ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

小学校、建物もなくなった

2025-01-21 20:47:54 | 生き方

昨日の記事の冒頭に、

「うわあ。なくなっちゃったんだなあ。」

と書いた。

そして、「その場所とは、まずは、ここなのだ。」

とも書いた。

 

こう書いたということは、なくなっちゃったものが1つではなく、ほかにもあったということを示す。

今日は、その、なくなったものの続編である。

 

12月の上旬に通ったら、さら地になっていた。

8月に通ったときには、こんな建物があった。

想像がつくだろうけど、この建物は、小学校だった。

そして、その小学校は、私の出身小学校だった。

 

ここにあった鉄筋2階建ての建物は、昭和42(1967)年、私が小学5年の時に改築されたものであった。

そして、その35年後、平成14(2002)年に127年の歴史を閉じて閉校となっていた。

建物は、それ以降も20年余り残っていたのだが、この夏に通りかかったら、解体工事をする旨の看板が立っていた。

いくら昔自分がいじめられてつらい思いをした小学校とはいえ、閉校した上に建物まで完全になくなってしまうなんて、感情が揺れる。

 

ならば、と急いで建物がある写真を撮ったのだった。

その4か月後、久々に通ったら、完全に何もなくなっていた。

小学5年生の時に、木造校舎に代わってこの鉄筋の建物ができたときには、この小学校がなくなるなんて思ってもみなかった。

少なくとも、自分の命より早く、学校も、鉄筋校舎も失せてしまうとは考えられなかった。

 

さびしいな。

無常を感じるよ…。

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変わってしまった故郷の海辺

2025-01-20 19:58:06 | お出かけ

今年の元日に立ち寄ってみて思った。

「うわあ。なくなっちゃったんだなあ。」…と。

その場所とは、まずは、ここなのだ。

ここは、生まれ育った故郷の浜辺。

夏は海水浴場にもなってきたのだけれど、しばらく何年も行っていなかったら、風景が変わっていて驚いた。

まずは、この高い砂の壁。

前は、こんなに高くなくて、少しだけ砂山になっているという場所だったのに。

今は、砂山が高い壁のようになっていて、海に行くにはその壁と壁の間を通って行かなくてはいけないという感じ。

そして、そこを通って海に近づくと、私には驚きの風景となる。

子どものころから、そこには広い砂浜があったはずだったのだ。

夏に海水浴に行くと、はだしの足には夏の強い陽射しで焼けるように熱くなった砂浜に、手を焼いたものだ。

いや、実際に焼けて熱かったのは足の裏なんだけどね。

手を焼いたんだよ。

 

それが、なんと広かった砂浜がなくなっている。

砂山から波打ち際まではうんと遠かったのに。

びっくりだなあ。

そして、波打ち際から砂山までがこんなに近くなっている。

そのうえ、砂山が高い壁と化している。

故郷は変わりゆくものだとは思っているが、その変わり方が激しいと、さびしいと感じるものなんだね。

このままいくと、やがて砂浜はなくなってしまうのだろうなあ。

 

浸食作用が進んでいることは知っていたけれど、実際に自分の知っている現場に行って、自分の目で見てみると、衝撃は大きかった。

故郷の風景は変わらないでほしい。

そう思うけど、こうして変わってしまったのを見ると……。

なんかムナシイ。

そして、サビシイナ…。

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「青の誓約 市条高校サッカー部」(綾崎隼著;KADOKAWA)を読む

2025-01-19 20:48:54 | 読む

この前、「冷たい恋と雪の密室」を読んで、綾崎隼という作者が新潟県に関係していると知った。

 

「冷たい恋と雪の密室」(綾瀬隼著;ポプラ社)を読む  - ON  MY  WAY

1月といえば、雪の季節。近年の降雪量・積雪量はかつてほどではなくなったとはいうが、いざ降るとなると「やめてくれ!」と叫びたくなるほど降るときがある。今、北海道や青...

goo blog

 

