ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

暑さ寒さも彼岸までというが彼岸の中日、酷寒RUN~新潟ハーフマラソン2024~(中編)

2024-03-21 18:01:30 | RUN

 

11㎞地点の舞平清掃センター前の給水所あたりで、また空が怪しくなってきた。

少しずつポツポツ来たが、大したことはないだろうと走り続けていた。

ところが、次第に強くなってきたので、6km辺りで脱いでポケットにしまっていた例の「穴あけポリ袋」を再びかぶることにした。

 

12㎞地点辺りでは、相当強い雨足になってきた。

12㎞から15㎞の往復3kmの江南区天野の地域は、新潟寺泊線の道路をはさんで両側が町並みの様相。

この3kmが、新潟ハーフマラソンでは一番応援の多い区間かもしれない。

本降りの悪天候の中を両側にたくさんの人が並んで声援を送ってくれていたのは、ありがたいと思いつつ、折り返しを終えたランナーたちが続々と走って来るのとすれ違う。

その中に、参加している息子がいないか見ていたが、どうやら先に行ってしまったらしい。

次に、4km過ぎであいさつして先行していったYさんはいないか、雨の中目をこらしていると、アルビサポのオレンジをまとったランナーが見えた。

やっぱり、Yさん。

写真を撮りたかったけれど、雨が当たるせいで、うまくスマホが作動してくれない。

やっとのことで撮れた1枚はピンボケ。

Yさん、ごめんなさい。

この後の折り返しまではずいぶん距離があったから、Yさんとは1kmどころではない差がついてしまったのだなあ、と思いながら、折り返し点を目指した。

 

今年も、折り返し点に立っていたのは、地元の銘酒越乃寒梅の純米吟醸のビッグボトル。

信濃川大橋の手前で折り返す。

 

町並みの両側からの声援がありがたい。

私の「アイシテルニイガタ」ユニを見て、「アルビ、ガンバ!」と声をかけてくれた方が何人かいたのは、本当にうれしく力が湧いてきた。

アルビユニといえば、何人ものランナーが着用していた。

なかでも、13…伊藤涼太郎、28…早川史哉、23…小見洋太(神ユニ)などは、今はいなくなった選手や以前の番号だから、何やらランナーの深い思い入れを感じた。

 

そんなとき、後方からカツコツという足音を立てながら、あるランナーが迫ってきた。

仮装ランナーの一人なのだろうけど、服装を見てほしいのではなく、注目は足元。

音がするのも道理、足元が違っていた。

なんと、下駄ばき。それも不安定な一本歯の下駄。

「ひょっとして、去年もこの下駄で走っていませんでしたか?」

と問いかけると、

「ええ、毎回これで走っています。」

との返答。

すごいよね~、なんともオドロキだった。

少し同走したが、前に出られたので、追いついてから、

「写真撮ってもいいですか?」

と聞くと、

「いいですよ」

というのでここに載せたしだい。

このままむざむざ一本歯下駄ランナーに先行されるのも口惜しいので、意地になって少しスピードを上げて先に出た。

 

その先にあったのが、給水所。

ここでは楽しみがあった。

それは、イチゴの提供。

去年はなくなっていたのだが、今年はありつけたから、満足。

 

イチゴをいただいたところで、15㎞地点通過。

無理せずジョギング中心に来たので、体力は、まだ残っている気がする。

さあ、あと残りは6km。

       (つづく)

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暑さ寒さも彼岸までというが彼岸の中日、酷寒RUN~新潟ハーフマラソン2024~(前編)

2024-03-20 19:05:30 | RUN

ガタガタ、ガタガタ。

ゴール後びしょぬれになった体が震えること、震えること。

雪こそなかったが、「雨ニモマケズ風ニモ負ケズ」のレースとなった。

暑さ寒さも彼岸まで?嘘だろう、真冬の寒さだったよ。

そう言いながらも、「新潟ハーフマラソン2024」、極寒(大げさだ)のレースを楽しんできた。(終わったから言える(^^;))

 

天気予報は、雨。

気温が低く、風も強いとのこと。

ホントに大会やるのかな?と思い、午前5時30分の大会HPの発表を待った。


ああ、やっぱりやるんだね、通常開催。早めに来いって、そっけない文章。

昨秋新潟シティマラソンで駐車場入り口での渋滞で、入場に時間がかかったことを思い出し、少し早めに出かけた。

なんと今回は、スイスイ。

あの時みたいに駐車券に参加者のゼッケン№が書いてあるかどうかの確認がなかったから、スムーズだった。(そもそも、そんな確認なんかいらないのである。)

