島原の太夫
11月8日の夕霧祭で太夫道中をされた太夫さんです。
お名前が分からず、すみません。
前で結んだ帯は、「心」という形に結ばれています。
「太夫」 とは正五位(しょうごい)の位を受け、帝とも謁見する事ができました。
遊宴の席で接待をする女性の最高の位だったのです。
そのために、花街に入ると歌舞音曲の芸、お茶お花、
和歌、俳諧などの教養を身に付けなければなりませんでした。
ですので、自ずと、とても厳しい修行を積むことになるのです。
後ろ姿も美しいです(*^。^*)
禿(かむろ)
禿(かむろ) 7~8才で太夫について、芸事の修行をする童女です。
花街での宴席でも2人、太夫さんに付いています。
修行の中には、太夫の身の回りのお世話をすることもあります。
小さな子供には、辛いこともあったのでしょうね。
今、「島原」 には、「角屋(すみや)」と、「輪違屋(わちがいや)」
の2つが残っています。
「角屋」 は博物館のように中を見ることが出来ます。
(京都定期観光バスが、夜の観光としてコースに入れる時があります。)
「輪違屋」 には入れません。現在も営業をしておられます。
昔、江戸の「吉原」 京都の「島原」 には、違う点がいくつかあったそうです。
島原は、「花街」 「太夫」。 吉原は「遊郭」 「花魁」。
という言葉で表したそうです。
島原は、一般の女性でも出入りの出来る様になっていたそうです。
吉原は、門で閉ざされ遊女たちが逃げるのを防いでいたので、
逃げるため、火を着けることも多く火事がよく起きたそうです。
角屋に定期観光コースで行きますと、「かしの式」
が、見れます。
「かしの式」 とは、云わばお客様と太夫さんのお見合いで、
お客さんが、遊ぶ太夫さんを決めますが、決めるまで何人でも
呼べたそうです。
建物も、なかなか珍しい雰囲気を持っていて、一見の価値があると思います。