図書館の新潟県に関係したコーナーに行ったら、彼の作品がずらりと並んでいた。

 

その他の作品も結構あるのだな、と、手を伸ばして最初に取ったのがこの1冊だった。

【その裏表紙にあった本書の紹介】

「好きな人が、好きな人と、幸せになれたらいいのに」

 第94回高校サッカー選手権大会を制した青森市条高校サッカー部は奇跡のチームだった。稀代の名将と、絶対的エースの貴希に導かれ、全国の舞台に青の軌跡を描いたのだ。

 あの頃、サッカー部の部員たちは、誰もが一度はマネージャーの真樹那を好きになっている。だが、皆が理解していた。真樹那が幼馴染みの貴希を愛していることを。そして、その貴希が別の誰かを愛していることを……。

『青の誓約』を胸に刻み、少年たちは大人になる。

 恋愛小説の名手による新時代の青春群像劇、開幕!

 

…へえ~、高校サッカーに、恋愛も絡むのか。

目次の構成は、こうなっていた。

第一話 異世界サッカー革命 柏原聖夏

第二話 夢見る頃は過ぎましたので 蜂屋靖彦

第三話 二人きりの椅子取りゲーム 五十嵐翔太

第四話(最終話) 青の誓約 綿貫真樹那

After story 愛も知らずに今日も私は 高橋郁美

 

じゃあ読んでみようかな、と、借りてきた。

 

第一話を読み始めて、なんじゃこりゃ、と思った。

だって、交通事故に遭ったサッカー部員が、異世界で転生する話なのだから。

サッカーで、その異世界を平和な世界にするだなんて。

まるでゲームかバーチャルの話か何かみたいな話なんだから、借りてきたのをちょっと後悔した。

第二話では、話は高校時代ではなくなって、それから7,8年たったときの話。

登場人物が一部かぶるから連作なのだと分かるが、高校サッカーの話は、登場人物の昔のことになってしまっていた。

第三話は、高校時代のゴールキーパーの話。

ゴールキーパーは、サッカーでは一人しかいない。

つまり、一つの椅子しかないそのポジションを取り合うことになる。

その座を巡っての話。

第三話までに共通して出てくるのが、サッカー部のマネージャー真樹那。

彼女のことを、登場する部員誰もが好きになっていたということが共通点になっていた。

 

そこまできて、最終話でいよいよ真樹那を中心人物にして物語が進む。

登場する市条高校サッカー部には、全国大会に優勝させるくらいの名将監督と、絶対的エースの貴希という存在があった。

皆に好かれているのに、貴希に対して幼なじみの頃から報われない片想いを続けていた真樹那。

なぜ報われない片思いなのかは、この最終話で明らかにされる。

そして、その思いの行方も…。

 

第一話ではいくら夢としてもちょっとひいてしまったが、第二話、第三話となかなかいい話だった。

第二話では、サッカーから離れてしまう登場人物。

サッカー選手としての挫折とセカンドキャリアでの苦しい体験や思いが描かれている。

まだ若いのに奥さんを亡くしてしまう友人への思いの表現には、こちらも複雑な感情になってしまった。

第三話では、サッカーを教えてくれた友人とポジションを奪い合うことになってしまったがゆえに起こる悲劇と、後になって分かる隠された真実に、ちょっと感動。

 

そして、四番目の最終話では、この物語で最も大切な人物、真樹那の心情にそって話が進む。

その心情とは、貴希に対する長く報われない愛だ。

物語の終盤になって女の子の心情にスポットを当てて、ストーリーが一気に加速するのは、先の「冷たい恋と雪の密室」と同じだなあと思いながら読んだ。

だけど、この「青の誓約」の方が無理のない展開だと思い、読後感は快かった。

おまけに、単行本書き下ろしの「After story」も、続編としてほのぼのしたいい感じの恋愛話だと思った。

こういう恋愛とスポーツが描かれている小説っていいなあ、と実感したよ。

(イツマデモ若イ気デイルカラネ…)

