関東大震災から、九十八年が経過す。
この大災害による混乱から、朝鮮人が「井戸に毒を投げ込んだ」「民家や商店に押し入り掠奪行為に及んでゐる」「集團蜂起を企んでゐる」などの流言が亂れ飛び、大勢の朝鮮人が日本人の自警團などに虐殺された──
學生時代に讀んだ日本史の教科書の、簡単な記述で知ってゐる程度のこの事件について、その究明に生涯を捧げて今年六月に亡くなった大學名誉教授姜徳相(カン トクサン)氏の著書「関東大震災」(中公新書 昭和五十年)から、まう少し見ていく。
日本人による謂はれ無き虐殺に遭ふ項などは少しくどいくらゐに活冩が續き、そのあたりの遠慮會釈の無さがいかにも向こうの國の人らしいが、しかし何事も事實を知ると云ふことは、かういふことでもある。
そして、この怒りと執念と切望の勞作中もっとも興味深かったのが、朝鮮人たちの受難をよそに大日本帝國軍部のご機嫌取りに始終した朝鮮王李垠(イ ウン)を、「売国の国王」と指彈した數行である。
それはそっくりそのまま、日本國における現在の為政者たちにも當てはまる。
大正十二年(1923年)九月のこの時は、たしかに投毒だの掠奪だのは流言だったらう。
しかし、それから八十八年後に東北地方へ甚大な被害をもたらした東日本大震災では、被災して無人となった家屋に侵入し「掠奪」行為に及んだ支那人や「不逞鮮人」が多くゐたことを、私は流言ではない事實として、知ってゐる……。