P4駐車場は、アルビの試合で使う駐車場だから、勝手知ったるもの。

他の車の駐車が少ない、エコスタにつながる信号に近い場所に車を止めて、傘をさして歩いて行った。

 

スタジアムの前は、いつもと違った仕様。

ゲストランナー4人が描かれた(写った?)大会パネルが立っていた。

デンカビッグスワンスタジアムが発着場所でもあり、手荷物預けもトイレも、その中で済ませる仕組み。

スタジアム内でも吹きつける風は冷たいが、早く着きすぎたので、持って行ったナンプレの問題を解いて時間をつぶした。

今回は、寒い中でのレースということで、頭には、耳も隠せる帽子。

長袖のトレーニングシャツの上に、いつもの「アイシテルニイガタ」のTシャツ。

その上に、大きなポリ袋に両腕・首用に穴を開けたものをかぶって着て、防寒・防水。

ランニングタイツの上にランニング用ショートパンツを着用。

それでも、寒さはそれ以上。

8時40分には整列したが、上からの小雨、横からの寒風に、ガタガタ震えていた。

口のマスク、頭の耳隠し帽をしてなかったら、もっと寒かっただろう。

大会本部の放送では、気温は4.4℃、風速3.3mと紹介していた。

レース前には、4人のゲストランナーの紹介が聞こえたが、後方の私らにはそれを見るすべはなし。

 

9時にスタート。

私がスタート地点に到達したのは、3分ほどたってからだった。

すると、そこに、ゲストランナー「山の妖精」こと城西大の山本唯翔選手が励ましの声をかけていた。

ちゃっかりそのそばを通り、片手タッチをして、元気をいただいたぞ。

ありがとう、山本選手。社会人となってからも活躍されることを祈っています。

 

いよいよ外の道路に出て走り出した。

その辺りで、もう1km。

そして、横風を受けながら走って行くと、2km地点で弁天線の道路を行くことになる。

ここからは、両側が工業団地のようになっているせいか、結構名前を挙げて応援する人たちが多い。

そこで思うのは、場所柄だろうか、アルビレックス新潟のチームカラー、オレンジ色の雨具や防寒具を着ている人が多い。

試合のときにはそれを着て応援しているのかな、などと考えながら3km地点を過ぎていった。

そして、弁天線が白根亀田線と名前が変わるあたりで4kmが終わる。

ここまで、自分のタイムは、①6分26秒 ②6分23秒 ③6分21秒 ④6分34秒。

体調を考えると、このくらいの、1キロ6分30秒前後で淡々と走って行ければいいや、と思っていた。

 

そこへ、後ろから来て横に並んだランナーから、急に名前を呼ばれた。

「へぇ?」と一瞬驚いたが、彼は阿賀町時代の知り合いのYさん。

2年前の燕さくらマラソンで久々の再会を果たした彼も、自分のことを「なんちゃってランナー」と呼ぶが、彼は今も努力して月に100㎞以上走っており、私の方がなんちゃって度では勝っている(自慢してどうなる!?)。

Yさんも、恒例のアルビユニ着用者で、12番のサポーター№をつけていた。

「どうぞお先に行ってください」と、声をかけると、私より軽い走りで前に進んでいった。

また、曽野木の街の折り返し点前後でお会いしましょう。

 

5.5㎞地点で、初めての給水。

カップに入ったスポーツドリンク1つと水を1つ取って口にした。

寒い日でも、水分はちゃんととっておこう。

 

いつの間にか雨が上がって、走りやすくなっていた。

 

集落の建物が並ぶ中の道は、風が来なくて走りやすい。

両川小学校、両川中学校を過ぎて、酒屋町を過ぎていくと、9km辺りの地点は、毎年通り過ぎるのが楽しみな場所がある。

ある自動車工場なのだが、そこには、赤青黄の三色レンジャーがいて、応援してくれるからだ。

いました、いました、今年もいてくれました。

ここで、三色レンジャーそれぞれとタッチして、元気をもらった。

農村地帯だが、あちこちに家族で人が立っていて、応援してくれるのがありがたい。

こんなに遅いランナーにも声援を送ってくれる。

思わず腕を上げ、「ありがとうございます!」と返すランナーは、私以外にもたくさんいた。

 

