腕アトムの背景入れを依頼されたが、背景だけでなく、アトムなどにもペンを入れて描き上げてしまったこと。
アパートの炊事場の流し台で、水を出しっぱなしにためて風呂がわりに使った話など、赤塚不二夫のハチャメチャな生活ぶりは、印象深い。

新潟県人としては、「ホームラン金太郎」などを描いた新発田市出身の寺田ヒロオのことをもっと知りたいと思った。
メンバーの中で一番の年長で、「優しさと頼もしさと、清々しい初夏の太陽の輝きと匂いを持った“兄貴”」だそうだ。
少々ナマリのある言葉を放つのは、新潟県出身を表していたようだ。
「几帳面な性格その性格通りに、いつ覗いても、寺サンの部屋はきちんと片付いいていて清潔だった」とも書いている。
 やがて一人一人引っ越していって、石ノ森は、この「トキワ荘」を去った最後だった。

そして、エピローグの最後は、
………マンガは青春。
という言葉で終わっている。

そう、青春は、若いときの仲間とのふれあいなくして語れない。
そして、当時は一日一日が短いけれど、信じられないほどドラマチックなことが起こったりする。
二度と帰って来ない貴重な日々。
みんな、そんなことを知っているから、住んでいたマンガ家たちを知らなくても、トキワ荘が今も多くの若者たちに人気があるのは、そこが1つの「青春の場所」だと思って見るからなのだろうなあ。
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年賀欠礼の挨拶状が届くシーズン

2022-12-07 20:32:45 | 生き方
この時期たくさん届くのが、年賀欠礼の挨拶状。

喪中につき新年のご挨拶をご遠慮申し上げます。

これだけの文で届くものもある。
これだと、誰が亡くなったのかも分からない。
わざわざ問い直すのも、こちら側が礼を失しているような気がしてしまうのでそこまではしない。


多いなあと思うのが、同じような年代の方々からのもので、父や母が亡くなったからの欠礼というもの。
その年齢も付記してあるものを見てみると、親の享年は90代が多い。
今は、ずいぶん長生きになったのだなあと思う。
私の場合だって、父母が生きていれば、93歳とか94歳のはずだ。
それからすると、母は70代で亡くなり、父に至っては50代だ。
改めて、亡くなるには若かったなあと思ってしまう。

それだけでなく、報せには、兄弟姉妹が亡くなったというものも目立ってきた。
それだけでも悲しいのに、弟や妹の方が亡くなったというのは、さらに悲しく思える。
寿命に年齢の順は関係ないということを思い知らされてしまう。

さらに、また増えてきたのは、同年代の輩からの、「これっきり挨拶状」。

誠に勝手ではございますが、毎年の年賀状も今年限りで失礼したいと思います。
お付き合いの方は、今後も変わらずよろしくお願いいたします。


と、年賀状もこれっきりにするという挨拶を添えたものを受け取る。
なんだか、今までの縁が切られてしまうような気がする。
だが、自分も近い将来その選択をしなくてはいけないのだろうな、と思ったりもする。
まあ、年賀状書きは、もう少しがんばってみようかとは思うが…。