 

読み終えたら、本書のおしまいの方に何ページもこの綾崎隼の他の作品のCMがあった。

それによると、「レッドスワンシリーズ」というサッカー物の小説が何冊かあるそうだ。

しかも、その小説の舞台は、9度の全国大会出場を誇る、新潟県屈指の私立高校サッカー部だとのこと。

う~ん。そっちの方も読んでみたくなってしまったぞ…。

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あっぱれ!!アルビレックス新潟レディース 皇后杯準決勝PK戦を制して決勝へ

2025-01-18 16:56:23 | アルビレックス新潟

あっぱれ!!

よくぞ勝った!アルビレックス新潟レディース。

皇后杯サッカー準決勝、日テレ・東京ベレーザとのPK戦を制し、決勝進出!!

すばらしい!!!

 

対戦相手の日テレ・東京ベレーザは、現在中断中のリーグ戦では8勝1分け2敗で首位を走っているのだから、5勝2分け4敗のアルビレディースとしては、難敵であった。

なのに今、新潟のサッカーグラウンドは雪に覆われて、まともな練習はできない。

だから、男子チームのアルビレックス新潟は、宮崎へのキャンプに出かけている。

ところが、アルビレディースは、グラウンドが使えず、狭い人工芝の練習場でわずかにボールを回せるくらいのトレーニングしかできなかった。

そんなチームが、雪の心配のない毎日外のグラウンドでサッカーができる強い相手に勝ったのだから、痛快だ。

 

 

同じ準決勝でも、浦和対神戸はNHK-BSでライブで放送するのに、このアルビレディースー日テレの試合は、録画放送でなんと深夜0:00からの放送だそうだ。

一部の新潟サポには、この不平等感は半端ない。

まあ、私も試合と同じ時間にBSで歌番組の再放送をしているくらいなら、皇后杯サッカーをサブチャンネルでもいいから放送してくれないかな、と思ったよ。

 

仕方がないので、SNS等で勝敗の行方を追う。

なんと試合早々の前半6分に、日テレに決められ、0-1と追いかける展開に。

 

だが、ずっと見ていても、得点に動きがないまま。

選手交代を見ても、上尾野辺も川澄も退いてしまったうえ、後半から入った川村も10分余りプレーした後負傷退場してしまった。

頼りになる、経験の豊富な選手たちがいなくなり、残るはGKの平尾と若手ばかり。

SNSを見ても、日テレにかなり攻められているらしい。

ついに、試合終了の時刻を過ぎてしまった。

負けてしまったのだろうな、と思っていたら、なんと「1-1 延長戦へ」の文字が。

どうやら、試合終了直前のラストプレーで同点に追いついたらしい。

得点者は、富岡というが、DFのこの選手知らなかったぞ。

著名な選手がいなくなってから同点に追いつくというのは、信じられないが、頼もしい。

まるで去年のルヴァン杯の再現のような(?)試合終了直前の同点劇だった。

 

その後、得点は動かず、試合はPK戦へ。

ところが、一度は新潟のサポーターがいる側のゴールを使って行うということだったが、その後なぜかコイントスが行われ、日テレ側のゴールを使うことに変更になったという。

なんでも、新潟のゴール裏の旗振りとブーイングがよくなかったから、とか。

(SNSでの情報だから、真偽は不明。)

新潟サポにしてみれば、先制点を奪われた時にも、副審は一度旗を上げてオフサイドの判定をしていたのに覆ったのだとか。

VARもないから、その疑惑の判定に不信感があったのだそうだ。

それに加えて、日テレ側を助けるような、不可解なゴールサイドの変更。

新潟サポのフラストレーションは一気に高まったようだ。

 

その不満を打ち消して見せたのが、GKの平尾だった。

PK戦で、先に守る平尾は、2本のPKを見事に止めて見せた。

3人目まで日テレはすべて失敗。

対するアルビレディースは、後攻ですべてのPKを決めてみせた。

これによって、PK戦では珍しい3-0の勝利となった。

おめでとう、アルビレックス新潟レディース!!