10㎞を過ぎた。

あと半分か。

いつも、1度走るとこのくらいは走るし、ここまで体にきつくない走りをしてきたつもりだから、まだ疲れはさほどではない。

心拍数は170に達しないように気をつけながら走ってきたが、タイムは、キロ6分30秒前後で行けている。

④6分34秒 ⑤6分22秒 ⑥6分43秒 ⑦6分28秒 ⑧6分25秒 ⑨6分24秒 ⑩6分23秒

このまま行きたいものだ、と思いながら、ハーフマラソンのおよそ半分を過ぎた。

ここまでは順調。雨もやみ、寒さはあるけれど、走っているとさほどに感じないほどのものであったのだが…。

(つづく)

 

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梅の花見に、今年も月岡梅林園

2024-03-19 17:27:33 | お出かけ

新発田市の有名な温泉地、月岡温泉から2kmほどしか離れていないところに、月岡梅林園がある。

およそ800本の梅の木があるが、そこからは梅の実を収穫することを目的にしているとのこと。

だが、こんな看板まで出ているから、自由に見に行ってもいい。

春になると、毎年のようによくここへ梅の花を見に行く。

 

今年は梅の花ももう咲いているだろうと思いながら、3月になって結構寒い日が多くて行かないでいた。

今日の午前中は少しくもり空ではあったが、時おり薄日が射したりしていた。

明日は、雨か雪ということだったので、花見に行くなら最後のチャンスかな、などと思い、出かけてみた。

やはりよく咲いていた。

ただ、美しさのピークは過ぎていた感が強かった。

でも、梅の花のいい香りに包まれて、いい気分。

 

足元には、オオイヌノフグリがいっぱい、という場所もあった。

 

去年まであった、種類の違う花を咲かせる木が2本、枯れていた。

うーん、残念。

そう思っていたら、足元に、今年初見参の花が一つ。

キクザキイチゲだ。

なんでまたこんなところに。

今までここでこの花を見たことはなかったし、周辺にほかのキクザキイチゲの姿は見られなかった。

まるで、期待していた種類の梅の花が見られなかった代わりに、この花が咲いてくれていたように感じた。

 

意外な発見もあって、今日の花見は、行って正解だったよ。

 

さて、明日は新潟ハーフマラソン。

ところが、天気予報は最悪。

雨時々雪で、スタート時は気温5℃で、風も強いとか。

強雨や強雪・強風に注意

明日は雨や雪が降り、強まって雷やアラレ、突風のおそれがあります。強風による横殴りの降り方や路面の変化にも要注意。気温は上がらず、冬のような寒さです。

だって。

はてさて、どうなることやら…。

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子どもの頃のいやな経験を思い出した

2024-03-18 22:32:02 | 生き方

昨日の、「レミは生きている」の主なテーマは、混血児に対する差別だった。

その差別のひどさをいやというほど味わったことが描かれていた。

読んでいて、私自身の子どもの頃のいやな経験を思い出した。

平野威馬雄氏と私が育った年代との齢の差は、ひと世代分くらい違いがあったが、彼が受けた差別と私自身が子どもの頃に受けたいじめとに、かなり共通点があった。

それは、周囲で生きる多数の人たちが、自分たちとの違いを感じると差別があるということ。

そして、力のある者が弱い者に対して一方的に攻撃を加えるということだ。

 

自分が育った子どもの頃は、小さな社会では、とにかく腕力を中心とした力がある者が、君臨していた。

そして、ことあるごとに理由をつけて、自分の強さを見せつけ、好きに振るまおうとした。

強さがあるから味わえる自尊心を満足させるためには、弱い者たちの存在が必要であった。

弱い者たち、それは、まず戦闘力の低い者が該当する。

ケンカの弱い者は、いつも一方的に被害者となった。

腕力のほかにも、運動能力が低い者たちも弱者となった。

走るのが遅い、速いボールが取れない、跳び箱の高いのが跳べない…などは、指差され馬鹿にされ疎外された。

そういう存在が私であった。

 

自分に対する侵害を避けようとする者たちは、最強のボスの取り巻きとなって、ご機嫌をうかがった。

彼らはボスの言うがままに従う子分となって、自らの保身に走った。

子分たちは、ボスのわがままにたまる鬱憤を、弱者たちに向けて発揮するのだった。

多勢に無勢、おまけに個では武力も圧倒的に足りない弱者は、泣くか避けたり逃げたりするかしかなかった。

 

多勢に無勢と書いたが、狭い社会の中では、他者と少し違うだけで異端者扱いされる。

小学校では、ムラから少し離れたところにある会社の社宅から通う同級生もいたが、「ムラの者じゃない奴とは遊ぶな」などと言う奴らがいた。

周囲の者は自分のことを「オラ」と言っていたが、私が「ボク」と言っていたことから、よそ者扱いされたりもした。

みんなができるのに、できない者、できの悪い者は、馬鹿にされた。

 

そんなふうに、子どもの頃には、力の弱い者や地元出身でない者、少数派の者などは、仲間外れにされて攻撃を受けたものだった。

 

「レミは生きている」を読みながら、こんなだった自分の子どもの頃を思い出した。

今は、「ハラスメント」とか「人権問題」とか言って、だいぶひどい状況が改善されたかのように言われるが、はたしてそうだろうか?

