冬紅葉の獅子舞を小流れに沿って下りていくと発掘調査中の永福寺(ようふくじ)跡に出ます。奥州の覇者だった藤原氏と弟の義経の郎党を攻め滅ぼした頼朝が、戦没者鎮魂のために建立した大伽藍だったそうです。この一帯は「二階堂」と呼ばれますが、永福寺本殿が壮大で当時めずらしい二階堂だったことに由来するそうです。
頼朝が寄進した3大寺(八幡宮寺、勝長寿院、永福寺)の一つです。勝長寿院は悲運の父、源義朝をお祀りした寺で金沢街道の岐れ道近くの大御堂橋に名が残されました。現存するのは八幡様だけです。殺戮するなまぐさい武力ではじめて武士階級が天皇、貴族の番犬から天下を握ったのですから、全国に武威を誇るとともに怨霊から逃れるべく鎮魂を大寺に託したのでしょうね。
現場にそって遺跡の後ろ側に周りますと遺跡が一望できます。手前から薬師堂、ひときわ大きな二階堂、阿弥陀堂の礎石群です。仏殿の前には獅子舞から流れ出る疎水を貯めた池が広がっていたようです。
権力も栄華も一時のもの、大自然の「諸行無常の大河」の前にはひとたまりもありません。あの大津波のように。