そんな今日この頃、今夕も新たに3通も年賀欠礼の挨拶ハガキが届いたぞ、と…。






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初冬だけど、サクラにイチゴに、見て楽しんだ

2022-12-06 17:54:47 | お出かけ
先週末、冬桜を見に、桜公園に行ってきた。
冬桜は、今年も、しっかり咲いていた。



ただ、身近でもっとよく見たいと思ったが、残念ながら高いところ、遠いところに咲いているものばかりだった。



それでも、この寒い時期に咲くなんて、不思議だし面白いものだなあと思ったよ。



面白いといえば、去年見つけて、初めて知った「フユイチゴ」。
今年も見たいと思っていた。

初雪の翌日なので、陽当たりのよくない辺りにはまだ雪が残っていた。



午前の少しの時間しか陽が当たらない場所に、フユイチゴの実が見つけられた。



こうしてそれを見ると、まるでイクラや筋子のようだ。




白い雪を背景にして、陽射しが当たると、なんだか白いご飯とそこに乗せたイクラを連想してしまった。



いくつになっても、いやしい自分に苦笑した。
寒い日だったので早々に立ち去ったが、サクラにイチゴにと、楽しいものを見たひとときであった。


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新潟・十日町と縁のあるクロアチアとの戦いなのだなあ…

2022-12-05 20:40:58 | 新潟
サッカーW杯カタール大会。
ドイツ、スペインと同じで死の組と言われたところを、両チームを破って日本が予選突破した。
大いに盛り上がったが、決勝トーナメント1回戦の相手となったのが、クロアチアだった。
中越地方の方言でいうと、「あっきゃあ」と思った新潟県人も多かったのじゃないかな。
なぜなら、クロアチアを応援する新潟人も多いから。
特に、中越地方の十日町市民は、そうだっただろう。

なぜなら、2002年W杯日韓大会のときに、クロアチアがキャンプを張ったのが十日町市だったから。
それで、そのクロアチアチームが練習したピッチは、「クロアチア・ピッチ」と呼ぶようになった。
今ではそこに、時々いろいろなサッカーチームが合宿したり試合をしたりするようになっている。
そればかりではなく、今でもクロアチアと交流が続いているのだ。
だから、今大会でも、グループリーグの試合の際にはクロアチアピッチのクラブハウスに集まり、テレビの前で声援を送ったりしたそうだ。

十日町市は、去年、東京五輪でもホストタウンとなり、事前キャンプでは柔道やテコンドー、空手の選手団を受け入れた。
今大会前にはクロアチアの活躍を願って7000羽の千羽鶴をカタールに送っていたそうだ。
十日町市では、今夜の日本―クロアチア戦のパブリックビューイングも計画している。

今回メディアで取り上げられていたのが、ある居酒屋のこと。
店名は、「食楽空間 だぼる」というのだそうだ。
「だぼる」というのは、日韓大会で主将を務めたダボル・シュケル選手からきている。
この店のオーナーは、日韓大会の事前キャンプで選手らが泊まったホテルの調理師だった。
店をもって独立するに当たって、シュケル本人に面会して、「だぼる」の名前を使う了承を得たという。
サッカー教室の後、長蛇の列の最後まで並ぶ少年たちに対してサインを書き続ける同選手の誠実な姿勢に感動したから、というのがその理由だ。

そうかあ、シュケルか。
懐かしいなあ。
その4年前のフランス大会で日本が初出場だったとき、同組となった、アルゼンチンのバティストゥータ、クロアチアのシュケルには気をつけろ、とよく言われたものだった。

そんなこともあり、クロアチアが前回大会で準優勝したとき、「あのクロアチアが…」と喜んだものだった。

ところが、今夜は日本とクロアチアの運命の一戦である。
きっと十日町市では、クロアチアのことも応援しながら、日本の勝利を願うという人が多くなるのだろうなあ。

まずは、いい試合になり、最終的に日本が勝つことを期待しよう。
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卓球Tリーグの熱戦を初観戦

2022-12-04 21:48:39 | スポーツ
今日は、中学高校時代卓球をやっていた娘と一緒に、珍しくというか、初めてこんな試合を見に行ってきた。



これは、卓球の日本のプロリーグ、Tリーグ女子の公式戦。
日本ペイントマレッツ対日本生命レッドエルフの一戦。
Tリーグの試合が新潟県で行われるのは、初めてなのだそうだ。
厳密に言えば、昨日同じ会場で、九州アスティーダ対日本ペイントマレッツの試合が行われ、“ニッペM”が勝った試合が、新潟県初だったのだけれどね。

ともかく、新潟県で初めて開催されたTリーグの公式戦。
どんなものかと楽しみに、チケットを取ったのは2か月前。
お目当ては、日本生命に所属する、伊藤美誠選手と早田ひな選手だった。
今回は、早田選手は同行せず、伊藤美誠選手のプレーに注目が集まった。