昨日も書いたが、偏見や差別に苦しむ少数派や弱者は、現代でも多い。

例えば、ちょっと考えただけでも、女性、子ども、高齢者、障害者、外国人、感染症患者等、部落差別、SNSによる中傷、…等々、様々な人権問題が存在している。

 

これらの問題は、昔からあってなくなっていないものも多いし、現代になってさらに増えているものもある。

何十年たっても変わっていない部分があることに気づく。

世界情勢を見ても、日本の社会を見ても、人の行いの愚かさや限界を感じざるを得ない気分になったりする。

自戒して注意して行動できる人が増えなければ、結局こうした問題はなくならないのだろう…。

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「レミは生きている」(平野威馬雄著;ちくま文庫)…差別を受けた昔の人の話、では終わらない…

2024-03-17 19:56:52 | 読む

著者の平野威馬雄氏は、あのにぎやかな(?)料理研究家の平野レミさんの父に当たる。

だから、「レミは生きている」なんていうタイトルを見ると、自分の娘について書いた本のように思えるが、そういう訳ではない。

「レミ」というのは、僅かな時しか共にいられなかったアメリカ人の父から贈られた子供時代の著者の愛称であった。

平野威馬雄氏は、詩人であり、フランス文学者であったが、第二次世界大戦後、混血児を救う「レミの会」を結成した人だった。

 

この本を読んでみたいと思ったのは、NHKの「趣味どきっ!」の「読書の森へ 本の道しるべ 」という番組でだった。

その1回目の放送では、以前に書いたように角田光代さんが本を紹介していたのだが、その何回目かに平野レミさんが出演したことがあった。

そのとき、レミさんが著者の長女だったといって、取り上げたうちの1冊だった。

レミさんが学校を辞めたいと悩んだとき、父親である著者威馬雄さんに相談したら、「行かなくていい」と言って、この本を薦めた、というような話が紹介された。

よく覚えていないが、確かそんな話だったと思う。

この話が心に残り、読んでみたいなと思ったのだった。

最寄りの図書館にあったので、借りてきた。

あったのは、文庫本だった。

でも、「レミは生きている」のタイトルの上に「新版」と書いてあり、本の後ろの方を見てみたら、2022年8月に出た復刊本であった。

やはりよい本だから、復刊となったのだろう。

ちなみに、新版の表紙絵は、平野レミさんの夫、和田誠氏によるものであった。

 

著者の威馬雄氏は、アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれた子であった。

その彼は、日本人だという自覚を持っているのに、周囲からは日本人でないと言われ、差別を受ける。

小さいころから「あいのこ」と蔑称で呼ばれ、差別を受け続けて育った著者の自伝的小説が、この本だった。

「まえがき」には、子どもたちに向けて呼びかけた文章が書いてある。

日本の少年少女に、ほんとうのことをわかってもらいたいと思って、この本を書きました。

同じ人間として生まれながら、顔かたちがかわっているというだけで、差別あつかいされ、毎日、悲しい思いでくらしている「混血児」にかわって、ぼくはこの本をかいてみました。

(略)

おとなの人にうったえるだけではだめだと思ったので、こんどは、少年少女のみなさんに、ちょくせつ、よびかけてみたかったのです。

この本は、ぼくのおさないころからの、ほんとうの話です。

(略)

どうか、みなさん、かたすみにわすれさられようとしている混血児たちの、やさしいお友だちになってげてください。そういうお友だちが、ひとりでも多くふえることが、いちばんうれしいことなのです。いつまでも、日本が、平和なよい国であるために。

                               平野威馬雄

 

著者は、こんな願いをもって書いた本だっただけに、文章は読みやすかった。

だが、内容は、本当につらくなるものが多かった。

実話だけになおさらだ。

幼いころからいわれのない偏見と差別を受け、中傷され続けた著者。

威馬雄少年は、自分の存在に罪悪感を感じるほどになっていった。

著者は、戦前・戦中にはさらにひどい経験をしながら育ち、生きてきた。

だから、こうしてその経験を著しておかないと、当事者の気持ちはきっと分からないままであろう。

 

