ラジオ放送で、觀世流「藤戸」を聴く。
源氏方の武将に漁師の息子を殺された母が、あらうことか新任の領主となって現れたその武将に、息子を返せと迫る──
權力者の勲功(てがら)の陰で踏みにじられる庶民の命を、静かな怒りを込めて描いたこの曲が今日に放送されたのは、極北國における國盗り合戰への抗議を含んだものかと解釈するのは、ちと穿ちすぎか。
現在病気中とウワサされる元KGBの大統領にも、人たらし臭のする役者崩れの大統領にも、私はまったく関心はない。
ただ、それらの勝手のために日々の生活を壊された両國の庶民を、気の毒だと思ふのみである。
そして、東日本大震災をきっかけに市民權を得た感のある「寄り添ふ」などと云ふ氣色惡いコトバを、わが國ではいまのところ避難民に對し誰も口にしてゐないところに、私はニッポン人の本音をみる。
……しかし、21世紀にもなってまだ國盗り合戰とは、時代錯誤なことをしてゐるものだ。