日本橋三越本店の七階にて、「歌舞伎衣裳展」を觀る。
現在歌舞伎の衣裳を担當してゐる松竹衣裳と、かつて担當してゐた三越衣裳部の新旧現物を並展した興味深い内容で、
(※展示衣裳の撮影可)
三越が所蔵する旧い衣裳の、現在ではまずお目に掛かれない深い色合ひに目を惹かれる。
(※大正十四年十月 歌舞伎座の舞薹)
役者が三越衣裳部のものを纏ってゐた戰前では、冩真はほとんどが白黒もしくはセピア色であり、衣裳の柄は判っても色調までは傳はりにくく、
(※六代目尾上菊五郎の「藤娘」と、實際に着用の衣裳)
照明によるヤケと役者の汗とで、仕立てた當初と風合ひに差はあるであらうにせよ、私にとってはもはや傳説的な戰前の舞薹が、やうやく少しばかり現實世界として、心に入ってくる。
「助六由縁江戸櫻」の敵役“髭の意休”は、いかにも敵役らしい大柄な老人の印象があり、私は故人となった四代目市川左團次のそれを何度も目にしてきたことが、今や大切な記憶となってゐる。
↑右は松竹衣裳が所有する現行の意休の衣裳、左は三越衣裳部所蔵する、七代目松本幸四郎が着用した同じ物。
(※七代目松本幸四郎の髭の意休)
百年近くの間に歌舞伎役者の体格も随分變化したことが一目瞭然だが、それ以上に興味を覺えたのが、
↑髭の意休の後半の衣裳のうち、三越衣裳部所蔵の二代目市川段四郎が着用した、左の一點。
初代市川猿之助でもある二代目段四郎の曾孫にあたり、今年に惜しくも故人となられた四代目市川段四郎の髭の意休を、一度だけ拝見したことがある。
その髭の意休に扮した故人段四郎に、他の一門の最古参の門弟が、自身が若い時に見た古優の演技の或る一部を、實際にやって見せてゐた。
翌日、故人段四郎はその演技をしっかりと取り入れて、自分の藝にしてゐた。
ああ名優とかういふものか──
二代目段四郎が着たと云ふ衣裳を見ながら、さうして思ひ出した一齣も、今や大切な記憶である。