自転車を駈って鎌倉郊外に常楽寺を訪ねました。お目当ては三代執権・北条泰時と悲劇の若武者・源(木曽)義高です。裏山にある義高の土まんじゅう近くに石碑が建てられています。読みやすくすると下記のとおり。写真の墓碑は塚の上からずり落ちた由です。
「木曽義高(きそよしたか)は、木曽義仲の長男であります。かって義仲は、頼朝のうらみを招き、戦になろうとした時、義高を人質として鎌倉に送ることで、ようやく和解することができました。それ以後、義高は、頼朝の世話になり、その娘を妻に迎えました。そして義仲が大津で殺害されたことを聞いた時、鎌倉を逃げ出しましたが、入間川で捕えられて斬られました。云々」
頼朝が復讐を恐れ殺さんとするのを妻の北条政子が知り、女装して逃したのですが埼玉で追いつかれて殺されました。娘の大姫はショックを受けて20歳で死んでしまいました。
親の政争に巻き込まれた為に若いカップルには悲劇となりました。 南無妙法蓮華経
「木曽義高(きそよしたか)は、木曽義仲の長男であります。かって義仲は、頼朝のうらみを招き、戦になろうとした時、義高を人質として鎌倉に送ることで、ようやく和解することができました。それ以後、義高は、頼朝の世話になり、その娘を妻に迎えました。そして義仲が大津で殺害されたことを聞いた時、鎌倉を逃げ出しましたが、入間川で捕えられて斬られました。云々」
頼朝が復讐を恐れ殺さんとするのを妻の北条政子が知り、女装して逃したのですが埼玉で追いつかれて殺されました。娘の大姫はショックを受けて20歳で死んでしまいました。
親の政争に巻き込まれた為に若いカップルには悲劇となりました。 南無妙法蓮華経