下鶴昌之は再び草に腰を下ろして、“告白”を続けた。
「彼女からそれを告げられた時、正直おどろき、焦りました。
子どもをつくる気ィなんて、さらさら無かったやさかい……。
せやけどそれが、私が立ち直るきっかけとなりました。
彼女は程なく、嵐昇菊師匠と夫婦になり、やがて先生の子として、あかりが産まれたのです。
私は内心ではいつも、嵐師匠にすまない気持ちでいっぱいでした。
先生があの子を、とても可愛がっていはるのを見るにつけ……」
嵐昇菊に対する丁寧な言葉遣いは、やはりここにあったのだ。
「ちなみに近江さん、この山が“姫哭山”という、本当の由来を、ご存知ですか?」
「本当の……?」
僕が訊き返すと、
「図書館の資料で見はったであろう戦国時代のお姫様の亡霊云々、あれは全て、ウソです。
そもそもこの山が、戦国時代には朝妻氏の山城があった、なんてこと自体、デタラメなんです」
「そうなんですか!?」
僕はドンと胸を衝かれたようなショックに、素っ頓狂な声を上げた。
「……せやさかい、城の遺構が、どこにも無いんです。
何十年も昔、ときの文部大臣でしたやろか、まだ村だったこの旧朝妻宿へ、視察に訪れたことがあったんです。
その時に大臣が、案内役をつとめはった宮司さんに、姫哭山の由来を質問したんやそうです。
本当のことが言いづらかった宮司さんは、とっさに作り話をでっち上げて、説明をしはった。
それが件の、“姫哭山伝説”なんですわ」
「はあ……」
僕は呆れて、下鶴昌之の顔を見た。「その、“本当のこと”とは、何なのです?」
「この山は大昔から、朝妻と葛原の若い者どうしが、夜な夜な出逢いを求める場……、まぁはっきり言えば、逢い引きの場やったんです」
「ああ……」
僕は真実が、朧気に見えてきた気がした。
「若い男女が、夜な夜な何をするか、わかりまっしゃろ? つまり、“そのとき”の女の声が、夜風に乗って……」
僕は思わず、大笑いをした。
いかにも田舎らしい話しだ。
もっとも、田舎の伝説は性に対するおおらかさが、根底にあったりする。
農作業の他にやることがないこうした土地は、結局あとは、“あれ”しかやることがないからだ。
そのため昔の農家は、子沢山だったのだ。
つまり金澤あかりは、そうした風習が生んだ子でもある……。
そして僕は、“姫哭山伝説”に取材した絵巻物が、描けないことになった。
宮司がやむを得ず喋ったウソ噺を、さすがに取り上げるのは……。
「ところで近江さん、あなたは早く、東京へ帰らはった方がよろしい」
下鶴昌之は急に緊迫した表情で、僕の腕をとった。
「え?」
「あなたは朝妻でいま、八年前の事件を探りに来た“要注意人物”として、とても危うい立場にあるんですわ」
「はい?」
「それを言い出したのは、溝渕さんです。
彼はあなたについて、インターネットで調べたよったんです。
その結果、数日前に東京で、警察から金澤あかりちゃんと感謝状をいただいていることを、突き止めたんですわ」
あっ……!
「すでにご存知の通り、集会所に八年前の奉納歌舞伎の集合写真がないのは、あの事件が朝妻では、今でも最高のタブーとされとるからです。
女人禁制の奉納歌舞伎を女が、それも主役を演じたこと、その晩に八幡宮を親族が全焼させたこと、いづれも朝妻の地では、決してあってはならんことやさかい……。
せやから、近江さんがこの時期に朝妻へ来たのは、きっと金澤あかりから八年前のことを聞かされ、ほじくり返しに来たからに違いない―
彼らは、そう睨んでおるんですわ」
そんなことも露知らず、ノコノコと朝妻八幡宮まで出てきた自分が、俄かにそら恐ろしくなった。
「熊橋さんが今朝、松羽目の絵を描いて欲しいと電話してきましたやろ?