取ったチケットは自由席だったため、なかなか2人が座れる空席がなく、見つけるのに苦労した。
やっと座れたのは、こんなポジション。



試合前には、Tリーグやルールの説明、盛り上げるためのハリセンの使い方の練習(?)などもあった。



チームや選手についてのリーフレットかと思いきや、



これを山折り谷折りすると、ハリセンができる。



そして、これをたたいて応援する、というわけだ。
これがまた、けっこういい音が出て、場内に流れるドラム音に合わせてたたくと、いかにも応援気分が盛り上がる。



さて、今日の一戦の組み合わせは、と…。



お目当ての伊藤美誠選手は、第2試合に登場する。

まずは、第1試合のダブルスに注目。
ニッペMのダブルスは、芝田・大藤組。
何?しばた?
この会場、新発田市にぴったりの苗字ではないですか!?
そう思ったら、急に親近感がわいてきて、日本生命よりニッペの方を応援したくなった。



試合は、この第1マッチから接戦となった。
1-1のゲームオールになり、第3ゲームは特別ルールの6-6から始まる。
いい試合となり、ジュースの末に、芝田組が勝利し、ニッペM1勝。

さあ、第2マッチ、みんなが見たかった伊藤美誠選手の登場だ。
対戦相手は、ダブルスの試合をしたばかりの芝田選手。
第1ゲームは、さすが世界の伊藤美誠。
バチバチの勢いであっという間にもぎ取った。



ところが、異変が起きたのは、第2ゲームで伊藤が2-1とリードしたとき。
伊藤が主審に何やら指差して訴えていた。
どうやら、場内にスマホでフラッシュを使って写真撮影をしていたおばかさんがいた模様。
写真は撮ってもいいが、フラッシュ撮影はしないようにと、あれほど場内放送があったというのに。
そこで、多少の中断があったことが、伊藤のリズムを狂わせたのか、ここから芝田が盛り返した。
芝田が第2、第3ゲームを奪い、伊藤には後がなくなった第4ゲーム。
このゲームが最高に面白かった。
すばらしいラリーが続いたり、伊藤の速攻が決まったり、芝田の両ハンドの強打が決まったり…。
ついに、10-10の同点で、Tリーグ特有のルール「ジュースなしの1本勝負」。
サーブを持っている伊藤有利かと思ったが、得点に成功したのは芝田だった。
芝田は、先日も、何かの大会で伊藤を倒しているはず。
シングルスでもダブルスでも勝利できる地力をつけてきたことを証明してみせた。

勝敗を決める第3マッチ。
ニッペはあまり試合に出ていなかった横井咲桜、日本生命は中国出身選手のジャン・ホイ。



これは、大柄でパワーのあるジャン・ホイのものだろうと思っていたら、横井が結構粘る。
なんと、3-1で横井が勝利し、これでニッペの勝利が確定し、勝ち点3を積み上げた。

それでも、第4マッチまでやるルールなのが、Tリーグ。
この試合を勝って4-0とすれば、勝ち点を4とすることができるというルール。
それは避けたい日本生命は、準エース級、強打の森さくら選手。
ニッペは、カットマンの橋本帆乃香選手。



これがまた、最高にいい試合を展開した。
昔と違って、カットマンは、カットばかりするのではなく、ドライブやハーフボレー、バックハンドなど、普通の攻撃選手ができることもできなくては、近年のパワー・スピードのある卓球では勝てない。
そのことを橋本選手は見せてくれた。
サーブからの3球目や、ラリー中の打ち方の変化、普通にバックハンドを振るプレー。
強打で鳴らす森さくら選手を相手に、ありとあらゆるプレーの工夫によって、ポイントをかせぎ接戦に持ち込んでいった。
場内の観衆は、もう、橋本のプレーに釘付けになっていた。
様々なプレーの変化の工夫によって、これまたゲームオールのジュースの末、橋本選手が競り勝ったのは、見事だった。



いやあ、面白かった。
女子の日本の卓球が、ここまで進化しているとは思わなかった。
私たちが若かったときには、女子の試合に「ツッツキ」のラリーは欠かせなかったのが、今やそんな小技ではなく、チキータでの先手を取った攻めや、後陣からでもバックハンドを振りぬくプレー、男子顔負けのドライブの引き合いなど、見ごたえがあった。
現代の女子選手だと、30年余り前の男子選手にも普通に勝つのではないだろうか。
そのレベルの高さは、見ごたえがあり、金を出して見に行くだけの試合にふさわしいと思った。
昔の言い方をすれば、「さすが、プロ」。