それにしても、日本という国に住む人には、今でもなんと排他主義的な人が多いことか。

きっと、いつの日にか、このすぐれた血すじは、日本の名をオリンピックにかかげてくれるだろう。アメリカのエースたちが、多く黒人選手である…のと、同じように、日本のエースたちの中にも、すぐれた「混血の子」の名がきっと…。ああ、そんな日のために、ぼくは、かれらの天分に応じた教育を考えてやろうと思う。

著者は、最終章でこう書いていた。

 

そのとおり、スポーツで活躍する日本のエースの中に、たくさん見かけるようになった。

その人たちの活躍に心躍ることが多い。

だが、今でも、偏見や差別、中傷は後を絶たない。

日本代表として活躍する人たちが失敗したりや期待にそぐわなかったりした場合には、ひどい中傷がSNSによく上がっている。

つい先日のサッカーのアジア杯のゴールキーパーに対するものにひどいものがあったし、他のスポーツでもちょくちょく起こっている。

去年Jリーグで優勝したヴィッセル神戸の酒井高徳選手が、「W」という著書で、人からの言われが多く「とにかく目立ちたくなかった」と書いていたのを読んだことがあったことも思い出した。

 

「W ~ダブル~ 人とは違う、それでもいい」(酒井高徳著;ワニブックス) - ON  MY  WAY

著者の酒井高徳はサッカー選手。新潟県出身の彼の父は日本人、母はドイツ人である。彼のような人に対し、世間は簡単に「ハーフ」という言葉を投げつける。「ハーフ」という...

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こうしたことからも、最近新版が出たのは意味がある。

しかも子ども向けに書いたものであったが、今の日本には大人の文庫本で復刊する必要性・重要性も高かった、と言えるだろう。

小さいころに周囲の子どもたちからいじめを受けて育った自分だから、偏見や差別には敏感だと思っていたが、まだまだ自身に内在するものがある、とも思わせてくれた本でもあった。

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追いつかれて悔しい引き分け ~2024第4節アウェイ東京ヴェルディ戦~

2024-03-16 20:42:43 | アルビレックス新潟

面白いもので、サッカーの試合を見ていると、同じ引き分けでもあと味が違う。

自分が応援するチームが負けていたのを、同点に追いついて引き分けた試合は、なんだか勝ったような気持ちになる。

反対に、自分が応援するチームが勝っていたのに、同点に追いつかれて引き分けた試合は、なんだか負けたような気持ちになる。

今日の東京ヴェルディ戦、味わったのは、まさしく後者の思いであった。

 

今日の対戦相手のヴェルディは、過去3試合いずれもアディショナルタイムなど試合の最終盤に、相手チームにPKを与えて勝ちを逃したり引き分けになってしまったりしていた、3試合で勝ち点1という相手だった。

だから、そういうチームに立ち直るきっかけを与えたりしなくてもいいのだが。

昨季の「新潟クリニック」が復活したような気もした、今日の試合だった。

 

先発メンバーは、前節活躍した小野裕二が抜けて、谷口が入っていた。

後半勝負をにらんで、長谷川元希、長倉、太田の3人はベンチで切り札として出番を待つ。

 

試合開始直後から新潟は、ボールを支配するが、7分、東京ヴにゴール前でFKをを与えてしまった。

なんだか、いやな位置だなあと思っていたら、案の定、素晴らしいキックを決められてしまった。

小島の反応が遅れたというより、あれはキックがよすぎた。

 

ずいぶん早い失点だったが、「てっぺん」を目指すチームならこのくらいの逆境ははね返さないと。

そう思っていたのに、22分には、DFデンが足を滑らせたことから、相手に決定的なチャンスを与えてしまった。

だが、そこはGK小島、1対1になりながら至近距離での相手のシュートをしっかり弾き、2点目を許さなかった。

その奮闘が実って、32分、高木のCKから、ファーの谷口がヘッドで同点弾を決めた。

さすが谷口、今季は劣勢のときに頼りになる。

第1戦に続いて、貴重な同点弾を決めた。

 

追いついて、同点で前半終了は、悪くない。

前半、ボール保持率は上回っているのに、シュートの本数も枠内シュート数も負けているという新潟であった。

だけど、なぜか、これなら後半、例の3人が出たら勝ち越せるぞ、という思いがしたのであった。

 

その予感が当たるのだから、オレってすごい~って思ったのが後半だった。

67分に、谷口・高木・松田に代えて、長倉・太田・長谷川元希の3枚替えをした2分後、ねらっていた長倉が前線でボールを奪取しゴールに迫ると、見事な勝ち越しゴール。

よし、今日も勝てる!

