『ノートルダム清心女子大学の学長をしておられた渡辺和子先生は、少女時代、自分の性格の嫌なところばかりが気になって、「自分は石ころだ」と思い込んでいたそうです。
ところが大学生のとき「あなたは宝石のような人だ」と言ってくれた人がいて、「そうだ。それなら宝石になろう」と心に決めてしまったのだそうです。すると、人に笑顔で接することができるようになってきた。腹を立てずにいられる。だんだん相手を思いやれるようになった、と著書に書かれています。
『法華経』の「五百弟子受記品」には、自分などつまらない人間だと思い込んでいた若者が、襟にすばらしい宝石が縫いつけられているのを教えられて生まれ変わる「衣裏繋珠(えりけいじゅ)の譬え」が出てきます。
渡辺先生のお話もそっくりそのままではないですか。「若し法を聞くことあらん者は 一(ひと)りとして成仏せずということなけん」というのは、ここなのです。
法華経によって、自分はつまらない人間どころか、宝石だったのだと気づいたときに心の底からわき上がってくる感動、それが精進の起爆剤です。
磨き上げれば、一人ひとり、だれにも負けない輝きを発するようになるのです。』
庭野日敬著『開祖随感』より
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