都電荒川線「鬼子母神前」電停の前を過ぎ、江戸の昔より殘るけやき並木の参道を通って、初めて鬼子母神堂に参詣する。
ヒトの棲家が隙間無く建て混んだ都心部におゐて、お堂と木々がのんびりと散在した廣い境内の光景は、ここだけが古へより時間が止まってゐるかのやうな、不思議な感覺にうたれる。
室町時代に現在の目白の池辺りで掘り出されたと云ふ鬼子母神の尊像をまつる本堂は江戸時代初期の建立にて、なるほど三百年の風雪に耐へ抜いてきた貫禄が漂ふ。
鬼子母神は、現在では子どもを守る神様として信仰されてゐるが、もともとは子ども喰ふ暴虐神であり、ある時釈迦に我が子を隠されたことで子を失ふ悲しみを知った鬼子母神は、以後は改心して子どもの守護神へと転向云々──
これはかつて祖母から聞いた縁起、よって鬼子母神の“鬼”は、頭の角を取った字が正式云々。
(※案内パンフレットより)
私が参詣した時、堂内では僧が讀經をしており、本尊を前に幼い女の子を連れた父親と母親が畏まってゐた。
やがて三人が本堂から出て来ると、幼い女の子は両親に、「樂しかった」と笑顔を見せてゐた。
さうした純粋な感性が、私には折から差し込む太陽以上に眩しかった。