 

…そう思っていたのに、3試合連続アディショナルタイム失点の東京ヴに、逆に得点されてしまった。

ゴール前にボールを上げられると、難しい形ですばらしいラストパスを送られ、飛び込んできた相手選手に同点ゴールを決められてしまった。

 

まだ時間は5分ほどあったのだが、勝ち越しゴールは生まれず、ドローとなってしまった。

後半のシュート数は増えたが、相変わらず枠に行かないのが多いのだな。

最後の方で、小見が強引にペナルティエリアに進入したのだが、パスを選択した。

あそこは思い切って打ってほしかった。

 

またしても、シュートを打つ積極性と、枠内にシュートを打つ正確さが課題となったゲームだった。

普通なら、アウェイで勝ち点1はいいやと思うのだが、てっぺんを目指すチームなら、まして苦しいところを逆転した試合なら、そこは勝ち切ってほしかったなあ、と思う。

悔やまれる。

 

まあ、終わったことは悔やんでいても仕方がない。

次の試合で勝つ以外にもやもやは晴れないよな。

次だ、次。

…ということで、次の試合は1週空いて30日に柏相手のホーム戦。

 

順位表を見ると、柏と新潟は勝ち点で並んでいるから、負けられない。

首位におどり出たのは、勝つためなら何でも…という、J2上がりの町田。

新潟が勝っていれば、そのすぐ下の2位だったのになあ…。

おっと、また悔やんでいる。

2週間の間に、少し休んで気分を入れ替えて、さらに強くなってもらいましょう。

 

Visca Albirex !!

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「人生最後に後悔しないための読書論」– 2023/12/7 (齋藤 孝 著;中公新書ラクレ) を読んで

2024-03-15 21:42:03 | 読む

齋藤孝という人は、ずいぶんたくさんの書を著している。

新書のコーナーには、ずらりと並んでいるので、よくまあこんなに…と思ってしまう。

このたび、読んでみたら、と人に薦められたのが、この本。

タイトルが、「人生最後に後悔しないため」というのが気になったので、読んでみることにした。

 

1章の前に「はじめに―読書をすれば、中高年も新たな『ステージ』へ」と書かれてあって、なんとなく興味はそそられた。

内容の構成は、次のような5章から成る。

1章 「老い楽の日々」こそ希望あり

2章 あなたも「老賢者」になれる

3章 世界の「シニア小説」を味わおう

4章 なぜか落ち着く「江戸」へのいざない

5章 いい大人になるための「哲学」入門

そして、それぞれの章の終わりに、2つくらいずつコラムが載っていた。

 

ざっとまあ、読みやすくはあった。

ただ、「1章 『老い楽の日々』こそ希望あり」は、読んでいても同意できるところがあった。

以前私も読んで、ここでも書いたことがあった、森村誠一の「老いる意味」の話から入っていった。

そこから先の谷崎潤一郎の「鍵」や松井久子の「疼くひと」は、高齢者を扱っている作品だから興味は持てた。

 

だけど、それ以降の章では、途中からなんだか自分の気持ちが本書から離れていくのを感じた。

なぜかというと、あまりにたくさんの本が紹介され過ぎて、総花的すぎる。

老後の生活を知的にするために、名作をあれも読んでみよう、これも読んでみよう…みたいな感じ。

シニアになって、そんなに読めるか、と言いたくなる。

そのうえ、矢継ぎ早にあれもこれもと紹介されると、どうせ私はそんなに読んでいませんよ、というひねた思いが先立ってしまい、これから読んでみようかな、という気にはならないのだった。

 

そんな私だったが、後半納得できる文章には、次のようなものがあった。

だいたい高齢になると、体力が弱って病気がちになります。そのとき、若いころなら「寝ていれば治る」ぐらいに思っていたのに、「もう治らないかもしれない」とか「このまま死に向かうのか」と不安になることもあるでしょう。あるいは周囲の同世代が先に旅立つことも珍しくなくなります。つまり、必然的に死について意識する機会が増えてくると思います。

ならば逆に、そういう不安を忘れる時期があってもいい。何か楽しみを見つけて没頭できるものがあれば、精神衛生的にはプラスに働くはずです。これこそ長生きの秘訣かもしれません。

…読書とは関係ないこの文章が、私には一番しっくりきたというのが、なんとも皮肉な感じであった。

時間を忘れるほど没頭できるものを大事にしよう。

読書も、楽しみが見つかりそうなものを読んでみるのが一番さ。

 

