久米寺について
久米仙人の伝説にちなんだ寺としてよく知られているが、もともとここは久米部(くめべ)の武人の住んだ地といわれ、推古天皇2年(594)に聖徳太子の弟である来目皇子(くめのおうじ)が創建したと伝えられる。来目皇子が幼少の頃眼病を患い、両目を失明するが、聖徳太子のお告げにより薬師如来に祈願したところ平癒したと言われる。このことをきっかけに、自らを来目皇子と称した。
久米仙人(くめのせんにん)は、久米寺(奈良県橿原市久米町)の開祖と言われる伝説上の人物。『久米寺流記』には毛堅仙、『本朝神仙伝』には毛堅仙人と名が記されている。久米仙人に関する話は、『七大寺巡礼私記』『久米寺流記』『元亨釈書』『扶桑略記』などの仏教関係の文献はもとより、『今昔物語集』『徒然草』『発心集』その他の説話・随筆などにも記述がある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
久米仙人についての逸話は、多く残されています。
その仙人像が、この境内では、お堂の屋根の上にいらっしゃいます。
境内でことさら目を惹くのは、大日如来様の金ピカの像です。
やはりお祈りすることは、新型コロナの終息です。
私はこの小さい石像がとても好きで、境内では、必ずお詣りして帰ります。
そのほか修行大師など、多くの石仏が広い境内にあります。
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