これで、皇后杯5回目の決勝進出だ。

 

だが、今までの4回はいずれも神戸に敗れている。

決勝戦は、その神戸を破って勝ち上がった浦和レッズレディースとの対戦となった。

試合は、1週間後の25日(土)に、今度は広島のスタジアムで行われる。

国立競技場でないのが、残念。

また雪の新潟に帰ってからの調整になるのだろうか?

対戦相手も練習環境も楽ではないけれど、がんばってユニフォームに星をつけられるよう、がんばってほしい。

 

VISCA ALBIREX NIIGATA LADIES !!!

 

※ SNSで拾った情報ばかりなので、多少間違いがあるかもしれません。ご容赦ください。

 

 

さて、本家の男子アルビレックス新潟は、今日、ツエーゲン金沢と30分×3本の練習試合をやって、0-1という結果だったとのこと。

でも、今は、何も心配していない。

無得点は気になるが、監督も選手も大幅に代わったのだから、簡単によい結果は出ないだろう。

「すり合わせ」が進むと、きっとよい結果が出始めるはず。

そう信じております。

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30年前のこの日からの大地震頻発

2025-01-17 20:59:16 | 生き方

50年近く前の学生時代、1月17日といえば、山口百恵の誕生日というのが1つのニュースだった。

サークルの後輩もこの日が誕生日だったのだが、「同じ誕生日だなんて、山口百恵がかわいそうだ」とかなんとか言われて、からかわれていたのを思い出す。

 

だけど、30年前から1月17日は、とても悲惨な災害の日として記憶に残る日となった。

阪神・淡路大震災から、今日で30年。

今日は1日そのニュースばかりを見かけた。

 

当地では、遠く離れていたせいで、少しも被害はなかったのだが、次々と報道されるテレビ画面に言葉を失ったのだった。

倒れた阪神高速道路、下の階がつぶれたり倒れたりしてしまったビル、長田区の大規模な火災など、忘れられないひどい光景など、今でも目に焼き付いている。

震度7という、今まで聞いたことのない大きな地震で起こったこの震災で、6000人を超える人が亡くなったのだった。

 

私の感覚では、この阪神大震災から、日本はずいぶん大きな地震に襲われることの多い国になったような気がする。

阪神大震災の次は、新潟県の2つの地震が連続した。

2004年の中越地震。

2007年の中越沖地震。

震源に近いところの被害は大きかった。

震源地が県内だから、当地もそれなりには揺れたが、被害は幸いに出なかった。

それでも、日本が、この2つがかすんでしまうほどの大きな地震に襲われるとはだれも考えていなかったことだろう。

 

2011年の東日本大震災。

震度7の大地震だけでなく、太平洋岸一帯を襲った大津波、さらには福島第一原子力発電所の事故で、未曽有の大きな被害を生んだのだった。

2万2千人を超える人が亡くなったり行方不明になったりしている。

隣県ということで、当地にもたくさんの人が避難してきたりしたのだった。

 

それからも、2016年には、大きな地震が2日連続と言ってもいい間隔で起こった熊本地震があった。

そして、昨年正月に起こった2024年の能登半島地震。

 

まだほかにもいろいろな地震が、この30年の間に起こっている。

しかも、日本の北から南まで、様々なところで。

先日も日向灘沖を震源とした地震が起こった。

それ以外にも、「南海トラフ地震」の発生の可能性とかが声高に言われている。

 