結論。

本書のタイトルに絡んで言えば、「人生最後に後悔しないための読書」は、自分が読みたいと思った本を読んでみること。

それが、高齢者向きのものであっても、青少年を対象にしたものであっても、興味をそそられたら手に取って読んでみることだ。

齢を重ねているからこそ、若いころとはまた違った、新しい発見ができるはずだから。

それこそが、私にとっての「人生最後に後悔しないための読書論」だな。

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植物たちに元気をもらって走る

2024-03-14 18:11:54 | RUN

昨日は、あちこち痛みが出ることがあり、走るのも気持ちが盛り上がらないということを書いた。

今日も、天気はよくないという予報だったので走ることはないと、昨日は思っていたのだった。

だが、今日は午前8時を過ぎて、意外なことに陽が射してきたのだった。

そして明るくなった。

そうか、天気は悪いばかりではないのだな、と思うと、なんだか少し気持ちが上向いた。

あと2時間くらいは晴れて、雨は降らなさそうだ。

そう思うと、ぼうっとしているのがもったいなく感じてしまった。

じゃあ、新潟ハーフの大会まであと6日だから、大会前の最後の練習ということで7,8km走ってみるか、そんな気になった。

 

不調だと思っていると、体が重い。

走りのピッチも上がらない。

でも、まあいいのだ。

こうしてまだ走ることができているのだから。

 

外に出て、外の空気を吸い、外の景色を楽しむ。

こういうことが当たり前のことでないと知ったのは、今から25年前に椎間板ヘルニアで入院していたのに悪化したときだった。

あのときは、強い痛みで10分間と立っていられないほどだった。

詳しい検査をするために、車で他の病院に連れていってもらったとき、窓外の景色が変わっていることにびっくりした。

風景の緑がすごく濃くなっていたのである。

田んぼも山も、近くの林も。

その緑の濃くなった変化に、「ああ、植物たちも生きているのだなあ」と思った。

自分も、この病に負けずに元気になって、外の空気を吸い、外の景色を楽しめるようになりたい。

元気にならなくちゃ、と強く思ったものだった。

 

あの頃の立っていられない苦しみを思うと、今はまだ走れるじゃないか。

どこか痛くても走れるなら、まだいいじゃないか。

そう思うと、少しだけ足取りが軽くなってきた。

あのときとは季節が違うから、見える緑はまだ少ないけれど、走りながらも、植物たちの生きている息吹を感じることができた。

 

道ばたに、「春の雑草の花、四天王」と、勝手に名付けた新潟の春の雑草の花が目に入った。

 

春の雑草の花、四天王 - ON  MY  WAY

ようやく新潟でも、桜の開花が見られるようになってきた。今年の春は、雪解け以降寒い日が続いた。なかなか暖かくならないから、桜のつぼみもなかなかふくらまなかった。桜...

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彼らには、今までも元気をもらってきた。

 

いつの間にやら、大好きな春の野草たちが咲き始めていた - ON  MY  WAY

日曜日、2週間ぶりのRUNに出た。さすがにこの時期、2週間も外をうろついていないとなると、野草たちが元気になっていることを知らないでいた。春の雑草の花四天王と勝...

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その4種の雑草の花たち。

茎が細いタネツケバナの白い花。

毎度おなじみ、スターアイズ、青い瞳のようなオオイヌノフグリの花。

スカートをはいて踊っているような、明るい紫のヒメオドリコソウの花。

そして、きれいな緑の葉に小さく咲いているハコベの花。

ずっと晴れている関東地方なら、ホトケノザやナズナなどがいっぱい咲いているのだが、こちらで多く見かける雑草たちの花は、この4種の花たち。

早春の道ばたを飾って、走る私に力を与えてくれた。

おかげで、7,8㎞を越えて、10㎞で終わるのも残念で、さらに1㎞増やして11㎞を走ってしまった。

この後、低血圧の症状が現れるのが最近の傾向だが、走っている間気持ちよかったこと、春の雑草の花たちに勇気づけられたことを胸に、まあ気をつけて、気分よく過ごすことにしよう。

不調だったはずなのに、昨日とはすっかり気持ちが変わっている、調子のいい私であった。

今日もありがとう、雑草の花たち。

 

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新潟ハーフマラソン1週間前なのだが…

2024-03-13 20:35:54 | 草木花
新潟ハーフマラソンまで、あと1週間。
先週末には、関係物が届いた。
・ビブス(ゼッケン)
・計測チップ(これで記録を計測するのですな)
・手荷物専用袋(着替え等を預けておくのだ)・シール(ビブス№)
・駐車許可証(有料1000円。アルビの駐車券同様。P4駐車場になった)
 
