カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

達磨寺

2015年05月22日 | ☆ ふるさと・大和

 

 

斑鳩方面に行く時、王寺の町を通過するコースをとると、上のような「達磨寺」の大きい看板の駐車場を何度も目にしていたが、今回初めてお寺にお詣りした。

お詣りしたというより先日テレビで、王寺町のユルキャラのことが放映されていたのを思い出し、それと関わりのあるお寺だとのことで、そんな程度の予備知識だけで訪れた。 

  

門が2か所にあったので、どちらが山門かわからなかった。どうやらこちらの方らしく、下の画像のような石標がこの門の脇に立っていた。

ずっと奥の正面の建物が本堂である。

 

  

宗派 : 臨済宗南禅寺派

 

 

聖徳太子ゆかりの寺。達磨が祀られているのは大和地方では珍しい。この地で瀕死の旅人を見つけた太子が、衣食を与えて看病したが、翌日死亡してしまった。亡骸を葬ったところ数日で消えてしまい、あとには太子が与えた着物のみが残っていた。これは達磨の化身であったのではないかと考えた太子は、堂を建て自らが彫った達磨像を安置したといわれる。境内に残る方丈は寛文7年(1667)に建立されたもので、奈良県内でも類例の少ない本格的な方丈建築である。また、数々の寺宝が安置されており、木造達磨坐像(重要文化財)や聖徳太子像(重要文化財)、絹本著色涅槃図(重要文化財)などがある。 

平成16年4月には、老朽化に伴って再建された新本堂が完成している。 

 

こちらの門は駐車場からの門で最初は私はここから入った。 

 

 

境内には見事な根を地上に伸ばした藤棚があって驚くばかりだ。来年はきっと藤の花の頃この藤棚の下に立ってみようと今から楽しみが一つできた。 

 

 

この寺の創建については、推古天皇21年(613年)の冬、聖徳太子が片岡山で飢えていた異人に衣食を施したという片岡山飢人伝説にからめて語られる。

片岡山飢人伝説とは、『日本書紀』の推古天皇21年(613年)12月条[1]や『元亨釈書』に見える次のような話である。聖徳太子こと厩戸皇子が片岡山を通りかかったところ、飢えて瀕死の異人に出会った。太子はその異人に当座の寒さと飢えをしのぐため、食物と自分の衣服とを与えた。翌日、使いをやって異人の様子を見に行かせたところ、すでに息絶えていたので、丁重に葬った。それからしばらくして墓の様子を見に行かせると、死体は消えており、衣服だけがきちんとたたまれて、棺の上に置かれていた。これを知った里人は、あの異人は達磨禅師の生まれ変わりに相違ないと言い、聖徳太子が自ら刻んだ達磨像を祀ったのが達磨寺の始まりであるという。

その後は、衰退と中興が繰り返され、江戸時代には幕府から30石が与えられた。 

 

  

達磨大師が植えた竹が1夜にして伸びたという伝説の竹がある。 

 

  

聖徳太子の愛犬で元旦に鳴くといわれる雪丸の像

 

   


みなさん、こんにちワン。私は飛鳥時代に産まれ、聖徳太子のペットとして生きてきました。その時代に出会った達磨大師を慕い、達磨大師のお墓の丑虎(北東)に葬っていただきました。達磨寺に立派な石像を作っていただき、そこから現在も王寺を見守り続けています。(王寺町のタウンページにこのような雪丸君の御挨拶があります。)

雪丸は王寺町のユルキャラで、王寺町のイベントなどには人気者として出演しているそうです。

いつも目にし乍ら通過していたお寺が、聖徳太子や達磨大師の所縁のお寺であることを知った。

コメント (2)
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夕焼け・・・3999を編集画面の一面で見ながら

2015年05月21日 | ★ 日々の呟き

カフェテラスのブログアドバンス

ブログの開設から 3,999日

 5月20日のアクセス数

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私のブログ開設は、2004年06月13日 | ★ 日々の呟きだ。

毎年だったらブログ開設何年目と、6月13日の記事によく書いていた。

そして今日の夕焼け空の美しさに感激した記事で、4,000日目となるのだと、一つの大きな区切りのような思いをしながら、今日のブログアドバンスをそのままコピーした。 

 

この夕焼け空は1昨日の空である。あまり空が美しかったので、すぐ外に出て撮影した。

夕方のウォーキングをしている人が、立ち止まって「綺麗な空ですね。」と声を掛けてくれた。

「こんな空の下を歩けるのって幸せですね。」私も後ろ姿に話しかけた。 

 

西の空

 

 

ウォーキングの人が引き返してくるころには、この美しさは薄暮のなかに吸収されていることだろう。 

 

北の空・金剛山が黒々と夕焼け空を受け止めている。

 

 

もう1度西の空・お隣の木がシルエットになっている。暫く綺麗な空が見られなかっただけに、一際美しく見えた。

こんな美しい空のことを、ブログ開設4,000日目の記事に載せることができて何となく幸せな気分になる。

長い年月の間にgooからの引っ越しを考えたことが1度だけあった。

それは、画像UPのソースが使えなくなってしまった事である。ブログのお師匠さん的な存在だったIさんから沢山のソースを送っていただいてその画像UPが楽しくてブログ作りも楽しかった。ほかのブログではそのソースを使えると聞いたけれど、やはり慣れたgooからのお引越しはやめて今日に来ている。