これだけ頻繁に大地震が起こっているのをみると、現代の日本のわれわれは、大地震がいつ起きてもおかしくない時代に生きているのだと考えてもいいのだろうなあ。

できれば大地震にはあいたくない。

だけど、地震はいつ来るか分からない。

そんな怖さを覚えつつ、生きていかなくてはいけないなあ。

だから、そう考えて警戒して生きること、備えを万全にしておくことが求められているということを忘れてはいけない。

自戒しよう。

そう思わせてくれた、今日の「あの日から30年」であった。

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雪が降らなかったら、なんだか心に余裕が感じられた一日

2025-01-16 21:33:00 | 自然・季節

昨日は、一日中雪だった。

湿気の多い雪だったが、さすがに一日中だと積雪が増えた。

夜中は、それに比べたら積雪量は多くなかったが、昼夜に降った分とけていなかった。

積雪量は、降っては積もるけどしまるので、今朝は48㎝くらいでしょうかね。

山間部の豪雪地帯とは違うが、昨日から降り続いたのは事実。

だから、午前4時過ぎから除雪車がやって来て、わが家の家の前の道路に雪を置いていった。

それで、今朝も除雪作業が必要になった。

除雪は、わが家の玄関から庭を突っ切って、裏のスペースに雪を捨てる作業。

2回目よりは、今日の3回目の方が雪の量は少なかった。

それを今日は楽だなあ、適量だなあと思いながらやっている自分がいた。

 

日中、庭の木々は、雪を乗せて花を咲かせたようになっていた。

ナンテンやロウバイの木も、昨日からの雪で、枝がしなって垂れ下がっていた。

一部は雪の重みで折れてしまっていた。

雪で地面から屋根が近くなった。

屋根にはつららがぶら下がる。

それらを見るにつけ、今が冬だなという思いを強くさせた。

ありきたりな風景なのだが、冬の風景の美しさを感じた。

 

そして、夜。

雪が降っていないので、空を見上げてみたら、隣の家の屋根の上に、なんとオリオン座が輝いていた。

こちらでは、冬は天気が悪い日が多いから、冬の代表的な星座であるオリオン座をちゃんと見られる日は少ないのだ。

貴重なそれを見ることができて、なんだかうれしくなった。

得したような気分になるのはなぜだろう。

(それにしてもスマホで星が撮れるなんて、すごいなあと思う。)

 

今夜から明日は、また天候が崩れて雪になるという。

でも、こうして冬だなあと思いながら、雪が止んでいる間は、わずかながらでも冬だからこそ見つかるものを目にして、少しほっとしていた。

雪が降らなかったせいか、そんな余裕のある自分を見つけて、今日はなんだかいい気分で過ごせた1日だった。

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「小正月」の日と、…チト脱線

2025-01-15 20:30:58 | 自然・季節

早いね。

年が明けたなと思っていたら、もう今日が15日。

1月が半分終わりだってことだ。

1月15日は、旧暦で言えば「小正月」。

本来なら、この日に「さいの神」や「どんど焼き」の行事が行われるのだろうけど、最近は休日などにやってしまうところが多いね。

まあ仕事も学校も休めないから仕方ないけどね。

小正月らしい行事とは何も関係なく過ごした日ではあった。

 

いや、1つだけあった。

小正月で食べるものといえば、たしか小豆がゆの習慣があったはずだ。

小豆には、魔よけの効力があるとか言ってね、それで昔は小豆がゆを食べたように思い出す。

だけどね、この小豆がゆ、子ども心にうまくなかったなあ。

小豆は好きだったし、あんこの入った食べ物は好きだった。

だけど、小豆がゆだけはおいしく感じなかった。

小豆は、あんこになるのだから、ご飯にあんこをかけて食べる方がよっぽどおいしい。

下手におかゆなんかにしないでほしい、と思っていたっけなあ。

妻も小豆がゆは好きでなかったらしく、今回は、単純に小豆ご飯にした。

もち米が入っていないけど、これはこれでほとんど赤飯と同じ感じ。

小豆がゆではなかったのが、グッジョブでしたね。

 

「グッジョブ!」といえば、年が明けてから息子たちが年始に来て置いていったのが、これ。

だるまをかたどった段ボール箱。

どっちが表か裏か分からないけど、その裏はこうなっていた。

表は赤で裏側は白のだるまが描かれていた。

表には鶴の絵で、裏には亀の絵。

縁起物の箱として気に入った。

 

こんなだるま型だけど、中には、350mLのビールが、合計12缶入っているのだ。

これいいね。

ビール箱がこっている。

サッポロビールさん、グッジョブ!です。

これを選んで持ってきた息子たちも、グッジョブです。

(ナアニ、オマエハ、タンニビールガ飲メルカラ、喜ンデイルダケナンダロウ…?)

