この地図全体の所は昔…、
こんな風でした。
今は、ここ全体を「京都御苑」 と呼びます。
江戸時代は、二百もの宮家、公家のお屋敷がある町でした。
明治の王政復古の号令により都が東京へ移りますと、
これらのお屋敷は荒廃しました。
明治10年、御所の保存の命令が下されるとお屋敷は取り除かれ土地は整備されました。
これが、京都御苑の始まりです。
昭和24年、ここが開放され、国民の公園となったのです。
今は、「京都御所」 「大宮御所」 「仙道御所」 を
御苑が取り囲むかたちになっています。
また、他にも、公家屋敷跡、歴史的遺構もたくさん残り
御苑内の木々には樹齢百年を超えるものも残っているそうです。
明治天皇生誕の地
九條邸跡
拾翠亭(茶室)
九條邸跡にある、茶室 拾翠亭(じゅうすいてい)です。
中島に浮かぶ厳島神社
九條邸の鎮守で、弁天さまが祀ってありました。
お池には鴨やあひる?が住みついている様子です。
私の行った日、中島にはどうやら近所の子供らしいのですが、
このやんちゃ坊主たち、鳥に目がけて小石を投げるものですから、
鳥は逃げ回っていました (^_^;)
九條邸跡の案内板の所にかかっていました。
あの池にいたやんちゃさんの誰かのジャンバーの様です。
忘れずにちゃんと持ってかえったでしょうか?(^_^;)
九條家は、多く、平安時代から摂政や関白などの
重要職に就き、その娘には天皇のお后になられた方もおられます。
昔の栄耀栄華が偲ばれるお池やお茶室でした。
(これでも、ほんの一部分が残っただけなのでしょうね)
ところ変わって、
桜町
紀貫之の桜町屋敷跡。
桜を多く植えた名庭があったといいます。
今もたくさん桜が植わっていました。
小倉百人一首より
”人はいさ 心もしらず ふるさとは
花ぞ昔の 香ににほひける”
最近建てられたものに、「迎賓館」があります。
中の様子はさっぱり分かりません。
迎賓館の辺り、特に北側は木々が生い茂り、うっそうとした森のようでした。
正面(南側)のアプローチは植え込みがとてもきれいで、穏やかな気持ちで
迎賓館にいざなってくれるようでした。
夕暮れ、日の落ちてきた御苑に、さざんかの濃い桃色が
目にも鮮やかでした。