毎年、11月8日に「夕霧祭」 が嵯峨釈迦堂(清凉寺)にて
行われます。
江戸初期の遊女で、あらゆる芸に秀でた
「夕霧太夫」 の追善法要として、本殿での舞いの奉納や、
禿(かむろ)と共に境内にて、今年も太夫道中が行われました。
毎年、11月8日に「夕霧祭」 が嵯峨釈迦堂(清凉寺)にて
行われます。
江戸初期の遊女で、あらゆる芸に秀でた
「夕霧太夫」 の追善法要として、本殿での舞いの奉納や、
禿(かむろ)と共に境内にて、今年も太夫道中が行われました。
11月8日、嵐山渡月橋上流、大堰川に龍頭鷁首(りゅうとうげきす)の船を浮かべ
その船上舞台で、嵐山ゆかりの史跡や文化芸能が披露されました。
「嵐山もみじまつり」は、昭和22年、嵯峨風土研究会が中心に始めて以来、
毎年11月の第2日曜日に行われています。
天下の名勝と謳われる嵐山 小倉山のもみじの美しさを讃え、
辺り一帯を守護する嵐山蔵王権現に感謝する行事です。
また、清凉寺で夕霧太夫の追善供養を終えた、島原の現役の太夫さんが、
ここでも、太夫道中や、お茶のお手前を披露されます。
水戸黄門様も、”目に入ら…入りました”
太秦映画村からの出演です。
京都御所の築地塀の北東角に不思議なものがあります。
ここは築地塀の角が内側に切れ込んでいます。
この左の屋根の下を見ますと、烏帽子をかぶりご幣を持った
猿がいます。
この位置、御所の北東で表鬼門にあたり、鬼が入ってくるのを
比叡山の地主神、日吉大社から来て守っているそうです。
で、なぜ金網で閉じ込めてあるかといいますと、
この猿君、暴れん坊で夜になると塀から抜け出し
いたずらをするので閉じ込められたそうです。
修学院の赤山禪院のお猿さんと対応していっしょに
京都御所から難が去るように(さるように)とがんばっているのだとか。 (^_^;)
また、築地塀の北東角が内側に入り込んでいるのは、
鬼門である所の角をなくし、鬼が入れないようにしているそうです。
そして、御所のこの辺りを「猿ケ辻」
と呼びます。
京都御苑は、歩くところは砂利が敷かれています。
その上を歩いたり走ったりするのは、結構キツイです。
学生の頃、クラブの練習でランニングをしましたが、
足を取られて走りにくいといったらそれはもう、倍の脚力が要りました。
自転車で走る時もそうです。それで…、
長い間に、自然と砂利道にわだちが出来てしまっています。
こんなに広いのに楽に走れる所を選ぶので消えることは
無いのですね。
細いわだちですが、みんな上手くこの上を走っていきます。
ほら、向こうの方から、走ってきています。
でも今回歩いて思ったのですが、昔は砂利がもっとたくさん
敷いてあった様に思います。
自然に減るとは思いますが、もう前の量位にまで補充する事はないのかもしれません。しばらくしてまた行って、
チェックしてみようかな(^_^;)