ラジオ放送で、女流義太夫による「本朝廿四孝 十種香の段」を聴く。
将軍足利義輝の暗殺事件を背景に、長尾謙信の娘八重垣姫と、“花作り(庭師)蓑作”に化けて長尾家に入り込んだ武田信玄の息子勝頼との戀模様を綴った、義太夫の名調子を樂しむ一段。
移入された歌舞伎劇では、相當に魅力ある役者でなければとても見られたものではない結果に終はる難物なり──さういふ意味で、この一段の生命はいまや終はってゐる──。
私にとっても、古劇を人に教へるといふ行為をした最後の芝居。
好きな男を前に恥じらふ様を、“夕日まばゆく顔に袖”と表現する日本語の妙に、私はいまでも淘然となる。
しかし、どんなにいい一幕に仕上げてみせたところで、結局のところ手柄と注目は全て演者たちに持って行かれる現實をつまらなく思ひ、さうした経験から「やうするに、傅統藝能の舞台で自分が主役をやりたいのだ!」といふことに氣が付き、それからさらに數年の紆余曲折を経て現代手猿樂を立ち上げるに至ったのだから、すべての経験はすべてが財産である。
もし現在も“振付師”を續けてゐたら、今頃は人災疫病禍の波をもっと被ってゐたはずで、さう考へると私はいつも私自身に助けられてゐることを、やけにサラサラ語る浄瑠璃に耳を傾けながら、しみじみ感じるのである。