私のブログの古い日の記事の中に、大きい画像の下や、横にある小さい画像は小さいままで動かないのがいくつもあるのが、それである。

今ではそれも一つの記録だと思いながら、あのソースを使えた頃が1番楽しい時だったと,やはり4,000日目の今日「呟いておきたい」

その代りのようにフォトチャンネルが作られたが、全く私の思っていたのとは異なるので、少し触って試しただけで記事の中に入れていない。

今度はどんな数字の切れ目にそのことについて書くかもわからないが、とにかく元気な間は日々の呟きがあれば綴っていきたい。 

 

コメント (12)
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おふさ観音バラまつり

2015年05月20日 | 季節の花

 

 

 橿原市小房町のおふさ観音では春のバラまつりが行われている。開園の日にお詣りしたのでもう少し先の方が花が多く咲いているのではないかと画像を見ながら思っている。

デジブックに纏めて、薔薇の花を歌った歌人、俳人の作品を添えさせてもらった。

作品にはみんな作者を入れたのだが、1作だけ作者名のないのがある。気が付いて書き直したのだけれどどうしてもスペースに入らないらしい。「北原白秋」の作である。

デジブック 『花曼荼羅の詠』

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最終編 道の駅探訪 パーク七里御浜

2015年05月19日 | △ 旅 あれこれ ドライブ

 

  

この記事「最終編」はもう3日も前に出来上がっていたのに、その頃雷注意報が出て、PCを開けるのがなんとなく億劫になってしまって、こんなことでは次に進めないと、気を取り直して没にしないで、締めくくっておくことにした。

道の駅は、他にいくつか行ったのだが、それは省略して、海のない県に生まれて育った私は、海を見るのが大好きなので、42号線のこんな景色を見ながら、三重県に入っていた。

 

 

 道の駅 パーク七里御浜

所在地:三重県南牟婁郡御浜町阿田和4926-5
国道42号線沿にあり、海岸美を誇る七里御浜をはじめ史跡、景勝の地も多い、年中みかんのとれる美しい町です。

  

ミカンの町らしく建物もオレンジ色を基調にしている。

 

  

駐車場に車を停めて、スロープを通って海辺へ行ってみる。

 

   

かなり遠くまで真っ白な砂浜が続いて美しい。

海の一番よく見える地点に立って、水平線の彼方までいつまでも海を眺めていたくなる。

 

       

国道を跨ぐ陸橋は、スロープになっているはずで「太平洋岸自転車道」と橋の上り口に銘板があった。

階段の陸橋だともう海側に行くのはパスするところだが、スロープになっていたので、本当に助かったし、間近に海辺に立つことができ気分爽快だった。

 

 

美しい陸橋である。

 

 

次に立ち寄ったのは「鬼が城センター」で、ここでは駐車場が満車のため随分入るのに時間がかかった。

みんなは、鬼が城散策に行ったけれど、私は自分の足に不安を抱えているので、何度も行ってここは無理だと分かっていたから、その辺りを上から眺めていた。 

 

  

この表示のある所まで行ってそこから先へは、膝へに負担が大きいので、鬼が城へ降りていく人、登ってくる人を眺めていた。

 

 

みんな戻ってきて、「おばぁちゃんの足では、やっぱり無理だったよ。」というのを聴いて、そんなことすら考えないで、鬼が城探検気分で何度か行った若いころのことや場所を思い出していた。

 

 

海を離れて新緑の美しい山間部を走り、帰途につくためにいくつものダム湖のある風景を楽しみながら我が家へ向かった。

コメント (6)
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1段・また1段 どうしても下りて行きたかった 

2015年05月16日 | △ 旅 あれこれ ドライブ

 

 那智の滝

落差133mで日本一の那智の大滝。熊野那智大社の別宮、飛瀧神社のご神体として古くから人々の畏敬を集めてきた。

 

  

 

  

那智山へのドライブ道路を、山に近づくにつれ木の間から時々姿を見ることのできた滝。

 

  

私はどうしてもこの滝の全容を眺める場所に下りて行きたかった。 

 

 

滝そのものがご神体である。

 

 

護摩木を求め願いを心をこめて、燃え盛る火の中にそっと入れた。 

   

下りて来る時には、ひたすら足元だけを見つめ、左手は手すりを持ち、右手はストックをしっかり足元につき乍ら下りた。

 

 

だから下りの写真は全くない。

お詣りしてからお守りの根付を買いに行ったら、巫女さんが「登りは下りるより楽ですよ。ゆっくりゆっくり登ってください。」と励ましてくれた。

 

 

登り切って鳥居の所で、今登ってきた石段を眺め、神様に感謝の気持ちを込めて最敬礼で頭を下げた。

 

           

滝のところまで下りることにすごく緊張していたので、登ってきてやっと神社の入口をカメラに頂く余裕ができたと言える。

クリックして大きい画像でご覧ください。

変形性膝関節症のために、日常生活でも痛い膝を何とか庇うようにしていたが、痛いながらも今歩けるうちに、何度もこの石段を全く意識せずに下りて滝の傍まで行っていた頃のことを思い出しながら、きっとこれが最後になるだろうと、滝にお詣りしたその時々のことを、思い出し辿りながらの御滝詣でを成し遂げることができた。一緒に連れて来てくれた身内の者が、私を気づかい危なくないように、しっかりサポートしてくれているという、安心感に支えられてのことだった。

コメント (8)
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