『すべての宗教は「汝(なんじ)の敵を愛せよ」と教え、「すべてに慈悲を」と説いています。その教えが人間にとってなによりも大切なものであることはだれもが知っているのですが、その教えを、みんながすぐに実践できるのであれば、この世界は、とうの昔に平和境に変わっていたはずです。
世界の宗教者が集まる会議では「神はただ一人だが、呼び名は多い」といった言葉をしばしば聞かされます。神といい仏といっても、究極のところは「天地のすべてのものを存在させている大いなる生命」といえると私は考えるのです。
そして、真実の信仰とはその大生命に生かされていることを実感して、その大生命の法則に随順(ずいじゅん)して生きようと努力する、その生き方にあるといえると思うのです。ですから、拝めばお金が儲かるなどといったものでは、決して真の信仰とはいえないわけです。
この社会、世界のすべての人たちが、大生命にともに生かされている同士なのだと心の底からうなずけるようになって初めて、隣人への愛、生きとし生きるものへの慈悲心がわいてきて、それが実践行へとつながっていくのです。』
庭野日敬著『開祖随感』より