迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ごゑんきゃうげん27

2017-04-14 04:55:12 | 戯作
下鶴昌之は再び草に腰を下ろして、“告白”を続けた。

「彼女からそれを告げられた時、正直おどろき、焦りました。

子どもをつくる気ィなんて、さらさら無かったやさかい……。

せやけどそれが、私が立ち直るきっかけとなりました。

彼女は程なく、嵐昇菊師匠と夫婦になり、やがて先生の子として、あかりが産まれたのです。

私は内心ではいつも、嵐師匠にすまない気持ちでいっぱいでした。

先生があの子を、とても可愛がっていはるのを見るにつけ……」

嵐昇菊に対する丁寧な言葉遣いは、やはりここにあったのだ。

「ちなみに近江さん、この山が“姫哭山”という、本当の由来を、ご存知ですか?」

「本当の……?」

僕が訊き返すと、

「図書館の資料で見はったであろう戦国時代のお姫様の亡霊云々、あれは全て、ウソです。

そもそもこの山が、戦国時代には朝妻氏の山城があった、なんてこと自体、デタラメなんです」

「そうなんですか!?」

僕はドンと胸を衝かれたようなショックに、素っ頓狂な声を上げた。

「……せやさかい、城の遺構が、どこにも無いんです。

何十年も昔、ときの文部大臣でしたやろか、まだ村だったこの旧朝妻宿へ、視察に訪れたことがあったんです。

その時に大臣が、案内役をつとめはった宮司さんに、姫哭山の由来を質問したんやそうです。

本当のことが言いづらかった宮司さんは、とっさに作り話をでっち上げて、説明をしはった。

それが件の、“姫哭山伝説”なんですわ」

「はあ……」

僕は呆れて、下鶴昌之の顔を見た。「その、“本当のこと”とは、何なのです?」

「この山は大昔から、朝妻と葛原の若い者どうしが、夜な夜な出逢いを求める場……、まぁはっきり言えば、逢い引きの場やったんです」

「ああ……」

僕は真実が、朧気に見えてきた気がした。

「若い男女が、夜な夜な何をするか、わかりまっしゃろ? つまり、“そのとき”の女の声が、夜風に乗って……」

僕は思わず、大笑いをした。

いかにも田舎らしい話しだ。

もっとも、田舎の伝説は性に対するおおらかさが、根底にあったりする。

農作業の他にやることがないこうした土地は、結局あとは、“あれ”しかやることがないからだ。

そのため昔の農家は、子沢山だったのだ。

つまり金澤あかりは、そうした風習が生んだ子でもある……。

そして僕は、“姫哭山伝説”に取材した絵巻物が、描けないことになった。

宮司がやむを得ず喋ったウソ噺を、さすがに取り上げるのは……。

「ところで近江さん、あなたは早く、東京へ帰らはった方がよろしい」

下鶴昌之は急に緊迫した表情で、僕の腕をとった。

「え?」

「あなたは朝妻でいま、八年前の事件を探りに来た“要注意人物”として、とても危うい立場にあるんですわ」

「はい?」

「それを言い出したのは、溝渕さんです。

彼はあなたについて、インターネットで調べたよったんです。

その結果、数日前に東京で、警察から金澤あかりちゃんと感謝状をいただいていることを、突き止めたんですわ」

あっ……!

「すでにご存知の通り、集会所に八年前の奉納歌舞伎の集合写真がないのは、あの事件が朝妻では、今でも最高のタブーとされとるからです。

女人禁制の奉納歌舞伎を女が、それも主役を演じたこと、その晩に八幡宮を親族が全焼させたこと、いづれも朝妻の地では、決してあってはならんことやさかい……。

せやから、近江さんがこの時期に朝妻へ来たのは、きっと金澤あかりから八年前のことを聞かされ、ほじくり返しに来たからに違いない―

彼らは、そう睨んでおるんですわ」

そんなことも露知らず、ノコノコと朝妻八幡宮まで出てきた自分が、俄かにそら恐ろしくなった。

「熊橋さんが今朝、松羽目の絵を描いて欲しいと電話してきましたやろ?

それは実は、近江さんを呼び出して軟禁して、ほんまの目的を糾明するつもりやったんです。

近江さんをホテルから車で連れ出すのは、私という手筈になっていました。

……もっとも私は、全てを打ち明けて、すぐに東京へ“逃げて”いただくつもりやったですが」

“逃げて”という言い方が、もはや尋常ではない。

僕は、下鶴昌之がわざわざこの山の頂上へ連れて来たわけを理解した。


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