『私たちは「仏さまを拝む」とか「朝夕にご先祖の供養をする」と言いますが、よく考えてみると「拝む」のではなく「拝ませていただく」、「供養をする」ではなく「供養をさせていただく」というのが本当だと思うのです。
自分が仏さまに生かされ、ご先祖さまのお陰でこうして生かされているという感謝の心を持てるかどうかで、その違いが生まれてきます。
世間には、尊い教えを聞いても拝む気持ちになれない人がたくさんいます。
また、落ち着いて拝もうにも忙しくて、その機会に恵まれない人もたくさんいます。そうしたなかで、縁あって仏法に導かれ、まわりのみなさんの親身な手どりで、生かされている自分を思い知り、感謝の気持ちを持てたことが、どれほどありがたいことか。
さらに、毎日ご供養のできる時間を与えてもらっていることが、どんなにありがたいことか。
それを心から思い知ると、仏さまを拝ませていただき、ご供養をさせていただける身の幸せが腹の底から感じられてくるのです。私は朝夕の読経をさせていただくそのつど、そのありがたさをかみしめずにいられません。』
庭野日敬師「開祖随感」
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