『世の中の争いのもとは、誤解、恐怖、嫉妬の三つが原因だといわれます。そこから怨念が生まれてきて、それが原因で、さまざまな争いが起こります。国と国の紛争も、民族や人種間のいざこざも、そうです。また、身近な職場や家庭でのトラブルも一緒です。
私たちの心は、ときには仏さまのような清らかな心になるかと思うと、また、ムクムクと煩悩の心が起こってきてしまいます。京都の清水寺貫主(かんす)の大西良慶師は、「欲も中に入れ、愚痴も中に入れ、善も中に入れて、ほどよう和え物にするのが和なん」と言われていました。
平和は、争いを避けて静かにそっとしていれば自然にやってくるというものではありません。さまざまな矛盾や対立を含みながらも、そこにバランスを保たせていく、そのたゆみない努力によって初めて平和が維持されていくのです。それは、回り続ける独楽に似ているともいえましょう。その回転する力が衰えたら、独楽は倒れてしまいます。
回り続けること、それが精進です。』
庭野日敬著『開祖随感』より