蛇滝口を過ぎ、緩やかなアップダウンを繰り返しながら山間を行くこと2㎞あまり。
煉瓦造りのアーチを潜って中央線の北側に出ると、線路に沿って再び緩やかな上り坂。
特急列車が横を走り抜けて行くのを見て(上段写真)、
「約100年前、それまで目的地まで何日も歩いて移動するしか方法がなかった時代に、目的地まで短い時間で移動できる“陸蒸気”が初めてこの街道沿いを走ったのを見た土地の人々は、どんな思いでそれを眺めていたのだろう…」
と思いを馳せていると、線路はやがてトンネルへ。
ちょうどその辺りが、かつて小仏宿のあった場所。
明治13年に明治天皇が山梨巡幸の際に休憩をしたと云うかつての宿場も、現在ではその場所に小さな石碑のみを残す、民家も僅か数軒集落。
高尾駅からの路線バスも小仏で終点、集落の外れにある「小佛山 寳珠寺」を過ぎると道幅は更に狭くなり、
それまでよく見掛けたハイキングの人々はどこへ行ったのやら、木々の枝々が空を覆う人気のない山道を、心細い思いをしながら小仏峠口へと向かいます。
煉瓦造りのアーチを潜って中央線の北側に出ると、線路に沿って再び緩やかな上り坂。
特急列車が横を走り抜けて行くのを見て(上段写真)、
「約100年前、それまで目的地まで何日も歩いて移動するしか方法がなかった時代に、目的地まで短い時間で移動できる“陸蒸気”が初めてこの街道沿いを走ったのを見た土地の人々は、どんな思いでそれを眺めていたのだろう…」
と思いを馳せていると、線路はやがてトンネルへ。
ちょうどその辺りが、かつて小仏宿のあった場所。
明治13年に明治天皇が山梨巡幸の際に休憩をしたと云うかつての宿場も、現在ではその場所に小さな石碑のみを残す、民家も僅か数軒集落。
高尾駅からの路線バスも小仏で終点、集落の外れにある「小佛山 寳珠寺」を過ぎると道幅は更に狭くなり、
それまでよく見掛けたハイキングの人々はどこへ行ったのやら、木々の枝々が空を覆う人気のない山道を、心細い思いをしながら小仏峠口へと向かいます。