 

それにしても、最近のパッケージは、こっていたり、紙の無駄がなくなったりとなかなか進化しているなあと感心したのでありました。

小正月と関係がなくなったところで、今日はこの辺で…。

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「おじいちゃんの小さかったとき」あるいは「父さんの小さかったとき」(塩野米松:文、松尾達英:絵;福音館書店)はわれわれ世代への絵本

2025-01-14 22:03:08 | 読む

子どもの時代というと、やっぱり小学生だった頃を連想することが多いと思う。

私は間違いなくそうなのだが、そのころいじめにあっていたことを抜かせば、やはり懐かしく思うことが多い。

 

何かの折に、「おじいちゃんの小さかったとき」という絵本が紹介されているのを読んだ。

「おじいちゃんの小さかったとき」は、2019年に出された改訂版だ。

発行元の福音館書店の紹介には、こんなふうに書いてある。

ビー玉、めんこ、チャンバラ、イナゴとり……どれも昭和の懐かしい暮らしの一つ一つです。 この本は、1950年代から1960年代ごろの子どもたちの暮らしを描いた『父さんの小さかったとき』(1988年刊行)をあらためて作り直した本です。 ぜひ、お孫さんと一緒のときにこの本を広げて、一緒に読みながら、ご自身の昭和時代の体験を語ってあげてください。大好きなおじいちゃんの言葉が子どもの心に深く染み渡ります。★★★本書は1988年刊行の「父さんの小さかったとき」待望の改定版です。

 

なるほど。

1950年代から1960年代ごろの子どもたちの暮らしを描いた、ということなら、もろに自分の子ども時代と重なるではないか。

著者は、秋田県旧角館町出身の塩野米松氏で、絵を描いたのは新潟県長岡市出身の松岡達英氏という。

2人とも日本海側の県出身だし、角館と長岡と言えば雪国だから、冬のこともよく知っているだろうなと思った。

読んでみたいなと思って、最寄りの図書館で検索してみた。

すると、「おじいちゃんの小さかったとき」は、ないということがわかった。

残念だなアと思ったが、ちょっと待て。

それなら改訂される前の「父さんの小さかったとき」もないのか?

と思って、探してみると、あった!

1988年発行の「父さんの小さかったとき」の本が。

さっそく借りてきた。

 

これは、出版社の紹介では、「親子で」とか「お孫さんと一緒に」とか言っているけど、実はわれわれ世代にとって、本当に懐かしい子ども時代の生活の絵本だった。

子どものころ、夢中になって遊んだ。

その遊びや遊び方が書いてある。

めんこやビー玉は、よく出てくるが、私が子どものころ好きだった「くぎ打ち」も書いてあった。

本書では、「かこみくぎさし」という遊び方として紹介されているが、これは間違いなく私らがやっていた「くぎ打ち」。

大きめのくぎを使って、グラウンドの土の上でよくくぎを投げて地面に刺し、その点を結んで遊んだものだった。

私は、めんこやビー玉は弱かったが、くぎ打ちは少しだけ得意だった。

 

ほかにも、すもうをとって遊んだことや馬とびについても書かれてあった。

馬とびは、2組に分かれて、飛んで乗ったり乗ってきた相手達を落とそうと揺らしたりして、あの当時は熱中する遊びの一つだった。

 

