ラジオ放送の喜多流「田村」を聴く。
値千金な櫻の下で清水寺の縁起を語り花に舞ふ少年、千手觀音の加護をもって勢州鈴鹿の惡魔を鎮めた坂上田村丸の武勇を、喜多流らしいハズレのない雄大な謠ひでゆったり樂しむ。
その場所へ行かずして行った氣分に浸れるのが謠ひの樂しみのひとつだが、清水寺について云へば、この謠ひに聞こえるやうな壮爛な風情はいまやもう望めず、あるのは多種雑多が掻き起す騒亂だけである。
土地に縛られ容易な移動が許されなかった古へには、詩は彼方を偲ぶよすがであったが、令和現在(いま)においては、彼方に消えた風情を偲ぶよすがとなってゐるのである。