『路傍で生まれ落ち、そして道端で死んでいく気の毒な人たちが、アジアやアフリカにはまだたくさんいます。三度の食事にも事欠く人たちがいっぱいいるのです。それを遠くの世界のこととして傍観していることは許されません。そして、なによりも大切なのは、それをただ声高に人びとに訴えるのではなく、まず自分の足元から見つめ直してみることです。
満足な食事もとれない飢餓状態にある人たちが、こんなにも多くいるその同じ地球に住み、毎日十分すぎるほどの食事に恵まれながら、私たちは欲望をさらに際限もなくエスカレートさせて、これで十分だという満足感、充足感を得ておりません。
物質で栄えても精神的に退廃し、滅亡していった国の例はたくさんあります。いまの日本は、まさに精神の飢餓状態にあるといえましょう。
「無量義経十功徳品」には「愛著(あいじゃく)ある者には能捨(のうしゃ)の心を起さしめ、諸の慳貪(けんどん)の者には布施の心を起さしめ」と説かれています。
人は、あればあるほど欲する心が強くなるものですが、逆に自分の持てる物を人さまに施す心に切り換えると、少ない物にも心から感謝できるようになるのです。際限のない欲望を断ち切るのには、この心の転換しかありません。』
庭野日敬著『開祖随感』より