さて、この試合はプロリーグの興行であった。
MCが場内の観衆を盛り上げようとしてくれたり、ハリセンを使った応援をさせてくれたりと、かつての卓球にはなかった新しさがあった。
今日の観衆は、Tリーグの公式HPによれば、731人だったそうだ。
この人数が、新潟県初の開催として、多いのか少ないのかはよくわからない。
だが、このような中身の濃い試合を見せてくれるようであれば、きっとファンも増えることだろう。


【勝利の立役者 芝田沙季選手】

初めて会場で見たTリーグの試合、非常によかったよ。
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昨日、突然の初雪で

2022-12-03 17:41:14 | 自然・季節
今年の初雪は、遅かった。
とはいえ、突然だった。
12月2日の昨日になってからで、ようやくではあったけどね。
ひどいときには、10月中に初雪となったり、11月に何センチも雪が積もったりする年もあるのだが、今年は比較的暖かい日が続いた。
初雪が遅いのは、個人的にはいくら遅くてもいいと思う。
まあ、スキー場はそれでは困るだろうけれど。

気温が低くなり、冷たい雨が降りそうだという天気予報は聞いていたが、雪が降るなんて聞いていなかった。
まさか雪が降るとは思わなかった。
昨日の朝起きると、庭に雪が降った跡が残っていた。



植木台の鉢にも。



そうこうしているうちに、午前中に、雪が降り始めた。



けっこう勢いよく降っていたので、外にあった車の上はあっという間に白くなった。



道路も雪で白くなった。
このままでは、車の運転に支障が出そうだと考え、タイヤを冬用のものに交換することにした。
雪国に住んでいると、タイヤ交換ぐらいは一人でできないとな、と思う。
外部の業者に頼むと、安くても1本500円くらいかかってしまう。
自分でもできるのに、余計な出費は避けたい。
やはり、多少の腰痛が不安なれど、無理せず気をつけてがんばればいいのだ。



準備から片付けまで約1時間かけて作業終了。
最後に、セルフのガソリンスタンドに行って、給油し、自分で空気圧の調整。
最近は、空気圧を調整してもらうのにも、金がかかる。
だけど、ポータブルの器械を借りて自分で調整するとただなので、自分でやる。
毎年、早春と初冬の2回、タイヤ交換を行っているので、空気圧調整器の扱いもだいぶ慣れた。
無事にタイヤ交換を終え、冬に対する備えが一つ終わってホッとした。

天気予報によれば、新潟は天気の良くない日が続くというけれど、平野部ではまだ雪が降り続くということはなさそうだ。
今年は、比較的暖かい晩秋だったので、まだ庭木などの冬じたくをしていなかった。
天気の合間をぬって、本格的な冬が来る前に、やるべきことはやらなくてはいけませんな…。
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「何が起こるか分からない」は、第3戦でも\(^o^)/

2022-12-02 20:40:50 | スポーツ
サッカーW杯カタール大会。
先日、日本の予選リーグ第2戦を終えた後で、
「サッカーは何が起こるか分からない」を、2戦続けて見せてもらった
というタイトルでこのブログを書いた。

それが、まさか第3戦でも見ることになるなんて、ビックリもいいところ。
昔風に言えば、「オドロキ、モモノキ、サンショノキ」であった。

だいたい、抽選でこの大会の予選の組み合わせが決まったとき、大半の人が日本の予選リーグ突破を絶望視したのだ。
ドイツ、コスタリカ、スペイン。
W杯の戦前でも、予選を突破するには、
「1勝1敗1引き分けの勝ち点4」
「得失点差で2位通過」
なんていう予想がまかり通っていたのだった。

「初戦のドイツに引き分け、2戦目のコスタリカに勝ち、3戦目のスペインに惜敗する」
そんな予想をしていた人のなんと多かったことか。

それが、初戦のドイツ戦に、2-1と信じられないような逆転勝ちをしたら、
「コスタリカには勝てる」
というムードになってしまった。
ところが、ワン・チャンスを決められて、第2戦のコスタリカ戦によもやの0-1の敗戦。
一気に予選突破のムードはしぼんでしまった。

