この町のアパートに引っ越して一年が経った春の一日、アパート裏の石垣の上に鎮座する神社で春季例大祭が行われていたので、休日でもあり出かけてみることにした。
地域の人たちが露店で食べ物や生活リサイクル品を売ったり、また満開の桜の下では野点(のだて)が行われるなど、賑やかさと雅びやかさが一体となった楽しい空間が、そこには広がっていた。
そんな一角に、古い写真をパネル仕立てにして展示したテントがあり、私は興味を覚えて寄ってみた。
それは地元の写真愛好家団体のブースで、この町の昔懐かしい風景を展示したものだった。
しかし、引っ越して来てまだ一年、しかも通勤で使うアパートから駅までの道だけでしかこの町を知らない私には、セピアやモノクロで留められたその昔日の風景が、現在のどの場所にあたるのか、正直なところ解説を見てもピンとこなかった。
が、一枚だけピンとくるモノクロ風景があった。
それは危うく、「あっ!」と声を上げそうになったほどの景色だった。
高い石垣を背景にした広い草地に、一本の見事な桜が、満開の花を咲かせていた。
その桜の下には、一人の少女が愛くるしい笑顔で、こちらを見つめて立っていた。
年の頃は七、八歳、髪が肩までかかったおかっぱ頭に色の白い綺麗な顔立ち、そして白いワンピース姿──
これは……!
あの、私にいつも冷たい瞳で刺してくる少女が、そのまま古いモノクロ写真のなかにいる!
しかも、私に対してとは打って変わった、愛くるしい笑顔で……!
「これはね、この神社の石垣の下、いまは新しくアパートが建っている場所で、わたしが撮ったものですよ」
そばで老人の声がして、私は我に返った。
出展者許可証を首から下げた白髪の老人が、今から六十年前に撮ったものだと、嬉しそうな表情(かお)で言った。
どうやら自分の作品の出来映えに、私が感服しているように見えたらしい。
これ幸いと、自分は去年からそのアパートに住んでいる者だと話した。
そして少女のことは言わずに、背景の石垣がアパートの裏手にあるそれとよく似ているので、ちょっと気になったと続けた。
老人は、私がそこのアパートの住人と知って眩しそうな顔をした。
それから、あの場所にはもともと地主の屋敷があったそうだが、自分が子どもの時分にはすでに空き地となっていて、写真に見る桜の大木だけが、かつてそこが庭だった名残りだと話した。
「その空き地が格好の遊び場で、よくこの桜にも登ったものです……」
撮影者の老人は、私の横に立って自分の作品に見入った。
「春になると、とにかく桜の花が見事でしてね、地元ではちょっとした名所だったんですが……」
いまのアパートが建つ際に無情にも伐られたと、さも残念そうに続けてから、そのアパートの住人が前にいることに気付いて失礼、と苦笑して付け加えた。
私もただ苦笑を返すほかなく、その気まずさを半ば隠すように、再び写真を見た。
アパートが建つ以前には、こんな立派な桜があったのか──
モノクロ風景のなかで、白く盛り上がるように咲いた花々は、色彩のある世界で見たならば、さらに美しかったことだろう。
老人の残念がるのが、よくわかる気がした。
そんな桜がアパートを建てるために伐られたことを、私は我が事のように残念に、申し訳なく思った。
しかしそれ以上に知りたいのは、一緒に写っているこの少女だ。
なぜ、あの少女が六十年も昔の写真に、そのままの姿で写っているのか……。
「この女の子は、近所の子ですか……?」
私が訊ねると、
「ええ、この子は私の同級生のいちばん下の妹さんでね、この空き地の真向かいの家に住んでいたんですよ」
空き地の真向かい──つまり現在も残る、あの木々に囲まれた陰鬱な日本家屋……。
「この子はこの桜が、ことのほか好きでね、よく友達と登ったりして遊んで、それは元気な子でしたよ」
老人は過去の話しをしているが、私はこの少女に現在会っている。
老人と私と、この少女に関する時空が、まったく噛み合っていない。
「この写真は、私が学生時代に趣味でカメラを始めて、すぐの頃に撮ったんです。本当はこの子が友達と遊んでいるところを撮りたかったんですが、友達はみんな照れて逃げてしまったんで、仕方なくクミちゃん……、この子の名前ですがね、クミちゃんだけを撮ったんです」
では、私が会ったあの少女は、その“クミちゃん”の孫かなにかなのだろうか……。
しかし私は、その疑問をこのアマチュア写真家にぶつけなくて良かったことを、すぐに知った。
「この時にクミちゃんを撮ったのはムシが知らせたんですかねぇ。それから一年後、死んでしまったのですから……」
えっ?、と私は老人を見た。
老人は、私があまりに驚いたことに、驚いた。
もちろん、その理由を知る由もない。
この年の秋に中国で発生して、瞬く間に世界中で大流行した新種のインフルエンザに、一家で感染してそのまま全員亡くなったのですよ──
アマチュア写真家は沈痛な表情を浮かべた。
私もその新種インフルエンザの世界的大流行(パンデミック)については、学生時代に日本史の授業で少し習った記憶がある。
たしか、この年に日本では世論の猛反対を押し切ってオリンピックを強行開催した結果、日本国民の九割が感染して重症化し、世界中で“ニッポン滅亡”が本気で囁かれた──
そのため日本は新種インフルエンザの終熄と経済復興に二十年の歳月を要し、しかも日本人の男女の九割が後遺症の薄毛に苦しめられ──
外国人が仲間内で日本人をジェスチャーで表現するとき、頭をつるつると撫でる仕草をするのも、これから始まったと云う──
それはさておき、私はこの古写真に写っている少女とその家族が、六十年ちかく昔に亡くなっていると云うこと、そして私はその写真の少女に“実際に”会っていると云う事実をすぐに理解し、整理することが出来なかった。
とりあえず私は、アマチュア写真家に礼を言ってこの場を離れた。
この町に引っ越してから一年あまり、向かいの家の門口に立っていつも私に冷たい目で刺してくる、あの白いワンピースにおかっぱ頭の少女──
“クミちゃん”と云うらしいその少女は、もしかしたら大好きな桜を伐られた怒りを、その後に建てられたアパートへ越してきた私に、示していたのではないか……。
それがあの少女の、精一杯の抗議だったのではないか……。
ところが実際には“クミちゃん”は、六十年も昔に新種のインフルエンザに罹って、家族と共に死んでいると云う。
「そういえば……」
私はあの向かいの日本家屋に住む家族というものを、一度も見たことがない。
いつも門口に“クミちゃん”が立っているのを見るばかりだ。
これは一体……?
六十年前に死んでいるはずの少女が、私の前に現れる……。
頭のなかで、ようやく何かが朧(おぼろ)に姿を見せ始めたとき、私は自分が住むアパートの前まで来た。
そして、向かいの光景に思わず息を呑んで立ち止まった。
数時間前に出かけた時には確かに存在していた古い日本家屋と、敷地を鬱蒼と取り囲んでいた樹木が、きれいさっぱり姿を消していた。
そしてその跡には、たった今そうしたかのように、真っ白な砂利が敷き詰められていた。
〈完〉