それは実は、近江さんを呼び出して軟禁して、ほんまの目的を糾明するつもりやったんです。
近江さんをホテルから車で連れ出すのは、私という手筈になっていました。
……もっとも私は、全てを打ち明けて、すぐに東京へ“逃げて”いただくつもりやったですが」
“逃げて”という言い方が、もはや尋常ではない。
僕は、下鶴昌之がわざわざこの山の頂上へ連れて来たわけを理解した。
続
「彼女からそれを告げられた時、正直おどろき、焦りました。
子どもをつくる気ィなんて、さらさら無かったやさかい……。
せやけどそれが、私が立ち直るきっかけとなりました。
彼女は程なく、嵐昇菊師匠と夫婦になり、やがて先生の子として、あかりが産まれたのです。
私は内心ではいつも、嵐師匠にすまない気持ちでいっぱいでした。
先生があの子を、とても可愛がっていはるのを見るにつけ……」
嵐昇菊に対する丁寧な言葉遣いは、やはりここにあったのだ。
「ちなみに近江さん、この山が“姫哭山”という、本当の由来を、ご存知ですか?」
「本当の……?」
僕が訊き返すと、
「図書館の資料で見はったであろう戦国時代のお姫様の亡霊云々、あれは全て、ウソです。
そもそもこの山が、戦国時代には朝妻氏の山城があった、なんてこと自体、デタラメなんです」
「そうなんですか!?」
僕はドンと胸を衝かれたようなショックに、素っ頓狂な声を上げた。
「……せやさかい、城の遺構が、どこにも無いんです。
何十年も昔、ときの文部大臣でしたやろか、まだ村だったこの旧朝妻宿へ、視察に訪れたことがあったんです。
その時に大臣が、案内役をつとめはった宮司さんに、姫哭山の由来を質問したんやそうです。
本当のことが言いづらかった宮司さんは、とっさに作り話をでっち上げて、説明をしはった。
それが件の、“姫哭山伝説”なんですわ」
「はあ……」
僕は呆れて、下鶴昌之の顔を見た。「その、“本当のこと”とは、何なのです?」
「この山は大昔から、朝妻と葛原の若い者どうしが、夜な夜な出逢いを求める場……、まぁはっきり言えば、逢い引きの場やったんです」
「ああ……」
僕は真実が、朧気に見えてきた気がした。
「若い男女が、夜な夜な何をするか、わかりまっしゃろ? つまり、“そのとき”の女の声が、夜風に乗って……」
僕は思わず、大笑いをした。
いかにも田舎らしい話しだ。
もっとも、田舎の伝説は性に対するおおらかさが、根底にあったりする。
農作業の他にやることがないこうした土地は、結局あとは、“あれ”しかやることがないからだ。
そのため昔の農家は、子沢山だったのだ。
つまり金澤あかりは、そうした風習が生んだ子でもある……。
そして僕は、“姫哭山伝説”に取材した絵巻物が、描けないことになった。
宮司がやむを得ず喋ったウソ噺を、さすがに取り上げるのは……。
「ところで近江さん、あなたは早く、東京へ帰らはった方がよろしい」
下鶴昌之は急に緊迫した表情で、僕の腕をとった。
「え?」
「あなたは朝妻でいま、八年前の事件を探りに来た“要注意人物”として、とても危うい立場にあるんですわ」
「はい?」
「それを言い出したのは、溝渕さんです。
彼はあなたについて、インターネットで調べたよったんです。
その結果、数日前に東京で、警察から金澤あかりちゃんと感謝状をいただいていることを、突き止めたんですわ」
あっ……!
「すでにご存知の通り、集会所に八年前の奉納歌舞伎の集合写真がないのは、あの事件が朝妻では、今でも最高のタブーとされとるからです。
女人禁制の奉納歌舞伎を女が、それも主役を演じたこと、その晩に八幡宮を親族が全焼させたこと、いづれも朝妻の地では、決してあってはならんことやさかい……。
せやから、近江さんがこの時期に朝妻へ来たのは、きっと金澤あかりから八年前のことを聞かされ、ほじくり返しに来たからに違いない―
彼らは、そう睨んでおるんですわ」
そんなことも露知らず、ノコノコと朝妻八幡宮まで出てきた自分が、俄かにそら恐ろしくなった。
「熊橋さんが今朝、松羽目の絵を描いて欲しいと電話してきましたやろ?
それは実は、近江さんを呼び出して軟禁して、ほんまの目的を糾明するつもりやったんです。
近江さんをホテルから車で連れ出すのは、私という手筈になっていました。
……もっとも私は、全てを打ち明けて、すぐに東京へ“逃げて”いただくつもりやったですが」
“逃げて”という言い方が、もはや尋常ではない。
僕は、下鶴昌之がわざわざこの山の頂上へ連れて来たわけを理解した。
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