遊び道具を自分で作ったりするのも、楽しい遊びの一つだった。

男の子は誰でも「肥後守」という小型の折り畳みナイフを持っていて、それでなんでも作って遊んだものだった。

私らは「えのみ鉄砲」と呼んでいたが、しの竹で作った鉄砲もよく作って遊んだ。

エノキの実を弾にするから「えのみ鉄砲」だったのだ。

 

冬は、雪の遊び。

本書では「きんこ」と呼んでいるが、私らは「ダマ」だった。

「雪玉」からの転語だったのだろうなあ。

いかに固く強い雪玉を作るか、結構工夫したものだった。

 

 

こうして、遊びのことがかなりたくさん書かれてあった。

それ以外に、衣食住の生活のことも多く紹介され、本当に懐かしかった。

今は見なくなった靴についても書いてあった。

ゴム製の「短靴」である。

あのころの男の子は、みんなゴムでできた黒い「短靴」をはいていた。

私は、親が買ってくれた運動靴を普段の履物にしていたのだが、それよりも安くてほとんどの同級生たちがはいているゴムの短靴が欲しくなって、高学年のころに初めて買ってもらったときは喜んではいて遊んでいたものだった。

 

文を書いた塩野さん、絵を描いた松岡さん、ともにこういう時代を過ごしてきたのだろうなあ。

だから、気づかいや心づかいが細部にわたって感じられた。

 

昔を懐かしんで、それがどうした、という人もいることだろう。

だけど、自分が生きてきた時代やその様子と現代を比べて見るのも悪くない。

生きてきた時代を、自分の子ども時代を大切にしているような気がしてくる。

だから、「父さんの小さかったとき」を、時代の推移に合わせて「おじいちゃんの小さかったとき」として改訂版にして刊行してくれたのは、ありがたい措置だなあと思う。

どちらにしても、われわれの年代にふさわしい絵本だよ。

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今年の運勢は…?

2025-01-13 21:15:21 | 生き方

初詣は、元日に近くの神社に行きはした。

だけど、人もいないし、御守やおみくじもなかった。

ただ賽銭をあげて拝んできただけ。

なんだか、ちょっと味気なかった。

おみくじ引きたいな。

 

そんな訳で(?)、今年の運試しというか今年の運勢を占ってみたくなって、やはり大きな神社へ。

今さらかよ。

…とは思うが、この時期になって初詣らしきお参りに行く人は、私だけではなかった。

自分たちの前にも後にも家族連れで訪れている人たちがいた。

彼らもしっかりおみくじを引いていた。

ひょっとすると、おみくじを引くのが目的だったか!?

急に親近感がわいたぞ。

 

参拝して、家内の健康安全を祈った。

そして、待望(?)のおみくじを引く。

私が引いた今回のおみくじの運勢は、「小吉」。

あせればあせる程 苦しみ多く 騒げばさわぐ程損をする災い添う運です

けれど何事も控え目にして心静かに身を守り信心怠らなければ却って後は大の幸福あり

…だそうだ。

騒がず控え目、それが大事ということですな。

そのせいか、願望(ねがいごと)は、「あせるな 人に任せれば吉」

旅行(たびだち)は、「急ぐな 利益なし」

相場は、「山気を起こすな」

…などと言う表現は、さすが小吉だけある。

 

そんななかで、気が引き締まったのは、次の2つ。

病気(やまい) 「信心せよ」

あきらめずに治癒することを信じよ、ということだね。

学問 「自己の甘さを捨て勉学せよ」

いやあ、そこを突かれるとはまいったなあ。

もうこの年になると、勉学する必要もないか、などと思っていたのだが。

そう思うこと自体が甘さか。

いくつになっても、向上を目指さなくてはいけないよな。

 

おみくじ引いて今年の運勢を占って、小吉だけど、ちょっとほっとした。

大吉とかになると、そのよさに甘えてしまい、いろいろな判断を間違えそうな気がする。

小吉の方が、いい気にならずに慎重に日々を過ごしていけるように思うのだ。

よし、今年も着実、堅実に前に進んで行くことにしよう。

 

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「最前線からの箱根駅伝論」(原晋著;ビジネス社)を読む

2025-01-12 21:49:25 | 読む

今年の箱根駅伝、青学大が強さを発揮して2連覇を果たした。

特に、今季は、出雲駅伝、全日本大学駅伝と、國学院大が2連勝していた。

それだけに昨年に続く優勝は難しいと思っていた。

それなのに、しっかりと優勝を果たした。

どうしてこんなに強いのだろう?