スペインにはアジアのチームが勝ったことがないというし、夜明け前の午前4時からの試合ということだし、むざむざ日本が負ける試合を見なくてもいいだろうと私は思っていた。

それでも、プレーをするのは選手たち。
その選手たちの第3戦前のコメントが、「スペインに勝つだけ」「必ず勝つ」という、何かとても力強かった。
過去にも、第3戦に予選突破の条件が付いたときがあったが、ここまで力強い口調では言えてなかった。
だから、なんだか信頼できそうな気がしたのだった。
そこで、やっぱり朝4時前に起きて、第3戦を見ようと決めた。

いやあ、早起きしてよかったよ。
歴史に残る勝利を見せてもらったのだから。
ブラボー!\(^o^)/

さて、スペイン戦。
第1戦とはシステムを変えて、4バックではなく3バック。
だが、起用するメンバーは、ドイツ戦の先発メンバーに近い顔ぶれ。

試合開始早々には日本にチャンスもあったが、先制点はスペイン。
前半11分は早過ぎる。
その後も、ずっとボールを握られて、スペインのボール支配率79%。
なんとか追加点は防いでいたが、前半の終わり近い時間帯に日本の3バックのDF3人が、皆1枚ずつイエローカードをもらってしまった。
これでは、相手の攻撃に対して厳しくいけない。
後半は、さらにスペインの猛攻にさらされるかもしれない、と思いつつ、前半が0-1で済んだことを幸運だと思うことにした。
ドイツ戦もそうだったが、1点のビハインドは1回のチャンスで追いつける可能性がある。
だが、2点も差があると、野球と違って1回のチャンスで2点は取れない。

その幸運を生かしたのは、後半の試合開始からだった。
ドイツ戦同様に、堂安と三苫を起用したのがズバリ当たった。
三苫が、相手陣内でも厳しく追って行くと、相手GKが味方にパスを送ったところに、厳しく伊東がアタックし、堂安にボールが渡った。
相手DFを交わして放った堂安のシュートは、GKの手を弾いてゴールネットを揺らした。
見事な同点弾!

勢いは止まらず、その後3分もしないうちに、再び攻め込んだ日本がパスをつないでいく。堂安からのラストパスは、前田に間に合わなかったが、ラインを外れそうになっても三苫が懸命に足を伸ばして、ゴール前にボールを上げた。
ここに、田中碧が飛び込んでゴール!
これは、VARの対象。
ボールの中にはセンサーもあると前々から聞いていたので、よこしまなジャッジが入る隙間はない。
だから、安心して判断が下されるのを待った。

幸いゴールが認められ、日本逆転!
2-1。
VARすごい!
センサーすごい!
正確なジャッジ、ありがとう!

まだ時間は、40分以上あった。
だが、そこを日本は組織的に守り切った。
後半だって、スペインのボール支配率は74%だったと聞いた。
サッカーの勝敗は、ボールの支配率で決まるのではない、ということを事実で見せてくれた。
やっぱり、サッカーは、何が起こるか分からない。
日本チームは、戦うたびにそのことを教えてくれた。
第1戦と第3戦は、よい意味で。
第2戦は、悪い意味で。

ただ、何が起こるか分からない状況を生み出したのは、選手たちのがんばりがあったからにほかならない。
森保監督も、他の選手たちも口にしていたのは、最後は気持ちだということをよく言っていた。
勝ちたいという気持ちがあって、作戦があって、それに基づいてプレーしたから。
そして、疲れても厳しい状況に追い込まれても、逃げずに勝つために最善の行動を選んでプレーしたから。
まさに、ブラボー!

ブラボー!
長友が何度も叫んでいるこの言葉。
今からでも、審査をやり直せば、流行語大賞取れるんじゃないの?

ともかく、これで日本は初めての2大会連続の決勝トーナメント進出。
日本チーム、選手、監督、スタッフのみなさん、そして応援したサポーターのみなさん、本当に勝利おめでとうございました。
次のクロアチア戦でも、何が起こるか分からないけど、みんなでがんばる姿を見せて史上初のベスト8を実現していきましょう!
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