
その世界がまだ夢の國だった頃、
道しるべになるだらうと信じて手に入れた記録を、かつては処分も考へた資料の山から、やうやう見つけ出す。
現在では決して逢へない藝が、そこには記録されてゐる。
己れのそのときの気分で、記録媒体としての価値は上がったり下がったりするが、しかし記録されてゐる藝そのものは、けっして揺らぐものではない。
人間が下す評価なんてものは、結局ニンゲンの自分勝手な尺度でしかない。
その世界が夢の國ではなかったからといって、落胆するに及ばず。
手に入れた道しるべそのものが、
じつは夢の國なるらん。
そこに記録された大先人の聲から、
いかに自分なりの夢の國を創り出せるか──
既製品は、他人(ひと)の夢。
そんな猿真似冠者なら、誰でもなれる。
誰もがなれない先に、
夢の國はある。
藝も、そこから始まる。