やはり、そこは指導者、原晋氏の存在に行き当たる。

原晋監督は、どんな考えをもって、どんな指導法を展開しているのだろうか?

今までも何冊か著書を読んだことはあるが、改めてそんなことを知りたくなった。

 

そんなことを思っていたら、図書館で、読んでみたくなる本を見つけた。

それが、本書「最前線からの箱根駅伝論」(ビジネス社)だ。

副題が、「監督就任20年の集大成」と書いてあった。

本書が出たのは、「2023年11月10日第1刷発行」とあった。

というと、前回と今回の2連覇が始まる直前であった。

このときは、駒澤大の強さが際立っていたときだったはず。

でも、箱根駅伝では、絶対王者と思われていた駒澤大を破り優勝し、今年も同大や國学院大を退けて優勝したのだった。

 

本書の前書きでは、氏は、「駅伝こそが日本の長距離を強くするための本丸である」との考えを主張している。

 

タイム以外に現れる真の実力を見極めるのが監督の選手の決め方だという。

タイムトライアルの結果を見てみるとき、「タイムだけでなく、選手の表情や仕草、ゴール後の余裕度まで、よく目を凝らして見ておく必要がある」という。

細かい目の配り方に注意しているのだ。

また、指導者は、その時々の速さではなく、選手が持っている〝絶対値″の見極めが大きな手腕だという。

つまり、もし、この選手が100%の力を発揮したら、どれくらいのレベルで走るのか。

また、その100%の力をどのタイミングで出せるのか。10回に1回なのか、それとも3回に1回程度は出してくれるのか。

ということの見極めだ。

また、寮での暮らしにおける生活態度なども判断材料のひとつとなる。

普段のちょっとした雑用でも何でも、最後まできちんとやり通す選手が、やはり走りにおいてもその力を遺憾なく発揮する傾向が強いのです。

そう語るところに、監督の見る目の鋭さを感じた。

 

そして、原監督は、あくまでも大学という教育の場における指導者、つまり教育者であるという立場に立って選手たちを指導している。

勝利至上主義ではなく、人間の育成を目指しているのだということが伝わってきた。

そして、選手たちを信頼して、「フィードフォワード」で育てていく。

「フィードバック」という反省で育てるのではなく、前向きに考えてやっていくことを促し、自ら実践している。

 

なるほどなあ、と思った。

一人一人にきちんと向き合って人を育てているから、選手が力を伸ばすことができるわけだ。

そして、視野の広さがあり、自分の言うことを聞いていればいい、という姿勢でないところは、信頼するに足るすぐれたリーダーだと思う。

 

覚悟を持って前向きに生きているから、説得力がある。

本書全体から、原監督の陸上競技への熱い思いが伝わってきた。

だから、後半には関東学連や日本陸連の問題も提起している。

新たな発想をもって改革に取り組む人だから、責任の所在が不明確な関東学連や旧態依然とした日本陸連に対する批判や提言もなかなか強烈だ。

その辺の細かいことは省略するが、自らの実践で変革を起こし、実績を残している。

こういう人が叫ばないと、何も変化は起こらないのだろうと思う。

 

人間の育成を基本に、真摯に陸上競技の未来について考えていることがよく伝わってきた。

いずれにしても、原監督の文章には強い説得力があった。

それが押しつけではないからこそ、皆で強くなろうとする強いチームが出来上がるのだろうな。

 

本書が出版されて以降、2大会連続して青学大が箱根駅伝で優勝しているわけがだいぶ分かった気がする1冊だった。

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