ビブスには、能登半島地震の後だけに、「がんばろう北陸」の文言が付いていた。
改めて、新潟市自体が被災地だったことを思い起こさせられた。
 
ほしいと思う要項は、…今年も、ない。
新潟マラソンも、新潟ハーフマラソンも、同じような扱いで、QRコードから参加案内を読み込めとばかりに、1枚の書類だけ。
まったく、不親切なのだから…ブツブツ。
まあ、去年のように、アプリをダウンロードして1週間分の熱を測れ、というようなことはないから楽になったけど。
参加賞は、完走しないと手に入らない。
「新潟ハーフマラソンオリジナルおにぎり」と名付けられてはいるが、要するにおにぎり。そして、フィニッシャーズ・タオルつまり完走したらもらえるバスタオル。
完走しないともらえないのですな。
 
普通なら、こうしていろいろなものが届くと、テンションが上がるものなのだが、今回はどうも今イチである。
なにしろ、年明けから腰痛でしばらく走れなかった。
それ以降も、変な痛みが、膝、背中、手首、頭などに、ポコポコ出てくる。
おまけに、走った後や翌日には、低血圧になってクラクラすることがある。
走ることは好きで、走っているときはアドレナリンが出るのか気持ちいいのだが、終わった後にこうして不調に悩まされることが多くなっている。
いやだなあ。
60代の年齢でも、前半と後半はこうも違うのか。
加齢とともに、体が言うことをきかなくなってくるものらしい。
 
…ということなので、気持ちは盛り上がらないのだ。
まあ、当日は、完走目指してユルく走ることにしたいと思っている、レース1週間前である。
コメント (2)
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「親馬鹿子馬鹿」(和田誠+和田唱著;復刊ドットコム)

2024-03-12 21:43:48 | 読む

絵本のような装丁のこの本、背表紙には、「和田誠+唱」となっているのに、表紙には「和田唱+誠」となっている。

和田誠氏は、2019年に亡くなったが、あのほのぼのした感じの絵を描くイラストレーターだった。

和田唱氏は、その長男で、ロックバンド・TRICERATOPSのボーカルである。

 

表紙を見て分かるが、この本は、息子の唱氏が小さいころ描いた絵がたくさん載っている。

親馬鹿の和田誠氏が、それらの絵を丁寧に(?)取っておいて、雑誌「家庭画報」誌の1981年1月号から12月号まで1年間連載したものをまとめて本に再構成したものである。

最初は、1983年秋に講談社から出版されたようだが、2017年の秋に、復刊ドットコムから新規要素を加えた新装版として復刊されたものである。

 

大半は、息子唱さんが描いた絵で、ページが埋め尽くされている。

そこに、父誠氏の短いひと言が添えられていて、何ページかに1ページはエッセイがある。

そこに描きたすような形で、誠氏のいつもながらの絵が入っていることもある。

こんなふうに、子どもの描いた絵について、ひと言や文章をつけるというのは、まさに親馬鹿のなせる業だと思う。

連載の期間中、子どもの唱さんは4歳から5歳という年齢であったが、なかなかうまい絵を描くものだ。

もっとも、うまいといっても全く写実的でも何でもない。

まさに、子どもの絵そのものだ。

だが、単純に子どもの感性で描かれた絵たちが、非常に生き生きしている。

子どもたちは、小さいころは、うまいへたなんて考えずに、描きたいから描いている。

唱さんもそうだったのだろう。

だから、絵自体が生き生きしているのだなあ、と思う。

添えられた、父誠氏のひと言ひと言に、目を細めてわが子を見ている親の温かさが感じられ、あったかいものが伝わってきた。

 

誠氏の妻はあの料理研究家の平野レミ氏ということで、唱さんは彼女を母に持つわけだが、本書では登場してもそんなに出番は多くない。

だが、彼女のエプロンのデザインを唱さんが描いたこともあったという話も披露されている。

 

そして、復刊されたこの本のもう一つの見どころは、裏表紙の方から読むようになっている、和田誠-和田唱の親子対談が掲載されている。

その対談は、2016年に行われたものらしいが、音楽や好みのレコードジャケットなどについても語られている。

親子のはずなのに、誠氏の個性なのか、2人がまるで年の近い友だちのような感じで対談が進んでいるのが何とも言えず、好ましい。

互いに「芸術家」であることをみとめ、互いに対するリスペクトがあるのだな、という感覚を抱いた。

 

わが家にも少しばかり、わが子たちが幼児の頃描いた絵が残っている。

やはり私も親馬鹿だったことは、間違いないな、と40年近く前を思い起こしたのだった。

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