中学校の地理の授業で教材として使用した地図帳を、○○年を経た現在も愛用してゐる。
あの頃、教室と云ふ籠のなかで地図帳を開いては、目の前に擴がる世界各地に、「行ってみたいな……」とひとり旅情に駆られてゐたものだった。
とくに図版を眺めながらそこを空想旅行することは、授業中の秘かな樂しみでもあった。
いまの御時世、
あの頃、教室と云ふ籠のなかで地図帳を開いては、目の前に擴がる世界各地に、「行ってみたいな……」とひとり旅情に駆られてゐたものだった。
とくに図版を眺めながらそこを空想旅行することは、授業中の秘かな樂しみでもあった。
あれから○○年、旅行計画を立てる時にはまず目的地の位置確認にこの地図帳を手に取るのは、あの時の延長線に現在の自分があるからだ。
なにしろ○○年前の地図帳なので、現在では廃止になってゐる鐵道路線もそこではまだ現役で記されており、「さうか、あの頃はまだあったのか……」とか、「この時はまだ○○驛は無かったんだな……」と、しみじみ眺め入ることもしばしば。
そして旅行後に改めて地図帳を開き、「自分はここまで行ってきたのか……」と振り返ることもまた樂しみなのである。
人的災害による國難下にある現在、この地図帳は出かけずして全世界を旅してゐる氣分にさせてくれる、素晴らしい効果を私にもたらしてゐる。
いまの御時世、
これほど安心で安全な“世界旅行”が、
他にあるだらうか……?